1179 星暦558年 翠の月 29日 海に落ちたら(21)(第三者視点)
救命チョーカーの被験者になったモブ氏からの視点の話です
>>>サイド ???
がやがやと港の倉庫に集められた人間を見回す。
老人や女性、自分の様に不恰好に太った人間や反対にガリガリに痩せた人間も。
体形的にはかなり色々なタイプが集まっている。一つ共通している事は、誰もが金に困っている人間特有の表情が目に浮かんでいるところか。
賭け事に嵌って2年。妻に子供を連れて逃げられ、事務の仕事だけは何とか続けているが、稼いだ金は全部賭場に消え、一人暮らしで食事も適当な屋台の肉や腹に溜まる芋類ばかりを食べるせいで太ってきたし、肌も荒れてきた。
ここのところ負け込んでじりじりと賭場への借りが増えつつある状況で、先日見知らぬ男に声を掛けられた。
「ちょっと濡れて怖い思いをしたら金が貰える仕事があるんだが、どうだい?
命の危険はない様に、魔術師様が見張っているから安全性は保障するぜ?」
賭場で金に困った人間を誘っている段階で安全性の保障など信じられないが、それでも次の勝負で今までの負けを挽回する為には金が必要だ。
頭の裏で浮かぶ警戒心に気付かぬ振りしてここに来たのだが……。
改めて、金に困った人間の集まりを客観的に見て自分の駄目さ加減が自覚出来た。
今回の金が入ったら、借りを清算して真面な暮らしに戻ろう。
賭場に行くのさえ辞めれば、妻だって帰ってきてくれるかもしれない。
ぶつぶつとそんなことを呟いながら待っていたら、倉庫の奥にあった台の上に中年の男が登った。
「今日やるのは新しい救命用魔具の実験だ。
ドレスや燕尾服などを着て、酔っぱらった状態で海に落ちても溺れない機能があるのを実証する為に、皆にはある程度酒を飲んでから海に落ちて貰う。
海面で直ぐに助ける様に人員が待っているし、いざとなったら直接海からすくい上げて甲板に戻すので命に危険は無いが、濡れるのは避けられない。
機密保持の誓約書がこちらだ。実験の参加する気がある者はこっちで誓約した上で着替える為にそちらの部屋に向かってくれ」
酒を飲んで海に落ちる???
随分と変わった実験だ。
確かに海に落ちるような事故は酒に酔っぱらった上でのことが多いだろうし、魔具なんぞを買う人間は金持ちが多いだろうからそう言う服を着せて実験するのが筋だろうが……。
自分が選ばれたのは太っていたからか。
金に困って何をやらされても逃げないと思われたのではないというのはちょっと救いかも知れない。
流石に賭場の人間に何でもやると思われたら、そのうちヤバい薬の実験台とかにならないかと誘われそうで怖い。
誓約書まで準備するのなら、それなりに金を掛けているのだ。
被験者を殺すのだったら態々そこまでする必要はないのだから、逆説的に言って安全なのだろう。
そう言い聞かせて、男に示された誓約書がある机の方へ向かう。
不安げにざわめいていた他の人間も、じわじわと机の方へ近づき始めた。
どうせ皆、金が必要なのだ。
海に落ちるといってもちゃんと命を救うと言っているのだ。
濡れる程度の事で金が貰えるならば、悪くない。
「はい、自分の名前を言ってから今回の実験で知ったことはこの場を離れたらシェフィート商会の担当以外の誰にも言わないと誓ってこちらに署名してください」
若い男に誓約紙を渡され、名前を書く場所を示されて復唱する内容を指示される。
言われたとおりにすると、何かが胸に沁み込んだような感覚があった。
本物の誓約書らしい。
下町なんかでの誓約書はそれっぽい書面を使って脅しているだけで、そう言う約束をしたという事実以外の効果が無い誓約書も実は多いのだが、この感覚は以前もっとしっかりした商会に勤め始めた時に結んだ機密保持の誓約書と同じだ。
金に困った人間を集めて何をやっているのかと思ったが、本物の誓約書を持ちだしてくるということは、どこか大手の商会がバックにいる実験なのだろうか。
そんなことを考えながら指示された奥の部屋に入る。
「あら。
丁度いい感じな体形ね。これを着て頂戴」
待ち構えていた中年の女性に古いが元は良い仕立てだったと思われる礼服を渡された。
貴族の金持ち向けなのか、腹周りのサイズもたっぷりある。
確かにこれを着れる様な下町の人間は多くはないだろう。
苦労しながら何とかドレスシャツとジャケットを身に着ける。
「あ、クラバットを結ぶのはこちらがやるわね。
シャツの下にこれをつけて、一番上のボタンは開けておくようにして」
何やらメダリオンが付いたチョーカーを渡された。
それなりにお洒落な感じなチョーカーだが、これが今回のテストする対象になる救命用魔具なのだろうか?
単なるチョーカーに見えるが。
苦労してチョーカー留め、ぐいぐいと女性に引っ張られてしっかり留め金が掛かっていることを確認してクラバットを絞められたら次の部屋へと押し出された。
「次はこれを飲んで。
強い酒だけど、噴き出さないでね」
若い女性からコップにほぼ満杯に入っている液体を差し出された。
「強い酒をこんだけ飲んだらふらふらになると思うんだが」
自分はそれなりに酒に強い方だが、流石に水を飲むような勢いで強い酒を飲むほどの飲兵衛ではない。
「いいの、気絶したらちゃんと運んでいく人が居るから、安心して?」
にっこり笑いながら女性が答える。
……気絶したらどこに運ばれるのだろうか。
ベッドに運ばれるのではなく、海に運ばれそうな気がするのは気のせいだと思いたい。
「げほ!!」
金に釣られて怪しげな実験に身を任せることにしたのを後悔しながらコップの液体を飲み込む。
確かに強い酒だ。
下町の酒場で火酒と言って売っている様な物だが、水で割っていない様で強烈だ。
「は~い、次はこっちですよ~」
思わず椅子に座り込んだ自分を体形の良い若い男性が支えて立たせ、外へと連れ出す。
いつの間にか桟橋に出て来ていた。
「じゃあ、慌ててもいいですけど死なないですから出来れば叫ばないで下さいね~」
と言う言葉と共に、後ろから突き飛ばされた。
「うわ~~~!!!」
まだそれ程冷たくはないものの頭がスッキリする程度には冷えて来ている水に落ちて一瞬で酔いがさめ、慌てて声を上げる。
濡れた礼服が重しとなって身体が思う様に動かない。
「うわ~~……あれ?」
身体が思う様に動かないが、顔は濡れていなかった。
しゅ~。
慌てて周囲を見回している間に、首の周りを少し圧迫するような感じでシャツの下からチョーカーが膨れ上がってきた。
ぴちゃ!
呆然と辺りを見回している間にいつの間にか顔に水が掛かるようになっているが、シャツの下で膨れ上がったチョーカーが海面の上に首を支えていてくれる。
「大丈夫ですか~?」
どこからか、手漕ぎボートが近づいて来て中に居た男性が声を掛けてきた。
なる程。
ここまでが実験の一環なのか。
確かに死なないようだが……心臓には悪い。
ちょっとヤバい実験っぽくなりましたw
明けましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いします!
カクヨムで書いていた『子爵家三男だけど王位継承権持ってます』の番外編を書き足しました。
良かったら読んでみてください。
https://kakuyomu.jp/works/16818023211694735678