036 星暦550年 赤の月 10日 別邸
世の中、汚いモノを見ずに奇麗なまま成功できる人間ってあまりいない。
『汚い裏なんて知りません』なんて顔をして成功している人間は、とてつもなくラッキーな人間か、単なる嘘つきか、誰か代わりに汚れ仕事をやってくれる者がついている人間かだ。
ウェスト・ヴィストは芸術家とか音楽家といった創造性に富んだ(少なくとも自己評価では)連中が多く集まって住んでいる地域だ。
主に住んでいるのはそう言った人間だが、そういった刺激的な環境を楽しむ為にパトロン層の人間がここに居を構えることもある。
どうやらシェフィート家の次男はそんなタイプらしい。
別邸と言うことだから本宅は別にもっと普通の高級住宅地にあるのだろうが。
ウェスト・ヴィストは住民の生活時間が定まらない地域なので盗みに行くにはあまり向いていない場所だ。
絵描き系は自然の光を重視するから早朝から起きているし、音楽家は演奏関係の催しが夜にあることが多いので夜型人間だし、物書き系は思い思いに好きな時間に起きてくるし。
普通の街のように、『寝静まりかえる』という状況が無い。
しかも創造活動がうまくいっていないと意味もなく掃除をしたり周りをスケッチしたり散歩に行ったりするし。
はっきり言って盗賊にとってはやりにくいことこの上ない。
盗むモノがあるほど成功している住民も少ない。
かといって下町ほど生活費は安くない。
だからここは俺にはあまり馴染みがない地域だ。
夜を待ったところで大して忍び込み易さに違いが無いので、質素な服にぼさぼさ頭、絵具が微妙に顔や服に残っている『絵描き』姿でそのまま歩いて入って行った。
次男の別邸はウェスト・ヴィストの西端寄り。
隣にカフェがあったので、店に入ってお茶を飲みながら人の出入り等を確認することにした。
普段だったらギルドの仕事にせよ個人的な仕事にせよ、入る前に何日かかけて標的の習慣や人の出入りのタイミングを確認するのだが、そんな暇がない。
今日盗って明日の晩にでもアレクに渡す分には『ギルドに話を繋いだら早速盗ってきてくれた』で済むが、俺が3日休んだ後に渡したら俺が盗んできたのはもろバレだ。
失敗して捕まったらさらに不味いけどさ。
そうならないよう、短期決戦覚悟でカフェに座り込んで隣の家を注意深く心眼で視る。
人間は・・・4人。
召使いらしく掃除をしながら動いている人間が1人、あまり動いていないが座って書類とにらめっこをしている執事か家政婦らしき人間がもう一人。
あとの二人は警備だな。
一人は正面のドアの横の部屋、もう一人は2階の階段のところにいる。
肝心の社印は、どこだ?
あまり焦点を合わせず、輪切りにして撫でるような感じに家を視ていく。
魔力の込められた物は心眼に発光して視えるので一つ一つの物を確認するより、長から貰った社印の印と同じ色の発光源を探す方が早い。
地下室には無かった。
時々、ワインセラーに隠す人間もいるのだが、次男はワインセラー派では無かったらしい。
1階は来客と使用人が一番出入りの多い場所だから物を隠すことに使われることは少ない。
が、裏をかいて・・・ということも有りうるので一応探したが、無かった。
やっぱね~。
2階には書斎と次男の寝室があるのでどちらかが怪しいと思ったのだが・・・無かった。
あれ?
