1183 星暦558年 萌黄の月 7日 海に落ちたら(25)(学院長視点)
>>>サイド アイシャルヌ・ハートネット
「君の愛弟子たちが開発した水場でのレジャー用の魔具なんだけど、知ってる?
中々良いよねぇ。これって刃物が近づいたら膨らむようにするとか、風呂場で頭が水面下になったら起動する様にとか、出来ないかな?」
王太子のちょっと遅めな誕生日祝いに王宮に行ったら、何やら変わったチョーカーを見せられた。
王太子はヨットに乗るのが好きで、学生時代には夏の休みになるたびに母方の祖父の領地に行って船遊びを楽しんでいたものだが、最近はそんな暇もないらしい。
代りに時間が出来ると離宮の湖へ行きボートに乗って釣りを楽しんでいると聞くが……水場のレジャー用の魔具??
愛弟子と言う事はウィル達なのだろう。ノルダスに行った帰りにまた沈没船を見つけたという話だったが、それに何か思う事があったのだろうか?
水精霊に愛されるシャルロとウィル程、水難事故から遠い存在は居ない筈だが。
「まず、どういう機能なんですかな?」
チョーカーを見せて貰いながら尋ねる。
「濡れると顔の周りに暫く空気の球が出来て、それが終わる頃には首の周りにクッションが広がって溺れない様にしてくれる。
近衛の一人が足がつく程度の浅瀬でボートから湖に落ちてみてくれたけど、防具と剣を身に着けたままで沈まなかったから中々大したものだよ」
王太子が言った。
と言うか、湖に遊びに行く王太子の護衛なら、少なくとも湖の周りでは近衛兵も防具を脱ぐべきだろう。
王太子が水に落ちた時に救いに行く前に自分が溺れていたら意味が無いぞ?
そんなことを考えながらチョーカーを手に取り、首に付けてみてから水を創り出してかける。
「ほおう?
面白いですね」
防水結界が展開し、その後にチョーカーの首周りの部分が広がってクッションになった。
なるほど、水に落ちても頭だけでも浮かせておくと言う考えなのか。
これを風呂場で溺れない様に使えたら便利と言う考えは……確かに理解はできる。
事故死に見せかける暗殺だったら風呂場でうっかり眠ってしまって溺れたという状況に見せかけようとする事が考えられるし、激務で疲れてうっかり風呂の中で寝そうになった事は自分も覚えがある。
とは言え、王太子が何を主張しようと完全に一人にされる事はほぼ無いので、実際に死ぬ程長い時間浴槽で転寝できる可能性はほぼ皆無だとは思うが。
そしてなにより。
「風呂というのは水で体を洗うための場でしょう。
濡れたら起動するのですから、風呂に入ったら直ぐに展開してしまうから無理ですよ」
ヘアクリップにでもして防水結界だけを展開させる形にするのは可能かも知れないが、それでも絶対に濡らさぬように使うのは至難の業だろう。開発費をかけ、風呂に入る際にも細心の注意を払うぐらいだったら侍従を一人部屋に残す方が現実的だ。
「やはりそうか……。
王宮の魔術師にも話してみたんだが、無理だと言われてね。
アイシャルヌなら何とかなるかと思ったんだが」
ちょっと残念そうに王太子が言った。
自分は魔具開発が得意という訳ではないのだが。
もしかしたら、最近疲れて風呂に入っている最中に眠りそうになることが多いのだろうか?
風呂の湯だって、冷めるのだ。
諦めてさっさとベッドに行くのが最適解だろう。
「首周りに広がるクッションも、もしもの時に展開できる仕組みに出来たら良いかな〜と思うのだよ。流石に血に濡れてから展開するんじゃ手遅れだから、刃が近づいたらそれに反応する形に出来たらかなり良いのだけどね」
チョーカーをアイシャルヌから返してもらいながら王太子が続ける。
確かに溺死以外の暗殺だったら首をスパッと行く方が心臓を一突きとか眼球や額を一突きと狙うよりも簡単に出来る。
だが。
「諦めて首周りのクラバットを防刃布で作ったらどうですか?
魔具が近づいたら反応と言うのならまだしも、鉄が近づいたら触れる前に起動なんていう条件付けは無理ですよ」
魔石だったら近づいたらそれに反応させることは不可能では無いかも知れないが、鉄や鋼を察知して反応させるなんて言う魔術回路は知られている限りでは存在しない。
どう考えても無理だろう。
と言うか。
「何かまた、キナ臭い事になっているのですか?」
王族への暗殺未遂事件があったとは聞いていないが。
「いや、単に凄く面白い道具だから、更に実用性を高められないかな~と思っただけなんだが」
王太子の言葉に思わずため息が漏れた。
相変わらず変なところで子供っぽい所があるようだ。
以前よりは王太子としての自覚が芽生え、大人として成熟してきた様だが……。
王様になった後も無駄な研究開発にお小遣いを注ぎ込みそう?
国家予算は無駄遣いしない様に周囲が止めてくれると期待しましょう。