194 星暦552年 桃の月 29日 年末
子供のころは寒くなってきたら金持ちの屋敷の屋根裏かクリーニング室に忍び込んで寒さを凌いだものだ。
学院の寮は暑さ対策はおざなりだったが、寒さ対策は完璧で暖房が建物内全てについていた。
あれには感激した。
で、今の家は。
暖房つけまくり。
折角寒い思いをしなくていいんだ、つけない訳が無い。
普通の家では各部屋に暖炉が付いていて、そこで火を灯すことで暖を取る。
だがこれだと廊下は寒いし、やはり寝ている間とかは勿体ないから火を消すので部屋が寒くなる。
そこでここに引越してきた時に我々は寮の時の暖房方法を取り入れることにして、家中にパイプを張り巡らせた。そこにお湯を流して部屋を暖めるわけだ。
一階のボイラー室にポンプをつけて、それが魔石で暖められたお湯を循環させる。
それなりに魔石の消費が激しいが、熱を発生させるっていうのは一番単純な力の形だから、効率は悪くない。なので3日に一度程度、魔石に魔力を充填させるだけ。
いいよ~家中が暖かいのって。
パディン夫人にも好評だ。流石に魔石の消費量を聞いて自分の家につけるのは諦めたみたいだけど。
普通に買ったら冬3か月分の魔石代で年間の家政婦としての報酬を超えるぐらいだからね。
ま、それはともかく。
暖かい我が家で、お湯も常時完備しているから冬だろうと掃除は辛くない。
辛くないが……別に年末だからってそんなに頑張らなくっても良くない??
「いつも綺麗にしているのに、何だって今更そんなに力を入れて掃除をしているんだ?」
思わず、聞いてしまったよ。
「年末の大掃除っていうのは主婦や家政婦の本能らしい。口を出しても無駄だよ」
アレクが横から説明した。
「なにそれ?」
「私も母に一度聞いたことがあったんだけどね。あまり納得の出来る説明は貰えなかった。取り敢えず彼女たちにとっては抗えぬ本能のようだから、邪魔にならないようにしておくしかないようだよ」
くすくすとパディン夫人が笑い出す。
「いいですね、本能ですか。殿方には幾ら説明しても分かってもらえないようですから、そう言う方が簡単かもしれませんね」
「だって十分清潔じゃない。いつでも手を抜いていないでしょ?」
通りがかったシャルロまでついに参加してきた。
「年の初めを綺麗に迎えたいという心構えの一つだと思って下さい。『年の終わりだ』と思って掃除すると普段は手間をかけないことも気になってくるので、家がよりきれいになるんですよ」
別に、よりきれいにする必要も無いように思えるがねぇ。
ま、この大掃除の分特別報酬を請求されているわけじゃあないんだが。
「年初はお休みをいただいていますが、お食事は大丈夫ですか?ここら辺の店はみな閉まっていると思いますが、何か日持ちのするものを作り置きしておかなくて本当にいいんですか?」
既に年初の休みのことは話してあるのだが、良心的なパディン夫人は気になるらしく、再確認してきた。
「ああ、いいのいいの。アレクの家で年末のパーティを従業員の人たちのためにやるらしいんで、それに混ぜてもらうことになっているんだ。そのままその晩は泊めてもらうから。1日は王都で適当に神殿回りながら露店の食べ物を買い食いして回る予定」
本当はシャルロとアレクは各々の実家に戻る予定だったんだが、俺が年末を一人家でのんびりするつもりだと知って急遽予定を変更したんだよね。
そんなに年末が一人だと寂しいと思われるのかねぇ?
今までだって一人だったんだが。別に普段の日だって一人でのんびり本を読んでいたり鍛冶に専念していたりしていることも多いのに、何だって年末年始だけは特別なのか、微妙に不思議だ。
ま、これも抗いがたい本能の一つ?
というか、彼らにとって年始を親しい人と過ごすというのが常識であり、それが出来ないというのは可哀想なことなのかな。
盗賊にとっては年始って言うのは人の出入りが激しい上に酔っ払いも多く、稼ぎ時なんだけどね。スリって普段はあまりやらなかったんだが、年初の人ごみは稼ぎ時だったから俺も蓄えが十分に無い冬には手を出していたもんだ。
俺の育ってきた環境に『年末年始は親しい人と過ごす』なんていう常識は無かったから別に一人で過ごしても構わないんだが、変に同情されるよりは流れに逆らわずに一緒にすごす誘いに乗ったほうが楽だ。
ま、それに楽しそうだしね。
学院にいた間は寮で年末パーティがあり、年始は二日酔いですごすのが殆どということだったのでアレクもシャルロも気にしていなかったのが、今回寮を出たウィルが年末を一人で過ごそうとしていると聞いて引きずり回すことにしたという設定。