婚約者の浮気がペットのインコのせいでバレた件について。
私の婚約者、どうやら浮気をしているようです。
アディンセル侯爵家の長女である私、エリカには、同じ程度の地位を持つ侯爵家の子息、アンドルー・ウェッジウッドという婚約者がいた。
彼とは政略的な婚約を結んでいるに過ぎず、幼い頃から付き合いがあるにもかかわらずその仲は良いとは言えなかった。
私は自分の家の血筋を大切にしたいという思いから、侯爵家として相応しい言動を重んじていたが、アンドルーはその逆だった。
彼はその時々に自分が抱いた欲を満たさないと気が済まない質で、お陰で衝動的な言動は多く見られたし、社交界でのマナー違反も散見された。
私がそれを注意すれば彼は機嫌を悪くし、何度言っても自身の非を改めようとしない婚約者には私も辟易していた。
それでもアンドルーは両家の話し合いで決められた私の婚約者。両家の顔に泥は塗れませんし、私には彼と添い遂げる義務がある。
そう、思っていたのだが。
ある日、お茶友達の令嬢方から私はこう言われる。
「アンドルー様、昨晩の夜会にご出席されていらっしゃったのですが……」
話によると、私が出席していない夜会に彼はパートナーを連れてやって来たそう。
その日の催しは仮面舞踏会だったので、顔を隠せばバレないと思っての行動だったのだろう。
しかし声や、偶然聞こえたパートナーとの会話で私の名前が出た事から、友人はアンドルーの存在に気付いたらしい。
そして浮気の相手はというと、これも会話の内容からあっさりと特定できた。
ジェリー・アディンセル――私の妹。
私の話の時に『お姉様』と呼んでいた事から発覚したそう。
最早隠す気ゼロなのでは?
アンドルーの軽率さ、そして妹の愚かさに腹が立たなかったと言えば嘘になる。
しかし、妙に納得した自分がいたのも確かだ。
ジェリーは私とは違い、教養を積む事よりも異性に愛でられる存在である事の方が大切であると考えていた。
彼女は容姿が整っていたし、どのような言葉を使い、どのような振る舞いをすれば異性の心を掴むことが出来るのかもわかっていた。
そして何より――彼女は私を見下していた。
彼女は思ったのだろう。私のような女から男を奪い取ることは容易であると。
恐らくは異性から受ける愛情への執着と私への嫌がらせが作用し、浮気という行動に出たのだろう。
……もう婚約相手代えればいいのでは?
そう思いもしたが、ただ婚約を取り消したいというだけでは恐らく両家の両親は苦い顔をするだろう。
ジェリーが淑女として優秀と言い難い事は、認知されていたから。
せめて、浮気の証拠でも集められれば話は変わるかもしれなかったが、生憎浮気現場に私はいなかったし、私や私の知人たちだけが浮気現場に気付いたとして、それを後日密告したとしても確実な証拠とは言い難いのが現実。
口裏を合わせて嘘を吐いていると言われてしまえばそこまでなのだから。
「どうしたものかしらね」
自室の机に肘を突きながら私は溜息を吐く。
その時、小さな影が視界の端から現れ、机の上にとまった。
「ねぇ? エコー」
それはインコ――エコーと名付けた、私のペットだ。
私が人差し指を近づければ、エコーはそこへ擦り寄る。
小さい顔があざとく傾けられ、私は小さく笑みを零した。
「ネェ、エコー!」
エコーは甲高い声で私の話した言葉を真似る。
エコーは私が学園で主席を取った際に両親が買ってくれたメスのインコ。
彼女はとても賢く、鳥籠から出していても館の外へ逃げたりはしない。
館の中を飛び回ることはあるが、家族や使用人に迷惑を掛ける事もなかった。
それに、聞いた音を真似る事が得意で、エコーは特に多くの音を記憶する事に長けた種のインコであった。
「オハナニ、ミズヲ、アゲマショウ」
「それ、いつ言ったっけ? 使用人の誰かの声?」
先程と僅かに声のトーンを変えた上で、覚えのないフレーズをエコーが言う。
それを聞きながら私は笑った。
私は暫くの間、エコーを可愛がって心を癒す。
そして時計が三時を指す頃。私は溜息を吐いて立ち上がった。
「そろそろ行かないと。また後でね、エコー」
短く鳴くエコーへ笑い掛け、私は部屋を後にした。
実は今、アディンセル侯爵邸にはアンドルーが来ている。
婚約者として互いの家には定期的に訪れる事が決められていたので、その義務を果たす為に彼は家を訪問してきているのだが。
