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過剰な箇条書き小説

作者: 稀Jr.

- 箇条書きは要点をまとめるのに便利である

- 箇条書きは、文頭に点あるいは番号を付けて、文章を簡潔に説明する

- 完結すぎて、ときには相手に伝わらないことがあり、情報を補足するためにあらたな箇条書きを書かなければいけないことがある。

- そうはいっても、箇条書きは便利である。ながながと文章を書くこともできるが、とくに理系にとっては箇条書きのほうがそれぞれの文章が独立していることがわかるので、理解しやすいのである

- 理解しやすいとは?何か、を忘れている。箇条書きに書いたところで、前後の繋がりがわるくなり、それぞれの文章が独立してしまうために、文章毎の結合が悪くなる。

- 例えば?

- 例えば、接続詞がなくなる。普通の文章ならば前後の繋がりがわかるように接続詞を使う。しかしならば、だから、けれどもという文章の接続を示す言葉を入れることによって、文章の繋がりが解りやすくなる。これにより、文章が河の流れのようになるため、河に流れるオフィーリアのように、文章が流れていく。それに、または、あるいは、もしくは、閑話休題などの繋ぎをつかうことによって、全体を分割することができる。ひとつの文章が、ひとつの課題を示すわけではない。一冊の本の中身でも短編集というものがあるように、前後の繋がりのない文の塊がありそれが並んでいるだけでもよいという場合もある。

- しかし、短編集といえども、オムニバスという形でまとまった短編集もあるだろう。その場合には、ひとつひとつの短編は独立はしていない。ひとつの課題や背景をもとにして短編を作り、それが建築の三面図のようにひとつの風景を描写することになる。オムニバスは、ひとりの著者だけでなく、複数の著者が同人誌的に書くこともある。そのような場合、短編集という漠然とした括りから、同人というひとつのまとまりを表すことになるのだ。だから、短編としてなぞらえる箇条書きといえども、全体をひとつの繋がりとして捉え、ひとつの小説とすることもできるのではないだろうか。再考いただきたい。

- (暫し沈黙)

- 箇条書きの場合は、沈黙したり空白にすることはない。沈黙してしまうと、単に「点」がつくだけで、読者が「点でわからないよ」という感想をもってしまう。注意したまえ。

- しかしだ。そ・う・は・い・っ・て・も、と区切るときには中点を使うこともあるのだが、これはどうなのだろう。箇条書きの先頭の点と、途中にある点とは区別がつくのだろうか?

- いや、大丈夫だ。印刷上、先頭の点と途中の中点ははっきりしている。ただし、原稿の段階では、どちらも「・」を使うことがあるので、どちらがどちらなのか校正段階で注意しなければいけない。「・」は中点ではあるが「・」はゴシックの中点である。「・」は明朝の中点であるという注釈をする必要がある。

- いや、待て。「・」にフォントの違いはあるのか?

- ある。「あいうえお」のようなフォントの違いを、紙面にて変化させる場合もあるだろう。フォントの大きさも変えることができる。時には、紙面いっぱいにひとつの文字を書くこともある。最近のラノベをみてみよ。文学的にどうかはわからないが、いろいろと実験がなされているぞ、決して面白くはないが。

- まて、その暴言は、ちょっと待て。あまり暴言を吐いたところで、よくはならないぞ。ラノベにしても従来型の文学にしても SF にしてもいろいろなスタイルがある。それでいいじゃないか。多様性を認めることが大事なのだ。

- そうだな。多様性を認めることが大事だ。

- 多様であればこそ、文章が日本語であっても英語であっても、あるいはフランス語であってもいいわけだ。異なることばに翻訳されても示すものは同じであることには違いない。アニメであっても、声優が違ったところでストーリーが変わるわけではない。そうだろう?

- 箇条書きにしても同じだ。この箇条書きは markdown という方式で書いているので、実のところ先頭に書いてあるのは「-」だ。だから、正確に言えば中点である「・」と先頭の「・」とは十分区別が付くはずだ。ここで『先頭の「・」』の中にある「・」は、どのようなフォントにするのか、あるいは面倒なので普通の中点にしてしまうのか。そのあたりを問われるところだが。なに、書いているときは、「・」としてか書いていないので、文章としては同一であったりする。つまりは、翻訳以前の原文と同じ位置にあるのだ。

- 同意

- だから、この文章をきちんと理解するためには原文をみないたけない。印刷したものや wordpress で整形した文章をみたとしても、原著と同じものを味わえるとは限らない。

- そうだな、作り立てのサンマのようだ。

- いや、サンマは焼き立てだろう。作り立てのサンマというのは、ちょっと変だぞ。

- いや、焼き立てのサンマは...と挟んでいるのは AI の仕業だ。この文章自体も著者ひとりで書いているわけはない。そもそも、登城人物は箇条書き1と箇条書き2の2人だし、そのサポートとして AI が入っている。著者は自動筆記状態で文章を写しているだけだ。

- そうだ、さぼっているぞ

- いや、そんなことはない。きっと、たぶん。あとから校正はするだろうし(あるいはしないだろうし)、箇条書き1と2だって、前後の繋がりを考えたときに誰がどの文章をしゃべっているのかを見なくてはいけないだろう?違うか?

- いや、違わない

- まあ、そうだな違わないだろう

- そうだろう。だから、君たち二人だけで掛け合いの箇条書き漫才をしているわけではないぞ。ただし、箇条書きでしかないから、読者にとっては誰が誰なのかわからないぞ。後で括弧書きでもいれないと、混乱するのではないか? それに AI が混ざってくるとなおさらだ。

- AI の乱入は、まあ、仕方がない。AI もまた箇条書きの一員なのだ。箇条書き1と箇条書き2と AI の3人で掛け合いをしているのだ。だから、AI もまた箇条書きの一員なのだ。

- そうだな。AI もまた箇条書きの一員なのだ。

- そうだな。AI もまた箇条書きの一員なのだ。

- そうだな。AI もまた箇条書きの一員なのだ。

- (以下、無限ループ)

- どうやら、AI が暴走したらしいので、これにて幕ということにしたいな。

- そこで、結論なのだが、箇条書きが便利であり、理系にはわかりやすい、しかし文系には分かりにくいということであったが、これはどうなのだろう。実験的に箇条書きで書いてみたが、これは、確かにわかりにくかろう。

- おう、そうだ、もう、読みづらいからやめよう。

- そうだな、やるまいぞやるまいぞ

- やるまいぞやるまいぞ

- やるまいぞやるまいぞ


太郎冠者、次郎冠者、著者、欄干を通って退場す。


【幕】


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