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蛍の横顔  作者: 夏乃緒玻璃


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四話 蛍の幻

 二十年後。


 私は小さな不動産販売会社に勤務していた。主に新築のマンションを宣伝、販売する仕事だ。

 主に一都三県、時には地方都市もあちこち飛び回る。


 仕事の関係で偶然、幼少時住んでいたあの街に行く事になった。駅前に系列会社が建設しているマンションがあり、宣伝を打ち見込み客を募る。その現地での打ち合わせだ。


 あの道路はどうなっているだろう。

 むかし住んでいた私の家はまだ、あるのだろうか。

 ホタルさんに手を引かれて歩いたあのアパートの街はどう発展しているだろう。


 見に行きたかった。

 無理くりに半日のフリー時間を作り、足を伸ばす事にした。不思議な高揚感と少しの逡巡の感情があった。


 歩いてみる。


 駅前はあまり変わっていない。たまに母に連れられて来た古いレストランもそのままあった。子供の頃は大きな立派なレストランだと思っていたが、今見るとこじんまりしている。


 駅を後にし、かつての家路へ。


 小学低学年の頃以来なのに、案外覚えているものだ。


 私達の昔の家は、もうなくなっていた。

 建て替えられ、全く新しい住宅地になっていた。


 寂しい事ではあったが、時間の流れとはそういうものだろう。覚悟していた。


 しかし、それよりも。


 幹線道路は完全に産業道路として整備されて、道幅は更にひろく、粉塵などまるでない綺麗な道になっていた。そして安全に考慮してか何箇所かに交差点が出来ていた。

 胸がざわつく。何か、知っていた地形と違う。

 違和感に駆られ道を渡る。


 ホタルさんと歩いた小さな公園はどこにもない。

 公園の横の路地もない。アパート群のあった辺りには無機質なビルが並んでいる。

 工場の稼働音も無く、人の姿もない。


 不安にかられて少し歩く。街があったはずなのに、どこまで行っても、交通量に対して広すぎる道路が続くばかりだ。


 街が一つ丸ごと消えてしまう事などあるのだろうか。

 検索し、二十年前の地形も確認する。

 理解した。当時の地図で見るその街は、古いバラックが立ち並ぶ再開発予定地だった。

 そして何年か前に開発は施行され、街は全て作り変えられてしまった。

 その開発にはいくつもの企業が関わっており、私の所属する企業もその一つだった。


 あの頃の、あの人と歩いた街は影も形もなく消えた。


 あの人は、今の私よりもずっと若い年齢で、いつ消えてもおかしくない、地図で見れば孤島のような寂しい街にたった一人で暮らしていたのか。


 あの時、どんな気持ちで私の手を引いてくれていたのか。幹線道路の分かれ道で私と会った時、あんなに嬉しそうな顔をしてくれたのはどうしてだったのだろう。


 妊娠を知り、親になる事に不安があったのだろうか。それとも都会での夢を諦め、故郷に帰るか迷っていたのだろうか。

 あるいは私の母のような、裕福で美くしいと言われる人間に憧れて、私のような子供が欲しいと願ってくれていたのだろうか。


 あの粉塵だらけの幹線道路を買い物の為に渡る時、どんな事を考えていたのだろうか。

 道路の向こうの大きな家々を見て、そこに望んだ幸せがあると感じ、憧れたりしていたのだろうか。


 深い溜息が出る。


 先に私は、ホタルさんとの思い出は記憶の片隅に置いておいた、などと言った。

 なんという傲慢さだろう。


 あれほど優しくしてくれた人なのに。

 あれだけ大事にしてくれた人なのに。


 子供だったから何もできなかった。それはそうだが、憶えている事くらいは出来たろう。

 住所を調べれば子供でも葉書の一枚でも送る事は出来たろう。ありがとうでも、楽しかったでもいい。何か一つでも言葉を届けるだけで、彼女はきっと、喜んでくれた筈なのに。


「アナタにはわからないんでしょ」


 言われても仕方ない。私はこういう部分も母親に似てしまったのかもしれない。

 理解わかろうとも、考えようともしなかった。

 いやそれ以前に思い出しすらしなかった。


 今となっては全て遅すぎた。

 東北の蛍は消え、幼少時の家も消え、ホタルさんの街も消えてしまった。


 長い黒髪と寂しそうな笑顔。引かれた手の温かさと、ボンボンの甘酸っぱさだけが記憶に残っている。

 しかしそれも、私がいなくなればすっかりこの世界から消え失せてしまうのだろう。

 誰も憶えていない記憶、それは無とはどう違うのか。


 夕暮れが近い。

 仕事に戻らなければならない時間だった。


 ここでもうしばらく、思い出の残片を拾い集めたい気持ちは強かった。

 しかしそれはもうきっと、この場所には無いのだろう。


 さようなら。ありがとう。


 顔の輪郭も忘れてしまったけれど、白くて優しい横顔は、ずっと忘れない。


 私はホタルさんのアパートがあった方角へ一礼し、やりきれない思いをポケットに丸め込んで背を向けた。


 あの日、手を繋いで慌てて走って渡った幹線道路。


(今だ。優くん、気をつけて!)


 そんな声をかけられたっけ。


 記憶の中、笑い合いながら小走りで道路を渡る二人。その周囲を、祝福するかのように、そこいる筈のない蛍の舞が照らしていた。


 きっとあんな風に、あの時の私達は輝きに満ちていたのかもしれない。


 今は誰も走る必要も無い安全な交差点。

 信号が変わる。


 蛍の幻を振り切るように、私は消えてしまった街を後にした。





 完

2025年の暮れ、人生で初めて書いた小説です。

フィクション作品を書いた事が無かったのと、思い入れが強すぎたのか、この一作を書き上げるまではかなり苦労しました。これが書けて以降、嘘の様に色々な物語が浮かんでくるようになりました。不思議です。

ごく一部フィクションですが、ほぼ実話がベースです。ホタルさんも、実際にとても美しい人だったと記憶してしています。

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