393 星暦554年 藤の月 19日 旅立ち?(34)
「ここが甘い物なら一番だって話だ」
表通りから一本裏に入ったところにある店の前で、スリ小僧が俺の顔を見ながら言った。
いやさぁ。
美味しい食事処と喫茶店を探しているのはシャルロだぜ?
情報を求めたシャルロか、術を掛けた(と思われている)アレクの顔を見て言うべきじゃないか?
「何がお勧めなの?」
シャルロが楽しげに聞いてくる。
「さあな。入ったこと無いから知らないが、リンゴのシナモンパイが気が遠くなるほど美味しいってアズラの姉さんが言っていた」
ガキンチョが肩を竦めて答える。
気が遠くなるほど、ねぇ。
それって素晴らしく美味しいのかも知れないが、想定外に不味いと言う可能性もあるぞ?
あれだけアレクが脅したので、この小僧が態と不味いところに連れてくるとは思わないが、その『アズラの姉さん』とやらが冗談で不味いところの話をこいつにしていたらどうするんだろ?
「じゃあ、入ろうか!」
シャルロがウキウキしながら店に入る。
アレクも何も言わずに続く。
スリ小僧は二人を見てから、『どうすんだよ?』とでも言いたげに俺を見た。
俺も聞きたいよ。
まだ食事処の方を教えて貰ってないから解放しないと思うが、こいつを店に連れて行くのか?
腹すかせているこいつの目の前で甘い物を美味しそうに食べるのは酷な気がするが、かといってスリに失敗した野郎に甘い物を奢ってやるというのも違うだろう。
・・・どうするんだ??
取り敢えず、小僧に二人の後を続くよう顎で示し、最後に続く。
シャルロも何か考えているんだろう。
多分。
「美味しい!!!」
お勧めのリンゴのシナモンパイとやらを頼んだシャルロが、それを一口食べて目を輝かせた。
どうやら、『アズラの姉さん』の評価は正しかったらしい。
ふむ。
『美味い物』なんていう、ある意味生存に関係のない情報をちゃんと入手できてるこの小僧はそれなりに見所があるのかも知れないな。
「港近辺で、生地や服を買うのに良い店はどこだ?」
クッキーを一つ手に取って持ち上げて見せながら尋ねる。
客層や店の内装を注意深く見回していた小僧の目が一気にクッキーに吸い付けられた。
甘い物なんて殆ど食べたことはないだろうからなぁ。
まあ、学院入学前の俺ぐらいの腕になれば、非常食としてクッキーを備蓄するということもあるが(缶に入れておけばパンよりも長持ちする上に少量で腹が膨れるからね)、そこまで腕が良い様子ではなかった。
第一、大人の当たり役を必要としている時点で儲けの殆どはそいつに奪われているだろうしな。
先輩として言わせて貰えば、当たり役なんぞ必要の無いレベルまでスリの技術を磨かないことには、その職業は長続きはしないぜ?
とは言え、どちらにせよスリなんて将来性は無い仕事だ。
この喫茶店を選んだ情報収集力が確かな物ならば、これから東の大陸で事業を増やしていくアファル王国の出先機関が使えるかも知れない。
こちらはちょっとした情報源を安価に確保でき、こいつも飢え死にしないし殺される確率の少ない仕事を得ることが出来るかも知れない。
どちらにせよ、情報収集力がしっかりしているということが前提条件だが。
「港の傍にあるザイールの店は正直で物も真っ当だ。
高級品が良いなら商業街の一番通りにある、スーン商会が良いらしいぜ」
クッキーから目を離さずに小僧が答える。
・・・考えてみたら、俺たちが入った店の名前ってなんだったんだ?
悪くなさげな店をやっと見つけて入ったんだから、あれが『良い店』に入っているか確認しようと思ったのだが、そう言えば店の名前を見てなかった。
アレクだったらそこら辺は抜かりが無いだろう。
そう思って右をみたら、面白げに笑いながら、アレクが頷いていた。
お?
俺たちが入った店だったのかな?
取り敢えず、クッキーを小僧に渡した。
「そう言えば、名前は?」
「バルダン。
そう言うお前は何て言うんだよ?」
おや?
何やらビジネスの匂いを嗅ぎ取ったのか、名前を聞いてきた。
裏社会の人間は自分の名前なんぞ教えないし、相手の名前も聞かない。
名前を聞かれたら適当に思いついた名を名乗るのが当然なのだが、もしかしたらバルダンというのは本当にこいつの名前なのかも知れないな。
少なくとも、通り名として使っている可能性は高そうだ。
「ふむ。
彼はウィル。私はアレク、そしてこちらはシャルロだ。
今日一日、街の案内役として雇おう。
銀貨1枚でどうだ?」
俺が何か言う前に、アレクが答えた。
へぇぇ。
アレクもこいつが使えると思ったようだ。
だが。
スリを現行犯で捕まえた奴を雇うのに、銀貨1枚は出し過ぎだぜ?
まあ、良いけどさ。
裏社会とのどっぷりとした関わりには発展しませんが、ちょっとした現地情報源ゲット?