彼は途中で「お前といると気疲れする。一人にしろ」と言い出したのだ。
とても婚約者に対する発言とも、客人として発する言葉とも思えないが。
仕方なく私は三時に戻ると告げてから客室に彼を置いて自室へ戻った……そういう経緯があるので、私は今からアンドルーに会わなければいけなかった。
私が客室へ向かうと、その部屋の前にアンドルーがいた。
――ジェリーと共に。
話していた二人は私に気付くとそれぞれ浮かべていた笑顔を消した。
アンドルーは嫌悪を隠そうともせず顔を顰め、ジェリーは困ったように私から目を伏せる。
アンドルーはそんなジェリーを背に庇うと、小声で部屋に戻るように促す。
ジェリーは微笑みながらアンドルーに頷き、その場を去って行った。
「どこかへ出ていたの?」
「お前には関係ないだろう」
「関係あるでしょう。ここは私の家なのよ」
「ジェリーに許可をもらった。彼女だってここの家族だろう。それともお前は彼女を家族ではない等とでも言うつもりか」
「勝手な妄想はやめて」
客室にいると思っていた客人が家を歩き回っていたら焦るのは当然だと思うのだが、彼にそんな事は伝わらない。
それどころか、妹を虐めている姉として批判して来ようとする始末だ。
頭が痛くなってきた私はこの話を切り上げようと、客室の扉を開けて、アンドルーに入室を促す。
その時、彼がだらしない格好をしている事に気付いた。
シャツがはだけており、襟近くのボタンがいくつか外れていたのだ。
彼は自分が貴族である事も、ここが自分の家ではないという事も、本当に忘れていたのだろうか。
私がいないところで実家のように寛いでいたのだろう程度にしか、この時の私は考えていなかった。
「その格好は何? 家の外くらい、もう少しまともな格好を――」
そこまで言い、襟を整えてやろうと手を伸ばした私はそこで気付いた。
襟の裏、彼の首筋に……赤い痕がついていたのだ。
小さな内出血痕。そこには更にご丁寧に、口紅のようなものが付着している。
客室を出ていたアンドルー、そして彼と共にいたジェリー。
彼らが何をしていたのか、私は一瞬で理解した。
(――気持ちが悪い)
流石の私の精神も、流石に限界であった。
アンドルーが帰り、自室へ戻った私は長い溜息を吐く。
浮気されている事自体は友人からの話で分かっていた。
婚約者である私の目を避けてデートへ行く。それも許される事ではないだろうが、この時の彼らには私に対する後ろめたさと、気付かれては不味いという危機感があったはずだ。
しかし今回私が気付いた不貞は、私がいる場所――それも私の家の中で行われた事。
それに加え、婚約者ですらタブーとされる度の超えた身体的接触を行ったのだ。
アンドルーとジェリーの浅はかな行いはあまりに私を軽んじた行いであった。
貴族として正しく在ろうと過ごして来た私の努力を嘲笑い、踏み躙る行い。
とても許容できるものではなかった。
素直に言えば悔しかった。
何故正しく在ろうとしている側がこの様な思いをしなければならないのかと、静かな怒りが湧き上がり、私は拳を握り締める。
その時、外へ出ていたらしいエコーが窓の外から部屋の中へと戻って来る。
私は我に返ると窓を閉め、エコーへ笑いかける。
「お帰り、エコー」
「オカエリ、エコー」
エコーが鳴き声と共に私の声を真似る。
その後、私が何も言わずともこれまでの覚えた言葉を発し続けるエコー。
それを微笑ましく聞いていた私だったが、途中からエコーが発した言葉にはたと私は動きを止める。
真剣にエコーを見やり、その声を聞いていた私はやがて小さく呟いたのだった。
「……これだわ」
***
さて月日は流れ、三か月後。妹ジェリーの誕生日パーティーの日。
この三ヶ月ですっかりジェリーの虜になってしまった愚かな婚約者はどうやら今日、私に婚約破棄を突き付けるらしい。
アンドルーの親は反対したそうだが何とか説得で押し切ったとの事。どうしてその行動力を勉学で使わないのか、甚だ疑問である。
きっとパーティー会場である大広間には今、多くの客人で賑わっている事だろう。
主役であるジェリーや両親も一足先に会場へ向かった。
私はと言うと……パーティー用の装いのまま、自室に立ち寄っていた。
「ごめんね、少しの間だから」
