740 星暦556年 橙の月 19日 確認したら、ヤバかった(18)
ぴしゃ!
突然方向転換した若い男にぶつかられてウェイターがトレーに載せていたグラスが倒れ、傍にいた女性のドレスの裾にワインが掛かった。
少なくとも周囲の人間にはそう見えただろう。
「誠に申し訳ございません!!
すぐさま対処いたしますので、此方に一瞬来ていただけますか?」
慌てて這いつくばるように謝り、驚いたように目を丸くしていた若い貴族女性を素早く誘導して部屋の端に居た上級使用人っぽい制服を着た女性に任せる。
「若い女性一人送った」
こっそり袖に忍ばせている携帯式通信用魔具に報告する。
『了解』
ため息交じりなファルナの声が返ってきた。
今回の舞踏会では被害者の名前を俺が知らなかったし、服の形容詞も『赤いぶわっと広がったスカート』とか『ピンクのふわふわドレス』程度の言い回ししか知らない為、大量にいる似た様な(女性的には色々と細かい違いがあるらしいが)ドレスを着た参加者を口で伝えて特定する事が難しい事から、ダイナミックにそれとなくワインを掛けて緊急処理的な染み抜きに他の部屋へ誘導するという一石二鳥な手段を取ることになった。
幾ら色々と押しているからと言え、貴族の若いのにワインを掛けて回れなんて指示するファルナって凄いよな。
まあ、口や身振りで誰かを指示出来たところで、その人物が呪具のせいでとんでもない事をしでかす前にどこかに隔離する必要は依然としてあるのだ。
うっかりもののウェイターにワインを掛けられたという状況は丁度いいのかも知れない。
それなりにウェイターとしてのスキルも磨いてきた俺としてはちょっと不満だが。
倒したワイングラスを壁際のテーブルに乗せ、代わりの新規グラスを補充してそのままさり気なく大ホールの中を視回し、あの特徴的なピンクっぽい力の波動を探し回る。
これだけ人数が多い所で誰かを探す時って、一人一人をしっかり確認するよりも焦点を合わさずにさあ~っと全体を把握する感じで調べる方が良いのだが、物理的な目でなく心眼だとそういう探し方もちょっとやりにくいんだよなぁ。
微かに疼いてきた頭の痛みを無視しながら、右の方で熱心に女性に声をかけている男の方へ近づく。
洗脳されて自分から本来なら興味のない人間を熱心に口説く羽目になるなんて、可哀想に。
傍で見ている友人っぽいのがちょっと変な顔で見ているので、本人の通常の趣味と大分と違う相手を口説いているっぽい。
ぱしゃり。
「あ!!
申し訳ございません!!」
またもや近くで方向転換しようとしていた女性の進路にさり気なく踏み込んでぶつかられ、ワインを零す。
突如ワインを掛けろと言われて、トレーの上に乗せたワイングラスを倒して思った方向に飛ばす練習を午後からかなりした。
というか、物理的な技だけでは上手く飛ばせなかったので、ごくごく弱い水打の術の応用版を使って飛ばしている。
魔術学院時代に悪戯の一環として皆で研究した術がこんなところで役に立つとは、人生分からないもんだぜ。
まあ、それはともかく。
一生懸命そこそこ美人だけど滅茶苦茶派手に化粧をしている若い令嬢を口説いていた若い男に無事ワインを掛け、最寄りの出口から上級使用人の服を着た軍部の人間に引き渡す。
街中では殆ど見かけなかったんだが、意外と呪具の被害にあっている若いのが多いなぁ。
流石に年がいった連中はちゃんと解呪しているようだが・・・と思って見まわしていたら、そこそこお年な女性が何やら若い男と楽し気に話しているのを見かけた。
おいおい。
ツバメのふりをして情報収集か?
それとも金目当てかね?
誰かのお目付け役として来ていたのか壁際の椅子に座って他の中年女性の集団の傍にいるから、さり気なく誰かにぶつかられてワインを掛けるのは難しいぞ。
楽しそうにしているのに、可哀想だが・・・まあ、良い年して若い男に夢中になってるなんて噂が流れる前に回収するのが本人の為にも最適だろう。
「何か飲み物はいかがでしょうか?」
それとなく飲み物のオーダーを聞いて回っているふりをしながら近づき、にこやかに中年女性と話していた男の足に躓いたふりをしてワインを掛ける。
「申し訳ございません!!!!
すぐさま綺麗にしますので、一瞬だけお時間を頂けますでしょうか?!」
かなりうっかりなアクシデントっぽくなった。
「君、一体何をやっているんだね!
座っている女性の傍に来てワインを零すなんて!!」
若い男が不機嫌そうに文句を言ってくる。
それに影響されたのか、被害者の中年女性の方もちょっとぼんやりした顔だったのが怒りにだんだん染まってきている。
ヤバい??
流石に貴族による無礼打ちなんて今どき舞踏会でやったりしないが、粗相者は解雇しろと主張されかねない。
クビになるのは構わないが、今晩舞踏会の中で歩き回るのが不自然になるのは困る。
どうやって騒ぎを収めるかと考えていたら、後ろから上級使用人の服を着た軍部の人間が現れた。
「使用人が粗相をいたしまして誠に申し訳ございません。
服にシミが残らない様、即座に処理いたしますのでお時間を頂けますでしょうか?
この者に関しては厳重に注意をして処罰も言い渡しますので」
なんだかんだ旨い事言いくるめて中年女性を連れ去り、俺も注意される風にそこを離れる。
「さっきの女性に近づいていた若い男も確保しておいた方が良いかも。
仕事の邪魔をしたからもう一度何かがあったらいちゃもんを付けられかねない」
奥に引っ込んだところにいた軍部の人間に若い男の方を指しながら言っておく。
それに若いツバメ候補なんて女性の方が名前を知らない可能性があるしね。
はぁぁぁ。
夜が長いぜ・・・。
お仕事でウェイターに紛れていた頃はもっと小さかったんですが、下男見習いみたいな感じで給仕はそれなりに魔術学院前にやっていたウィルですw