176 星暦552年 緑の月 24日 盗賊、雇います(2)
学院長視点が続きます
「どうしたんですか、至急だなんて。しかも誰にも見られるなって何かヤバいことでも起きているんですか?」
長い教師生活の中でも特に特徴的な教え子がひょいと廊下から姿を現した。
「ウィルか。よく来てくれた。入って扉を閉めてくれ」
睨んでいた書類から顔を上げて、アイシャルヌが若い魔術師に部屋へ入るように指示する。
肩をすくめながらウィルが部屋に入り、いつもの椅子に座りこんだ。
・・・相変わらず、音を立てない男だ。
これだったらまだ現役として役に立ってくれると・・・期待したい。
「実は、お前にどうしても手伝ってもらいたい事件が起きた。勿論、報酬は出す。だが、誰にもこれから話すことを漏らさないと誓約してもらいたい」
ウィルの右眉が驚いたように引き上げられた。
「まあ、そりゃあ学院長が極秘だって言うんだったら誰にも洩らしませんが・・・いいんですか、元盗賊にそんな重要な話をして?」
「元盗賊だからこそ頼みたいんだ。とある物が盗まれた。それを盗み返してもらいたい。だが、非常に危険なモノなので、盗賊ギルドの長にも、お前の親友たちにも誰にも相談出来ない。これから話すことは死ぬまでお前一人の胸の中に秘めると誓ってくれ」
肩をすくめながらウィルは立ちあがって学院長の傍により、右手を自分の胸に当てながら左手をアイシャルヌの手に重ね、誓約の術を唱えた。
「我、ウィル・ダントールはこれから聞くこと、知ること全てを誰にも洩らさず、知らしめることなく秘密を保つことを誓う。誓約したり」
「誓約したり」
アイシャルヌの声がウィルのと重なり、二人の魔力が混ざり合いウィルの中へ吸い込まれていった。
2人の魔術師が協力して行う誓約は本人だけでなく証人の魔力もが術を守るため、破ろうとした場合ほぼ確実に破約者の命を奪うことになる。
よって余程のことが無い限り使われない。
・・・外交の状況で使われると『無条件降伏』の代名詞であることを考えると笑えるが、商業でも婚姻においてでも、使われることは滅多にない。
「で、どうしたんです?」
アイシャルヌがお茶を淹れるのを見ながら若い魔術師が尋ねた。
「沈黙」
部屋に防音の術をかけてから紅茶を手に、ウィルの向かいのソファに学院長が座った。
「皇太子のことをどう思う?」
「さあ。俺にとっては関係の無い人ですから。あまり悪い噂も聞かないから、まあ王族としては平均というところなんじゃないですかね?」
「次男のセリダン殿下のことは?」
ウィルが顔をしかめた。
「下町で悪い意味で良く知られた殿下ですよ」
アイシャルヌが小さくため息をついた。
「ウォルダ殿下は次期国王としては・・・及第点ではあると思う。それなりに人を見る目があるし、王家の人間にしては良識もある。戦場に自ら立ったことがあるから戦争と言う物の現実も多少は分かっている。
だが。
あの人は少しロマンチックな傾向がある。流石に中年になり、国王の責務の一部を手伝うようになって大分落ち着いてきたようだが・・・若い時はかなり夢見がちなところがあった」
ウィルが皮肉げに苦笑した。
「夢見がち、ですか。まあ、俺から見たら貴族のお坊っちゃま達は皆それなりに現実から一歩離れているところを歩いている人が多いと思いますけどね」
「それなりの領地を継ぐべく育てられた人間なら、大抵はそれなりに必要に応じた危機管理と言う物を学ぶ。皇太子殿下は・・・それを学ぶのが少し遅かった」
というか、どうやら学び足りてなかったようだ。
「ウォルダ殿下は若い時に聴講生として魔術学院に時々授業に参加していた。そこでとある令嬢に会い・・・恋に落ちた」