そう声を掛けるのは部屋の隅に吊るされていた鳥籠。
中には止まり木にお利口にとまったエコーがいる。
「さて、行きましょうか」
私はその籠を片手に持つと誰もいない部屋でこっそりと笑みを深めたのだった。
***
大広間の扉前まで私は速足で向かう。
「な、エリカ様!?」
「ちょっとした余興をするの。開けて頂戴」
扉前に立っていた使用人が驚きの声を漏らす。
当然だ。一体この世のどこに鳥籠を引っ掴んでパーティーに乗り込む令嬢がいるというのだ。
だが幸いにもここは私の家。そして私はジェリーと違い、これまで真面目に誠実に生きて来た。
そしてそれが生み出した信頼は使用人の中にも築かれていた。
扉が開かれる。
私は礼を一つ述べると、そのままパーティー会場へ。
「失礼」
パーティーへ集まった人々は会場の中央へ注目していた。
その後方から私が声を掛ければ、振り返った貴族達は私の持つ鳥籠に気付いてぎょっとしながらも道をあけてくれる。
さて。皆が注目していた中央に誰がいたのかと言うと。
勿論、アンドルーとジェリーだ。
彼らはまるで婚約者であるかのように肌を密着させ、話をしていた。
「アンドルー!」
「ハッ、漸く来たかエリカ!」
何とか人の隙間を練って二人へ近づく私。
その声に気付いたアンドルーは嬉々として声を上げた。
「いいかよく聞け、俺はお前との婚約を破棄――」
彼の言葉の途中、私は漸く人混みの先頭へと出ることが出来た。
二人の前へ飛び出した私は一つ息を吐きながら鳥籠を正面に置く。
「す、る…………?」
きっと堂々たる態度で言いたかったであろう決め台詞の勢いは、私が持って来た鳥籠に意識を奪われたせいで萎んでしまった。
「な……なんだ、それは!」
「ペットのインコです」
「いやそれば見ればわかる。そういう事ではないだろう!」
わかりやすく狼狽えるアンドルーの姿は、随分と滑稽だった。
私は既に少し満足してしまいそうになりつつ、表情筋を必死に引き締める。
「まさかお前、妹の晴れ舞台を滅茶苦茶にするつもりか!?」
「ひ、酷いですわ、お姉様……! いくら私の事が嫌いだからって……っ」
「ああ、それは一旦置いておいていいですか?」
二人だけの大劇場でも始まりそうであった為、私はすかさずジェリーの声を遮った。
一応公の場なのでアンドルーにも敬語で話してあげることにした。
私はエコーを指す。
「このインコ――スゴカシコインコという種はとても賢いのです。聞いた言葉を覚える速度も、記憶できる数も。更に複数人の会話になれば声のトーンまで使い分けてくれます。この辺りの正確性については動物研究者の方が論文を出して証明してくださっておりますからご興味があればぜひご一読ください」
「おい待て。インコのうんちくになど興味はない。それよりお前、俺の話を聞いていたのか?」
「ああ、はい。ただ、そのお話をお受けする前に私にも聞いていただきたい事があるのです。貴方と、ジェリーの浮気について」
「俺とジェリーが浮気だと……っ!? 自分が見限られるからと、よくもまあそんな出鱈目な妄言を!」
「私がアンドルー様と一緒にいたのは、お姉様についての相談に乗っていたからです!」
「そうだ。そもそもお前がジェリーを虐めていたのが事の発端だろう」
否定をするならせめて組んでいるその腕を外してはどうかと思った。
今更不要な言い合いをするつもりはないので口に出しはしなかったが。
「なるほど。お二人はただ相談の為に我が家で二人きりになれる時間を作っていたと」
「だから、それはお前が――」
「そのお返事、肯定としてとっても構いませんね?」
更に言い掛かりをつけられそうになる前に、私はその声を遮る。
そして周囲の客人を見回しながら声を上げた。
「皆様、どうか彼と私の今の会話を覚えていてください。そしてこの先の事は――ご自身の目と耳で、ご判断ください」
そう言うと私は鳥籠の格子を優しく二回ノックする。
それを合図とし、ここまでお利口に口を噤んでいたエコーが声高らかに、そして矢継ぎ早に言葉を発し始めた。
「アンドルーサマ! オマチ シテマシタ」
「ジェリー、キョウモ ナンテ ウツクシインダ! アノ シコメノ エリカ トハ オオチガイダ」
「マア、アンドルーサマ ウレシイデスワ ソレデ アノケンハ ドウデスカ」
