2.来い恋!!!
ボドゴーンってなんだよ。
と目を開いたところは真っ白な天井。懐かしい天井。朝。起きてみればちゃんと実家だ。
「いそのわさび~!!」
「えりんぎ~!」
朝の六時。外の小学生のこの挨拶。間違いない。ここは実家だ。
階段を下りた。久々に会った。母が洗濯した服を籠に入れて洗面所から出てきた。
「おにい~! 今日、寝坊じゃーん!」
歯を磨く妹。髪がまだ茶髪だ。金髪じゃない! まだグレてない。
「間違いない。今は二千二十年だ」
「当たり前でしょ。寝ぼけてるの? アホおにい~?」
「片鱗!? コロナのせいでグレたわけじゃなかったのか」
「ころな? コロネ?」
「なんでもない」
「はい。どーぞ!」歯ブラシ(歯磨き粉付き)
「お、おう。なんか懐かしいな――うわぁ!! 苦い!! 何入れたんだ!」
「ふっ。青汁。通販の」
「買ったはいいけど余ってるやつ!」
「明日はリンゴ酢」
「期限切れ!」
ともかく歯を磨いて朝食。実家のテレビがやけに大きく見える。同時に分厚くも古くも。ニュースの画もそうだ。
うわぁ。まだ安倍さんが総理してる。志村けんが生きてる。米津弦師がまだ感電してない。
「うわ。鮭しょっぱ」
「文句言うなら食わなくていいけど?」
「久々に食べたから」
「おにいー昨日の残りだよ?」
「そうだっけ」
「おにいのぼけぇ~」
「やっぱり片鱗あるな」
と頷いていたところ。妹が首をかしげて真ん丸目でじーっと僕を見つめてきた。数秒。数十秒。視線が強い。
「どうした」
「うーん? なんか違うんだよね~」
「何がさ」
「お兄ちゃん。今日ノリ悪いよね。落ち着き過ぎ」
「はぁん?」
ともかく二千二十年の二月二十九日に戻ったようだ。感覚的にも懐かしい。けどなんだか居心地が悪い。母や妹の癖が鼻につく。
「おにいちゃん。今日だね。頑張ってね」
「何が?」
「しらばくれちゃって~」
「土曜日登校ってこと?」
「あはん~今日火曜日だよ」
「? ほんとだ」テレビに映ってた。
コスプレ感がして嫌になった高校の制服を着て鏡の前。特に、どうでもいいか。
既視感と幼げすら感じる教科書が詰め込まれた鞄を持って、玄関。母が見送りに来た。そういえばこんな感じだったっけ。
扉を押すと冷気が肌にぶつかる。冷の香が濃く感じた。久々にこの薄っぺらいポッケに手を入れた。
町並みは芋臭い。子供の声がよく響くものだ。あっちの無機物感が無い。町の風が躰を透って染みる。冷たくも親しみがある。知っているけど近しい人。地元ゆえの安心感が満ちていた。あっちの孤独はまるで無い。でも無さすぎて、やかましくもある。高校一年生ってこんなに子供だったのか。
ゆっくり歩き過ぎたか。遅刻しそうだ。
角を曲がって信号。あっち側に歩道橋がある。似た制服がそこを走っている。だとしても使わない。やや硬いボタンを押して信号が変わるのを待つ。
「高校生よ。これが遅刻慣れだ」
大事なのは遅刻しないことではない。遅刻するような講義を取らないこと。一限とか一限とか一限とか。
そんなところの背中に何かがぶつかって危うく道路に出そうになった。車に轢かれるところだった。
「遅刻しちゃう!!」
「な、なんだよ?」
ってあの後ろ姿。担任じゃねえか。うわ。こっち気づいた。
「何してんの。斎藤さん。のんびりしてないでください。遅刻しますよ!」
「先生に言われたくないですよ。それに今から急いでももう遅いというか」
「斎藤さん。諦めるのは大人の役割です。まだ若いんだから挑戦しましょう」
「青になりました」
「では歩道橋を」
「青になりましたが?」
文部科学省の敗北。
高校一年生(元バスケ部。実は大学生)の敗北。なぜか先生のほうが速い。
「私もまだまだ走れるー」
「アラサーに負けた」
「何か言った?」
「説教したら遅刻しますよ」
茶番は置いておいて。遅刻したので、僕と先生は学年主任に怒られた。このおっさんがなかなか怖いのだが(忘れてた)、先生が一緒だったので軽くだけだった。ラッキー。
