175 星暦552年 緑の月 24日 盗賊、雇います
今回は学院長の視点からの話になります。
「あの手紙が盗まれた」
学院長室へ誰の案内もなしに突然入ってきた長身の男が、扉を閉めて学院長に向けて言い放った。
期中テストの結果の報告に目を通していた学院長はゆっくりと書類を机の上におろし、男へ目を向けた。
「・・・お座りになって下さい、ウォルダ殿下。今お茶を淹れましょう」
顔を隠すように襟を立てたコートを着たまま、皇太子は学院長の前の椅子に身を投げ出して頭を抱え込んだ。
「あの手紙・・・とは某南方の令嬢との熱に浮かされたやりとりですか?捨てるように助言したと思いましたが」
お茶を淹れる準備をしながら、学院長が皇太子へ尋ねる。
「彼女が嫁いだ時に、殆どは捨てている。ただ、子供が出来たと言う知らせをくれた最後の一枚だけは・・・捨てられなかったんだ。未練だな」
王家の常として政略結婚をした男が苦く笑った。
「未練どころか、破滅的でしょう。あの手紙の内容が公開されたら、国が割れますよ」
ため息をつきながら学院長は吐き捨てた。
特級魔術師として、アイシャルヌは若き皇太子の教育にも携わり、王子が星暦540年に勃発した隣国との戦争の前線に出ていた際にも共に闘ってきた。実のところは護衛として働いていたに等しかったが。
お陰で皇太子からの信頼は深く・・・時によっては聞きたくも無かった相談も受けてきた。
そのうちの最も知りたくなかった相談事トップだった、若き王子の熱に浮かされた恋愛ごとの残滓が・・・どうやら大問題を起こしかねない事態になったらしい。
「誰が持っているのか、目星は付いているんですか?」
「ガイフォード将軍かもしれない。先日、次の元帥職への興味を仄めかされた。でなければ、財務相のバルガン侯爵かもしれない。自分には宰相になる能力があるとこのあいだアピールされた。もしくはファルータ公爵か・・・?」
考え込んだ皇太子を見ながら、アイシャルヌはため息をついた。
次期国王ともなれば、すり寄ってくる人間は掃いて捨てるほどいるだろう。すり寄ってくる人間のどれがさり気無く皇太子の弱みを利用して自分の請求を通そうとしているのか、判断するのは難しい。
何事も裏の裏を読まねばならぬ宮廷言語のせいで、今回のような爆弾を抱えている場合どの程度まで裏を読めばいいのか、分かりにくくなってしまう。
「国を割って内紛を起こそうと思っている相手に盗まれたのでしたら、もう手遅れでしょう。こちらに接触して来ない相手ではあの手紙の内容が国中に知れ渡る前に取り返すのは無理です。
ですから、とりあえずは殿下に直接はっきりと要求を突き付けてくるまで、待つしかありませんね」
「だが・・!」
アイシャルヌの後ろ向きな言葉に皇太子が憤慨したように立ち上がった。
「とりあえず、宮廷の誰かが怪しい動きをしていないかは探りますが・・・それ以上のことは相手が分からねば無理です」
大体、お前が悪いんだろうが!
南の国境の守りの要である公爵の跡取り息子の婚約者に手を出した上、妊娠の知らせの手紙を後生大事に取っておいた上に盗まれるなんて、言語道断だ。
次期国王のくせに危機管理が出来ていないにも程がある。
密かに毒づきながら淡々と学院長は皇太子の抗議を切って捨てた。
「とりあえず、式を渡しておきますので、はっきりとした要求を受け取ったらそれに血を1滴たらして窓から投げてください。私の方も、出来る限りの情報収集をしておき、何か役に立ちそうな情報が出てきたらそちらへ伺います」
皇太子が隠れて魔術学院へ訪れていることがばれる前に、さっさと帰れ。
アイシャルヌの心の声を聞き取ったのか、皇太子は諦めたように小さくため息をつき、立ち上がった。
「頼む。迷惑をかけてすまない」
式を受け取った皇太子が無事学院を出たのを確認したのち、ため息をつきながら学院長は別の式を取り出し、送りだした。
「小さな盗賊を奨学金生として受け入れた時、こんなことに役に立つとは思わなかったな・・・」
ちょっと短いですが、区切りがいいので。