追走銀輪(ついそうぎんりん)
真夜中の峠道。俺は必死にペダルを漕いだ。
息は荒く乱れていたが、疲労からではない。ロードレースチーム代表の俺は、この程度で息切れなんかしない。俺の呼吸が乱れているのは、恐怖からだった。
肩越しに後ろを見れば、そこには追走する赤い自転車があった。だが俺に連れはいないし、何より追いかける男には頭がなかった。
見間違いではない。黄色いジャージから伸びる首は切断され、赤い肉と白い骨が覗いていた。
「橘の奴、化けて出やがった!」
突然現れた首なしの亡霊だが、俺はそいつに心当たりがあった。黄色いジャージに真紅の車体。先月亡くなった、同じチームの橘に間違いなかった。
「お前が悪いんだぞ、お前が賄賂で代表に選ばれたから!」
俺は怒りと共に吐き捨てた。汚い手を使った橘を許せず、俺は奴の帰り道にワイヤーを仕掛けてやった。自転車で通れば、こけて怪我をすると思ったからだ。しかしこの一件で橘は死んだ。ワイヤーが引っ掛かり、首は綺麗に切断されていたという。
どう言う訳か化けて出てきた橘は、俺を追いかけ掴もうと手を伸ばす。
「俺をあの世に引きずり込みたいのか? はっ! 死んでも俺に勝てないことを教えてやる!」
俺は漕ぐペダルに力を込めた。あと少しで街だ。さすがにそこまでは追ってこないだろう。曲がりくねった峠道を駆け抜けるが、橘も食らいつき、俺を掴もうと腕を伸ばす。
「触るな!」
俺は腕を払いのけた。カーブの多い道では引き離せなかったが、残りは直線だ。
スプリント勝負。
俺は全力でペダルを漕いだ。速度はグングンと上がり、峠道の先に街の灯りが見えて来る。振り返れば、引き離された橘が必死に右手を伸ばしていた。
「俺の勝ちだ!」
後ろに向けて勝利の声を上げた瞬間だった。突如首に衝撃が走り、俺の視界が回転した。
「え」
俺の頭が地面に落ちる。目の前では、首のない俺の体が自転車と共に倒れた。
「え?」
目だけを動かすと、峠道にワイヤーが張られていた。ワイヤーには赤い血が滴っている。
追いついてきた橘が、自転車を降りて俺を見下ろす。顔はないが、どこか悲しげだった。
「お前、まさか止めようと?」
俺は橘が、手を伸ばしていたことを思い出した。橘の手を取っていれば助かったのだ。
橘の背後に、不気味な影が現れて橘を飲み込んでいく。影は俺にも迫り、俺をどこかへ連れていこうとする。
「やめろ、助けてくれ!」
俺は叫んだが、その声すら闇に飲まれ消えていった。