さてと。
ガランガラン。
待ってましたと言わんばかりにコーヒーミルク。ストロー加えながら待ち構えていた渡部京介。他数名。
「おー晴也。派手に遅刻したなー!」
「なんで嬉しそうなんだよ」
「賭けてたんだよ。十分遅刻に賭けたんだけどよ。まさかニ十分も遅れてくるとはね。皆外したもんなー」
「その場合は僕の勝ちだろ?」
「はー? 遅刻した癖に得すんのかよー。面白い! 採用!」
「おー」
「どうした?」
こんなノリ、久々すぎて慣れないな。机に座ってワイワイ。くだらない話ばっかしてる。
今日の快晴はそれ自体よりも快晴で。日は輝いて見えた。
「晴也ーところでさー」にやにや。
「なんだよ」
「川上さんとデ〇ズニーデートってマジかよ? 大胆なことすんなー」
「マジマジ」
「マジ?」
「マジ」
「いや。お前がマジっていうの珍しいから。でもさ、川上さん怒ってるぜ」
「え?」
川上杏。ここ高名高校では有名のお嬢様。そして美人。マドンナ。女子に囲まれ、お淑やかに席に座って微笑んでいる彼女がそうだ。
ちらっ。ちらっ。
「あ。目が合った」
ぷくっ。
「ほら。怒ってるだろー?」
「なんかしたっけ」
「違うね。あれは何にもしなかったからって感じだな」
「何もしない?」
「ほら。バスケでもコーナー待機してるだけのやつって浮くだろ」
「そんなことないけど」
「そうだっけ。文芸部だからわかんぬ。でも俺が言いたいのはそんなところ」
来年、渡邊雄太がNBAで本契約を獲得する年。それから数年後、スリーポイントの確率が爆発する。コーナー待機? だけじゃないけど重要な役割――話が逸れた。
「つまりなんだよ?」
「遅刻したことに怒ってる。いや違う。一緒に登校できなかったことに怒っている」
「なるほど」
「謝って来いよ」
「今?」
「今だろ」
「どうせ隣りの席だし。女子が囲んでて行きにくいな」
「いやぁ。こんな腰抜けがよく川上さんと」
プッツン。
「誰が腰抜けだって?」
ずさずさ。
「おーいけー」と応援する京介らを背に女子の大群へ突入。めっちゃ見られる中、鞄を置いた。
よし。これでいいだろうと京介のほうへ戻ろうとすると「あやまれ~」と小声が飛んできた。
女子がめっちゃ見てくるな。きついんだが。
まぁ……いいか。
「ごめん。ちょっと退いて。川上さん」
う。眩しい。氷の様に白い肌なのにしっとりとした柔らかい質感が優しい。それと対照的な髪の色も浮かず、流水のように艶めく髪の美しさだけが目立つ。その美術品のような触れられない神秘さと、けども幼さのある微笑み表情は繕っていて、その裏にやや不機嫌が見え隠れする。そんなところの不完全さというか健気さが可愛らしい。こんな表情を見られたのなら、怒らせてしまったことを後悔するどころか満足してしまいそうだ。川上さんってこんなに美人だったのか。
「なんでしょうか。斎藤君」
「あっ。思い出した」
「なにをでしょうか」
それを今言うわけにはいかない。
「ともかく。ごめん。明日は一緒に」
「い、いっしょに? 一緒に?」白いのが仄かに赤らんでく。
「あ、うん(かわいい)」
撤退。これ以上川上さんと話していると溺れてしまいそうだ。あの可愛らしさに。しばらく見なかったからか余計に。
「いけいけ~」と京介が未だ小声で言ってくる。
「無理。もう無理」と小声で返す。
「いいのかよ。お前それで~」
「そういう関係なんだよ」
「派手にやれよ~!」
キンコンカン☆コーン。強制撤退。
僕は席に座った。
なぬ! 川上さんが小さく耳に手をあててきた!?
「明日じゃなくて放課後ですよね? 一緒に帰りたいよ」
湿った声が耳の中に残る。その恋香が鼻を通ったのか、麻薬じみて、息が乱れた。
ストライク!!! 恋に落ちる音がした。
川上さんと隣りの席。一限が始まった。
どうやらこれからの一限を眠ることは出来なさそうだ。




