1210 星暦558年 緑の月 8日 事務作業(16)
開発に関する俺らと工房の職人の関与や最終的な売り上げに対する俺らの権利や報酬はアレクと親方で話し合い、満足いく合意には至れたらしい。一応俺たちの意見も聞かれたが適当に頷いておいたので、どの程度に美味しい契約になったのかは不明だ。
考えてみたら、契約する時の交渉を完全に丸投げしている今の状況って、アレクに何かがあったり、あいつが変質した時なんかに困る事になりそうだなぁ。そう考えるとちゃんと交渉時の機微とかも分かるようにならなきゃいけないんだろうが……色々と後から説明されると『なる程』と納得できる点が多いのだが、自発的に話し合いの際にそう言った点に思い至れる日が来るのか、かなり疑わしい気がする。
……もしもの時にはシェイラに泣きつこう。
今回の共同開発に関しては、後で正式な契約文書を作るが誓約魔術で大体の合意はしたから大丈夫だろう。
ついでにウチで試作品を作るのも合意された。
防犯結界と認識阻害結界を使うという話をしたら、親方の方の工房にも使えないかと聞かれたが。
やっぱそれなりに儲かる工房だと機密保持は頭が痛い問題なのかね?
「防犯結界は入れる人間を登録した人物だけに制限するから、人の出入りが多い場所では日常的な業務が面倒になるかもですね〜。
魔術院に依頼すれば比較的簡単に設置できますけど、登録された人間に手引きされたら金も高額な工具も余程重くて一人で工房の扉まで運んでいけないぐらいの重量でない限り持ち出せちゃうから、ある意味長期的にはあまり意味がないかも?」
シャルロが指摘する。
「認識阻害の結界は?」
「場所がどこなのか分かっていると認識阻害結界の効果ってかなり弱まるんですよ。ここにこれから設置するので、誰かここで作業をする予定の職人を呼んで体験して貰うと実効性が分かりやすいかと」
庭にある試作品の方へ親方を案内しながらアレクが提案する。
『この屋敷のどこかでやっている』程度の知識だったら認識阻害結界がきちんと機能する筈なんだよね。
『庭の何処』か程度でも大丈夫だと思う。
流石に『庭にある東側のベランダの西側』ぐらいはっきりしていたら駄目だろうな。
そこら辺は、それこそ来る予定の詳しく知らない職人に徐々に情報を提供することでどの時点で認識阻害が剥がれるか、確認したらいいだろう。
でも、工房内の昔から居る信頼できる人間にだけ場所を教えたからその他の若いのとか取引関係の人間には工房内に入れても認識阻害結界を張った貴重品は盗めないって言う考えは、短期的には上手くいくだろうけど、ずっと使っていたらやっぱ場所は大体分かるようになるもんだろう。
魔術師とか心眼が使える人間だったら、魔力の存在でそこに認識できない結界があるって分かるんだけどね。
もっとも魔術師が態々泥棒なんてしないだろう。
心眼が使える魔術師じゃない人間なんて、子供の時に何とか上手く神殿での魔力検査をすり抜けた人間だから、それこそ裏社会の人間だろうな。
少ないとも今回の案件に関しては、たかが新しい昇降機用の魔術回路の詳細を盗むために盗賊ギルドの人間を雇う工房はないだろう。
つうか、そこまで儲かるんだったら多少情報が漏れても俺たちに十分利益が入るだろうし。
通信機で工房の方に連絡して若い職人を一人こっちに寄越すよう連絡した後、そんなことを話しながら試作品の所に来た親方は俺たちの造った試作品をじっくり調べ始めた。
「猫や子供が乗ったら警報が鳴るだけで、他の安全機構は付けないんですか?」
親方が尋ねる。
「落下防止の魔具を作るのも可能だが、食事やお湯が落ちてもそこまでの悲劇ではないでしょう?
そう考えると追加費用を掛けて落下に対処する為の魔具を取り付けるメリットは無いと言う結論になったんですよ」
アレクが答える。
人を運べる様になって魔石需要が高騰したら困るからとは言わない。
余計な情報を共有する必要もないだろう。
「確かに、落ちてもそこまでも問題は無いですね。
だが、安全装置があるならば人間を運ぶのに使えるかも?」
親方が不穏な方向に話を動かした。
「う〜ん、今までの昇降機を大きくして人間を運ぶ様にしなかったのって何か理由があるんですか?
鉱山とかの昇降機なら人間を十分運べるだけの出力がありますよね?」
シャルロが口を挟む。
あれ?
そう言えば、確かに鉱山で鉱石をガッツリ積み込んで動かす昇降機って人間一人分どころか三、四人分動かしてるよな?
「箱の中に入って運ばれるのが優雅で無いとか何とか言われますが、要は実務的な判断を下す世代にとって、歩けなくなるぐらい年老いた父親には一階の寝室で大人しく寝ていてもらいたいってところが本音ですかね。
口煩い親世代が二階以上に上がって来れないほうが便利だと感じる貴族も多いのですよ」
親方がこっそりと言った感じで教えてくれた。
なる程〜。
なんかどっかで似たような話をした気もしないでも無い……?