538 星暦555年 紫の月 17日 重要な確認作業だよね(10)
>>サイド 青
「こちらがギルドの方で見つけた追加の資産です」
愛人との別荘やザルガ共和国の事務所から見つかった宝石や金貨、美術品及び投資関係の資料の一覧表を子爵夫人に差し出す。
夫人はそれにさっと目を通して、ため息をついた。
「これ程に・・・。
当家や夫の実家から横領した金額よりもかなり多くなっていますね。
それなりに有能な人間だとは思っていましたが、これほど事業の才能があったとは」
まあ、婿子爵が事業で成功したのは才能と言ってもあまり人には言えないタイプの才能を活用してだからな。
小さく咳ばらいをして、追加の資料を取り出した。
「子爵は取引相手や競業相手の従業員を調べさせて、脅迫できるような情報を入手してそれを事業の成功につなげていたようです。
脅迫に使った情報にも活用する気があるのでしたら資産価値がありますが・・・そちらも資産としてお引き取りになりますか?
資産と見なすのでしたら我々の報酬の計算にも含めますが、不要なのでしたらこの場で燃やします」
さて。
子爵夫人はどう出るかな?
情報というのは力でもある。
これらを使うつもりはなくても、手元に置きたいと思う人間は多いだろう。
ザルガ共和国の事務所にあった情報は事業関連のささやかなものが多かったが、愛人との別荘宅にあった脅迫資料にはアファル王国のそれなりの地位にいる人間に関するものも含まれていた。
子爵夫人は脅迫資料を手に取って目を通し始めたが、直ぐにやめて立ち上がって暖炉に向かった。
「このような物を使っていたのですか。
聞き上手な社交的な人だとは思っていましたが・・・こういう情報を自分から求めて活用する人だとは思っていませんでした。
本当に私はあの人のことを全く分かっていなかったのですね」
ばさっ。
潔く資料を全て暖炉の炎に投げ込みながら、子爵夫人がつぶやいた。
おお~。
燃やすか。
まあ、その方が確実に情報が悪用されないからな。
もっともギルドが写しを作っていない確証はないが。
少なくともあれを我々にそのまま返すよりは責任のある態度といって良いだろう。
「あと・・・ザルガ共和国というのは色々な薬が発達した国なのですが、あちらの事務所にあった資料によるとどうも子爵は自白剤のような口が軽くなる薬と・・・避妊薬を定期的に購入していたようです」
あちらの事務所で見つかった医療関係の購入資料を調べたところ、毒は買っていなかった。
ただし、避妊薬を買っていたというのが微妙なところだ。
避妊薬だったらアファル王国でも入手できる。それを態々他国で買っていた理由は何なのか。
娼婦ギルドの人間に確認したところ、ザルガ共和国の薬の方が副作用が無く使用者への負担が軽いという話だったが、副作用が軽いからあちらで購入したと考えるよりは・・・購入の事実が絶対に明らかにならないようにしたかったのではないかと考える方が真実に近いだろう。
子爵夫人も同じ結論に達したようだった。
「避妊薬・・・?!」
茫然とこちらの言葉を繰り返した子爵夫人が、突然身をひるがえして暖炉の上に飾ってあった彫刻をつかみ、壁に投げつけた。
「貴族の女にとって、家を継ぐ子供を産めないということがどれほど苦痛な事だか。
嘆く私をあれほど親身になって慰めていたあの男が、実はその私に避妊薬を盛っていたというのですか?!」
まあ、その可能性は高いだろうなぁ・・・。
傍にあった置物や花瓶を薙ぎ払い、踏みにじりながら子爵夫人が怒り狂った声を上げるのを見ながら、子爵の将来に思いをはせた。
こりゃあ、暗殺ギルドに話が行くかもなぁ。
普通の横領事件ならば、横領した金額に利幅を乗せた資金を返済できる今回のような事件だったら資金のやり取りで話が終わる事が多いのだが、子爵家の後継を意図的に歪めようとしたとなったら単なる横領と浮気の話では済まない。
「そこまで憎まれるようなことを、私がしたというのですか?!
学院で声をかけてきたのだって、愛をささやいてきたのだってあちらだったのに!!!
・・・たまたま子供が出来なかったから自分の血を引いた息子を跡取りにしたいと考えたというのはまだ分かりますが、避妊薬まで使うというのは単なる偶然ではないでしょう」
怒りが尽き、疲れたように椅子に身を投げ出した子爵夫人を見て、ギルドで調べたことを伝えることにした。
「ガバルト商会の当主を買っていた先代の子爵殿は、あそこの次男が優秀だと聞いて婿に迎えても良いと十数年前に持ち掛けたそうです。
その時点で次男には婚約者がいたものの、当然のことながらガバルト商会の当主はその婚約の破棄を決め、次男に子爵令嬢の愛を勝ち取れと命じられたとか。
どうやら当代の子爵殿は父親の命令に反することはしなかったものの、恨んでいたようですね」
個人的に子爵令嬢を恨んではいなかったのだろうが、報復を思いとどまらない程度には八つ当たりの対象にしていたのだろう。
暫し沈黙して下を向いていた子爵夫人はやがて顔をあげた。
「・・・私の苦しみはおまけということですか。
まあ、今となってはあの男との子供を産まなかったのは幸いだったのでしょうね。
自分の父に逆らう根性もない癖に、妻に薬を盛り、人の弱みに付け込んで金を儲けるような情けない男だったとは」
まあねぇ。
明らかにこの子爵夫人は被害者だ。
・・・やっぱり暗殺ギルドに話が行くかな?
この女性は大人しく踏みにじられるようなタイプではない気がするぞ。
そんなことを考えながら、脅迫資料を除いた資産に対する報酬を伝え、受け取って帰った。
無一文の状態で離縁され、軟禁から解放された元子爵が酔いどれて誤ってスラムに踏み込み、狼藉にあって男として再起不能な状態になったと聞いたのはそれから2月程後のことだった。
これでこのエピソードは終わりです。
ウィル達は資料をギルドに渡しただけなので購入した医療品が避妊薬だったことすら知りません。