1306 星暦558年 桃の月 3日 保存(26)(学院長視点)
>>>サイド アイシャルヌ・ハートネット
「実は炎華がちょっと気になることを指摘したのだが……あの東大陸で拘束用に入手された呪器の研究はどうなっている?」
いくら魔術学院の学院長で特級魔術師であろうと、王立研究所に好きに顔を出して研究に首を突っ込める訳ではない。
なので先ぶれを出して、王立魔術研究所の責任者であるキヴァーナ・ヘルヌ伯爵の元へ顔を出した。
元々、アファル王国の魔術師を束ねているのは魔術院だが、王宮側の責任者として魔術省の大臣という職務がある。
王宮と魔術院との折衝を任されているだけで大した権力もなく、魔術師でないとまともに魔術院の連中とやり取りが出来ない。だがただの平民だと王宮側から軽んじられる。彼女は爵位持ちの魔術師という非常に少ない候補者の中から選ばれてしまった不幸な人間であると言ってもいい。
まあ、本人は気が向いた時に報告書を読むだけの仕事だと呑気に笑っているが。
「お久しぶり、アイシャルヌ。
どうしたの?」
ノンビリと読んでいた本から目を上げて、キヴァーナが尋ねた。
報告書ではなく本を読んでいる所が彼女らしい。
魔術省の大臣に就任するにあたって途絶えていた伯爵位を押し付けられたものの、領地を受け取るのは断固拒否したお陰で職場で本を読んで過ごして俸給を受け取れる気楽な仕事よ~と笑っていたが、本気で職場でも気楽に本を読んでいるようだ。
「炎華に言われてちょっと心眼で確認してみたら気付いたのだが、あの呪器は使うと薄っすらと黒っぽいモヤを出すだろう?
あれは瘴気らしい」
キヴァーナが本にしおりを挟んて閉じた。
「……瘴気?
王太子の結婚式の前に大騒ぎになって王都全体を水洗いする羽目になった、あれ?」
「まあ、そのごく薄い奴のようだが」
とはいってもあの汚染された薪だって燃やした時に出てきた瘴気はごく薄い物だった。
ただそれが煤や灰として凝縮されて纏まり、それを体に取り入れる生き物が居ると問題だっただけで。
今回の呪器は灰や煤が出る訳ではないので、凝縮されずに風に流される可能性が高いだろうが、使う場所などによっては問題が起きるかも知れない。無視するべき問題ではないだろう。
「あらいやだ~。
研究所の連中、気が付いているのかしら?」
眉を顰めてキヴァーナが呟いた。
「一応、サンプルの呪器の魔術回路がこれで、丸で囲った部分に魔力を通すと瘴気が発生するようだね」
自分がサンプルを持っていることはウィルにも認めていなかったが、フェンダイに一つ入手させておいたのを家で確認してみたら、魔術回路も瘴気が出てくる場所もほぼウィルの資料通りだった。
心眼でしっかり確認しながら魔術回路を描きだすのは中々骨の折れる作業なので、それをウィルがやっておいてくれたのは有難い。
「あら。
もう大分と調べてあるのね?」
魔術回路を手に取りながらキヴァーナがこちらを見やる。
「炎華が気になることを言ったので、ちょっと調べただけだよ。
学院の試験やら行事やらで忙しいんでね。これ以上するつもりはない。
ただ、瘴気を発生する部分を切り離すとどうも呪器の効果が落ちるようでね。
かと言って人間に対する瘴気への耐久テストなんぞやって人間が魔獣化なんぞしても困るだろうから、そこら辺は気を付けてくれよ?
ちなみに、精霊たちにとってこの瘴気は非常に不快らしい。
あまりそれを出す魔具や呪器を作って実験していると精霊に見捨てられるか、部屋ごと破壊されるか……何か対処を取られる可能性があるらしい」
王立研究所の魔術部門なので、王宮の傍にある。
多分研究所を精霊が叩き壊す前に、精霊が加護持ちか契約者に警告をしてくれると是非とも期待したいところだ。
「う~ん、体力の落ちた病人が瘴気に弱かったりしたら、病気の進行を止めるために使ったのに想定外な弊害があるかもって感じねぇ。
瘴気が出る部分を削ると効果が落ちるとなるとそれはそれで問題だし。
今度ちょっと神殿と相談してみようかしら?」
溜息を吐きながらキヴァーナが言った。
「今まで神殿と相談していなかったのか?」
呪器なんてものを研究するなんて、危険なことなのだ。
一応変な影響が出ないことだけでも神殿に相談しておく方が無難だろうに。
「相談は問題が起きてからやればいいって言うのが研究所の連中の考え方なのよ。
多分、今回のこれだって気付いていないか、気付いていても敢えてそのままにしてどうなるか観察しているんでしょうね。
少なくとも私の所には報告は来てないもの。
ちょっと誰かの尻を叩いて報告を寄越させて、神殿に引きずっていくしかないわね~」
再度溜め息を吐きながらキヴァーナが言った。
取り敢えず、これで何とかなるだろう。
間に合わなくて問題が起きたら……それこそ研究所近辺をシャルロに泣き付いて水あらいしてもらってくれ。
秘技、丸投げ 再び!