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第4話 『彼女の、不可逆なインフレーション』 「彼女の計画 ―役作りの夜」
場所:『彼女の計画』撮影セット。非常階段。夜遅く。
瞳を演じる役者が、一人で壁に向かってセリフを繰り返している。
瞳(役者)(独り言のように):「『特別じゃなくていい』——ここは、もう少し力を抜いた方がいい? いや、ここは力を込めて……」
純を演じる役者が、カメラを肩に担いで現れる。
純(役者):「撮ってもいい?」
瞳(役者)は振り返り、少し笑った。
瞳(役者):「……また? 純さん、ほんとに変わってるね」
純(役者):「うん。この『作り込む過程』が、本番の『揺らぎ』になるから」
純を演じる役者はカメラを回し始めた。
瞳を演じる役者は壁に向き直り、再びセリフを繰り返す。カメラの存在が、彼女の「演じる自分」と「素の自分」の境界を、少しだけ曖昧にしていた。
ファインダー越しに、純を演じる役者が呟く。
純(役者):「……いいね。その『揺らぎ』。本番でも、それでいこう」
非常階段の暗がりで、"カノジョ"は二人を静かに見つめていた。彼女はまだ直接的な介入を控えていた。ただ、二人の肩に視線を落とし、まるで黒いインクを一滴垂らすように、ゆっくりと染み込ませた。その染みは、翌日の本番で、静かに、しかし確実に広がることを彼女だけが知っていた。




