564 星暦555年 翠の月 4日 台所用魔道具(7)
「いらっしゃい」
ドリアーナの裏にある通りに面した勝手口を入ったら、初老の男が迎えてくれた。
「お久しぶり、ドリアス。
これからよろしくね」
デルブ夫人がそこそこ親し気に男に話しかけた。
ドリアス?
ということは、これがドリアーナの料理長か。
2日程前に『料理用の魔道具の開発で協力しても良い』という返事が来て、その後は主にアレクがデルブ夫人と一緒にドリアーナ側の代表としてゼナと相談してどういう形で協力していくか(というか俺たち的にはどういう形で賄い食を得るか)を決めて契約の形に纏めてきた。
で、今日が契約を正式に締結する日なのだが・・・色々と話し合ってきたゼナが居ないのは意外だな。
奥に居るのかな?
ドリアーナ側としては開発に関する要望をどのように形にしてもらうかと、どうやって俺たちがドリアーナの名前を悪用しないように契約を纏めるかといったそこそこ重要な点があったため、『賄い食を提供してくれ』という一点しか要望が無い俺達と違ってそれなりに真剣に契約の詳細を纏めていたんで今日も最初に出てくると思っていたんだけどな。
ドリアスと俺達でお互いに紹介しあった後に奥の調理場に行って他の人間にも紹介されたが・・・やはりゼナはいなかった。
「ゼナは?
今日は自慢のコンソメスープを飲ませてくれると言っていたのに」
全員の紹介が終わって、デルブ夫人が首をかしげながら尋ねた。
ドリアスが肩を竦めた。
「ゼナとしては珍しく寝坊したのか、まだ来ていないんだ。
スープはまたの機会にしてくれ。
代わりにレバーのパテの試作品を試してみないか?」
お。
パテか。
スープよりも腹持ちしそうで良いかも。
ということで、さくさくなまだ温かいパンにパテを塗って食べながら、契約の詳細を確認していった。
「賄い食を食べさせるだけで、便利な魔道具を作ってくれるというのなら俺たちにとってはかなりありがたい事だが・・・本当に良いのか、それで?」
詳細を確認して、契約に署名をする段階になってドリアスが不思議そうに再確認してきた。
「開発した魔道具はそれはそれでちゃんと売りに出しますので。
魔道具からの利益を分けないのですから、我々としては使い勝手やどんな魔道具が必要かの需要に関する情報を貰えることで十分得るものがありますから、賄い食だけで十分です」
にこやかにアレクが答えた。
台所用魔道具で大々的に儲かるとは思っていないが、ある程度は収入になるはずだ。
俺達にしてみたら色々と需要を直接知ることが出来れば適切に売れる魔道具が作れる可能性が高いのだから、10日に一回程度こちらに来て賄い食を食べながら魔道具の改造について話し合うのは十分満足できる取り決めだ。
まあ、一般に売り出す時は魔道具の仕様をもう少し安上がりなものに仕上げる可能性は高いが、貴族の料理人とか本格的な食事処に売り込むのに高級版を売りつけるのもありだし。
ふふふ~。
なんと言っても、ここの美味しい食事を定期的に食べられるからな。
満足だぜ。
このパテも素晴らしく美味しいし。
話し合いしながらつまみ食いみたいな感じで手軽に美味しい試食品を食べられるとしたら更に嬉しい。
そんなことを考えながら、にこやかに契約を締結して俺たちは立ち上がった。
「結局、ゼナは来なかったわね。
具合が悪いのかしら?」
首を傾げながら呟いたデルブ夫人の言葉に、ドリアスが眉をひそめた。
「昨日の晩、帰宅した時には特に不調そうな様子はなかったのだがな。
誰か下働きの人間を見に行かせよう」
「じゃあ、私も一緒に行くわ。
病気で寝込んでいるんだったら手が必要かもしれないし」
デルブ夫人が手をあげた。
どうやらゼナとデルブ夫人ってかなり仲がいいみたいだ。
まあ、その方が魔道具の改造に関する話し合いでも色々と忌憚なく話し合えて良いだろう。
しっかし。
10日に一回俺たちが来る際にデルブ夫人も一緒に来ることになっているんだが、そのうちケレナも来たがるんじゃないかなぁ?
流石に開発に関係ない人間を連れてくるわけにはいかないだろうが・・・ちょっとしたお土産程度で何か持ち帰らせてくれるだろうか?
まあ、デルブ夫人がそれなりに美味しいものの作り方を聞いて家で実験してくれるんだろうけど、それでケレナが満足してくれるかなぁ・・・?
台所用魔道具の開発は一応これでひと段落ついた形です。
次回からもちょっと違う方向に続きますが。