「皇太子の隠し子ですか?」
「ただの隠し子ならばまだしも、この令嬢は有力な公爵へ嫁ぐことが決まっていた。だが禁断の恋に二人の想いが募り・・・どうやら最後の一線を越えてしまったようだ」
ウィルが苦笑した。
「まあ、魔術院での知り合いだったら『初夜』の為の必要な物を再生させるのも可能だったでしょうしね」
「流石にそれは本人には確認していないが・・・その女性と後の夫がそれなりに友好的な関係を保っていたことを考えると多分その通りなんだろうな。
だが、問題は二人は赤子を殺せなかったことにある」
「・・・とても健康な『未熟児』ですか。良かったですね、魔術師が母親で」
「だが、王家の血を引いた人間が現在公爵の後継ぎとして国の防衛の要になりつつあるのは・・・不味い。しかも、その事実を示唆する手紙が盗まれた」
ぶっ。
ウィルの口から紅茶が勢いよく吹き出した。
ため息をつきながらアイシャルヌはウィルへ布巾を投げてよこした。
「そんなヤバいことを手紙に書いたんですか、その女性?!しかもそれを殿下は捨てなかったんですか!!」
「以前相談を受けた時は、直ぐに彼女との一連の手紙を全て燃やすよう助言したのだが・・・。一番不味いのを保管していたらしい。『未練』なんだそうだ」
あきれ果てたように、テーブルを拭いた布巾を洗濯箱へウィルが投げ込んだ。
「バカですね」
「馬鹿だったな。
まだウォルダ殿下のお子様は幼い上に病気がちだ。ここ数年の間に国王陛下にもしものことがあった場合・・・世継ぎとして、既に成人している上に次期公爵として広大な領地の統治に既に参加している人間の方がふさわしいという話になりかねない」
「そんなこと言っても、庶子でしょう?幾ら成人していたって・・・」
ウィルが驚いたように聞き返した。
「ファルータ公爵家なんだよ、その女性が嫁いだ先が」
ファルータ公爵の祖母は王家から降嫁した人間だった。
元々ファルータ公爵家は国の南方の要である大貴族で、それこそ王家の直系の人間すべてに何かが起きた場合は次期国王として立ってもおかしくない人物だ。
その後継ぎが実は次期国王の落胤。
しかもファルータ公爵家と言うことは、その公爵の従姉妹であり、同じく王家の血を引くダナステ侯爵の長女が皇太子の禁断の恋の相手ということになる。
「ヤバい可能性が高すぎて、頭がくらくらしてきますね・・・」
深くため息をつきながら、ウィルはお茶を再び手に取った。
「まだ情報が公になっていないと言うことは、盗んだ人間は国内の者であり、殿下を脅してその力を利用しようと考えている可能性が高いと私はみている。
・・・もっとも、内紛を引き起こさせて都合の良いタイミングで介入する為に準備中なのかもしれないが。
とりあえずは、王都に常駐していてかつ皇太子を脅して権力を得ることが可能なだけの地位にある貴族の家を探して回って欲しい。
私も他の情報からなんとかターゲットを絞れないか探す」
「どのくらいの数を回らなければならないんです・・・?」
力なくソファに身を沈めながらウィルが尋ねた。
「まずは20と言ったところかな」
ぷしゅ~。
ウィルの口から気の抜けた音を立てながら息が漏れる。
「とりあえず。そのバカ殿下に会えますか?後生大事に取っていたということはその手紙を時々触っていたんでしょう?魔術院に聴講生として来ていたと言うことは魔力が少しはあるんですよね?」
「触っていた程度の魔力で探せるのか?」
「20件もの屋敷に隠されている書類に全部目を通すよりは早いですよ。確実に!」
ヤケクソになってくれるなよ、ウィル。
ため息をつきながらアイシャルヌは立ちあがった。
さ~て、どんな理由をつけてこの若いのを皇太子に会わせるか・・・。