本当にここにあるんだろうね、長~。
3階は客室が幾つか。
魔力のこもった物自体が一つも無い。
4階は使用人の部屋とかだからあまりそう言うところに重要な物を隠すとも思えないんだけどなぁ。
長の情報を微妙に疑いながら4階を探したら・・・あった。
すいません、疑って。
使用人用の裏階段の横に何故か隠し部屋があった。
なんだこれ。
別邸に隠し部屋だなんて。
お茶目で作ったのか、それとも盲点ということで業とここにやばいものを隠しているのか。
社印を取りに行く際についでに中を漁ってみよう。
どうせ社印を取り返した時点であの部屋に誰かが忍び込んだことは明確になるんだから。
さて。
隠し部屋ということは使用人が掃除に入ってくる可能性は低い。
警備の人間にもその部屋のことは知らせていないだろう。
となったら次男本人が帰ってこない限り忍び込んでも大丈夫だが・・・。
社印の傍にいて安全を確認したがるか、それとも近づくことで隠し場所がばれることを恐れて離れているか。
どっちに行動するかな、次男は。
・・・ま、どちらにせよ取りに行かなきゃいけないんだ。
それこそ本人がポケットに忍び込ませて歩きまわるなんてことをしないように早い目に取りに行くか。
別邸の外壁と周囲からの目を分析する。
人に見られずに登れる場所は・・・東側の煙突の横が陰になって殆ど周囲からの視野に入らないな。
そこをつたって屋根まで上がるか。
流石、金持ちの持ち物だけあって周囲の建物よりも高いのが幸いした。屋根まで登れば周りからは完全に死角になる。
今の時間なら使用人が自分の部屋に戻ることもないだろうから屋根から南の窓経由で中に入れば隠し部屋まで直ぐだな。
と言うことでお茶を終わらせて、何食わぬ顔をしてカフェの裏にあるトイレを借りる顔をして別邸の庭へ入り込んだ。
目をつけておいた煙突から登り、屋根から4階へ。
あっという間だった。
うん、まだ腕は錆びていないようだ。
良かった。
隠し部屋の扉は階段の上に飾ってある風景画の後ろにある取っ手を押したら開いた。
中にあったのは長が使っていたような極めて実用的な机と天井まである大きな本棚。
書類が大量にファイルされている。
社印は脇にある小さな本棚に置いてある本の中をくりぬいて隠してあった。
悪くない隠し場所だが・・・魔力が込められた物を隠す時は魔力緩衝材で心眼に発光するのを防がなきゃ。
次男はそのことを知らないのか、それともここなら魔力を持った人間が探しに来ることなど無いと思ったのか。
まあ、魔力を持っていれば見つけられるとは言っても、俺みたいに『見つける』訓練をしていない普通の魔術師(もしくはその卵)では魔力を辿って物を探そうなどと思わないかもしれないが。
社印を懐にしまい、部屋の中の書類を調べ始めた。
どうやら、ここは次男の本格的な隠し場所のようだ。
ライバル商家の新商品開発プランから貴族や警備隊の人間の弱み、シェフィート家の親族の愚行まで、色々と怖い情報が種類別に分類されてしまわれていた。
凄いな。
これだけの情報を集めるネットワークがあるなんて、いつでもシェフィート家から独り立ちして裏社会でひとかどの人物になれるぞ。
長がこれを見たら片腕に是非!とスカウトしそうだ。
弱みを握って脅迫するような情報だけでなく、シェフィート家に将来害を成すかもしれない相手の情報まで多岐にわたって調べてある。
どうやら、次男はシェフィート家に関係する裏側の情報を担当しているようだな。
家長に任されたのか、本人が必要だと思って自発的にやっているのか。
この情報を使って恐喝で金を得ていると思わせるような裏帳簿は無かった。
これだけの情報を持っていてそれを悪用しない精神力があるならば、次男はシェフィート家にとってかなり重要な人材かもしれない。
まあ、裏帳簿をつけてないかここに置いてないだけなのかもしれないが。
ここまで裏を知ってしまったら表でにこやかに素知らぬ顔をして家長をやるのは疲れそうだ。
長男が家長として上にたつに足る人間だと次男が判断するかどうかが重要なポイントになりそうだな。
もしかしたら今回の社印騒動も、次男の科したテストなのかもしれない。
これだけの情報があったら誰にも知られずに長男の足を引っ張りまくって失脚させるのも難しくなかった。
それなのに派手に社印を盗むなんていうことをやるのは、この部屋の持ち主の行動としては違和感を感じる。
ま、家長の目が厳しくって今まで機会が無かったのかもしれないが。
いつか会ってみたいものだな、この次男。
あんまり派手なアクションになりませんでした。
最初の予定ではもっとアクション系な話になるつもりだったんですが・・・。