「アア、モチロン リョウシンモ ショウダク シテクレタヨ キミノ タンジョウビダ。 ソノヒニ エリカニ コンヤクハキヲ センゲンスル」
「ホントウデスカッ!? ウレシイデス、アンドルーサマッ!」
「アア、ジェリー アイシテイルヨ」
「ワタシモ デス。 アッ、アンドルーサマ」
「ナニヲ テレテ イルンダ? イマサラダロウ」
「アッ、イヤ……モウ、アンドルーサマ ッタラ モウ」
「スキナ クセニ」
「モウ、イジワルハ オヤメクダサ アッ」
「ケッコン シタラ マイニチ コウシテイヨウナ」
その後も会話やその間に挟まる喘ぎ声の他に何かを吸い上げるような音を真似たらしい声が挟まったりと、端的に言うならば――大惨事な声真似劇がエコーによって繰り出された。
先程私が述べた通り、この声真似を私がエコーに無理矢理覚え込ませるなどと言った偽装は不可能である。
その為エコーによる声真似は二人の浮気の動かぬ証拠となってしまったのだ。
周囲は騒然となり、アンドルーとジェリーは顔を蒼白とさせる。
最早何も言葉は出ない様子。
ただ、エコーの口から溢れ続ける言葉を聞きながら絶望に打ちひしがれていた。
「エコー」
「エコー!」
そろそろいいだろうという頃合いを見て、私が声を掛ければエコーは私の真似をした後話す事をやめた。
辺りに沈黙が訪れる。
その中で私はアンドルーとジェリーに向き直り、優雅なお辞儀をした。
「さて、婚約破棄をされるとのことでしたね。勿論――謹んでお受けいたします」
「お、おま……おまえ……」
戦慄くアンドルーを尻目に、私は鳥籠を持つ。
「ジェリー、お誕生日おめでとう。どうかアンドルーとお幸せにね? 彼のほかに――貴女の貰い手はいなくなってしまっただろうから。……それではご機嫌よう」
私は二人に背を向け、客人があけてくれた通路を通って大広間の外へと向かう。
廊下へ出る時、ワッと大きな声で泣き出すジェリーの声と、早口且つ大きな声を張り上げて弁明をしようとするアンドルーの声が聞こえて来た。
「ふぅ。……ごめんね、エコー」
外へ出た私は謝りながら籠の中からエコーを出してやる。
エコーは私の傍で旋回してから夜の散歩に出るべく遠くへ飛んでいった。
それを見送って空を見上げていた時だ。
「失礼。エリカ・アディンセル嬢」
私は背後から声を掛けられる。
驚いて振り返ればそこには紺色の髪に金色の瞳を持つ美しい青年が立っていた。
私は彼を知っている。
私の通う学園の、一つ上の学年にいる公爵子息、テレンス様だ。
「ご機嫌よう、テレンス様」
「良い夜だね、とっても」
彼はそう言いながら空になった鳥籠を見て、それから大きな音で笑いを吹き出す。
「揶揄いにいらっしゃったのですか?」
「いいや、違うよ。いやしかし、余りにも突飛な出来事で……暫く思い出しては笑ってしまいそうだ」
学園ですれ違う時の彼はいつも涼し気な顔をしていたので、こんな風に笑う人だったのかと私は驚いた。
テレンス様は口を押さえながら一頻り笑った後、咳払いをして私にこう言う。
「素晴らしい復讐劇だったけどね。もしよければもう少し報復してやらないかと思って声を掛けに来たんだよ」
「報復?」
「私と婚約しないか。一先ずお試しでいいのだが……私は彼より身分が高く、周囲からの評価も良い。あと顔も良い」
「ご自分でおっしゃるのはどうかと」
私のツッコミを華麗に聞き流しながら彼は手を差しだして来た。
「君を見下していた二人はさぞ驚くだろう。彼は公爵家の男に選ばれる程の人材を手放したことを悔いるだろうし、妹はさぞかし嫉妬に狂うだろうさ」
「……随分性格が悪いんですね」
「ただ、人生を楽しんでいたいだけさ。それに君の評判は社交界でも良い。加えて愉快な奇人と来た。君といれば愉快な時を過ごせそうだと思ってね」
何故だか下手に褒めちぎられるよりも、彼の言葉には信憑性が持てた。
そして何より、先程の報復だけで全てを水に流せるかと言えばそうではなく。私の心にはまだ僅かな苛立ちが残っていた。
「わかりました。謹んでお受けいたしましょう。両親を通して正式にお声掛けください」
「わかったよ」
私はテレンス様の手を握る。
彼は未だににやけた顔でこう言った。
「これからよろしく頼むよ、エリカ嬢」
「こちらこそ」
……どうやら、私の復讐劇はもう少しだけ続くようだ。




