1162 星暦558年 翠の月 3日 海に落ちたら(4)
「波がある状態じゃあ地滑橇式の結界の反発力を使うのは微妙だな。
と言うか、落ちた時の体勢次第では穏やかな状態の水に落ちてもイマイチだし」
以前実験用に庭に作った池モドキを綺麗にして(蒼流が腕を振ったら一瞬だった)色々チョッキの背中に付けた魔法陣を飛び込みながら試してみたところ、意外と人間の体と言うのは水の上で安定性が無い事が判明した。
地滑橇の様に平面を下に向けられれば人間一人の重さ位ならそれなりに魔力を制限して浮けるのだが、海に落ちる時に水面に対して平面になるかどうかなんて運しだいだし、波があると平らに上から落ちて来てもダメだった。
しかも、ちょっとした高さがある船の甲板から落ちるんだったら水平に落ちるよりも垂直に落ちる方が水に当たった時の衝撃が少なくて済むし。
と言う事で諦めて浮遊の術へ移行。
が。
「どうせ船から海に落ちたら気が動転していて、浮遊の術用の魔石が枯渇する前に自力で船に戻るとか、ジャケットのクッションを膨らませて水に浮く様にちゃんと作業できるかとか、怪しいと思わない?
だとしたら、浮遊の術は追加料金を払う人用のオマケにして、本体は問答無用に浮く様になるジャケットにしようよ」
シャルロが提案した。
幼いころからどう転んでも絶対に溺れない状況だっただろうに、意外と水に落ちた人の反応が分かっているな?
それとも蒼流の加護があるからこそ、誰かが水に落ちた時に救助を頼まれて、普通に落ち着いていたら溺れないような状況でじたばたと暴れて溺れそうになる人を見てきたのかな?
「本人がどんな状態でも溺れない様に問答無用で浮くジャケットねぇ。
・・・だったら、うつ伏せに落ちても顔が水に浸からない様に胸か首の辺でしっかり膨らむ形にした方が良いな」
ある意味、意識不明で暫く海面を漂うならうつ伏せの方が晴れだった場合には日焼けしなくて良いかも知れない。
海面で塩水を被りながらずっと日に当たっていると、意外と早く日焼けしてヒリヒリしてくるからな。
「背中はまだしも、首や胸の辺でしっかり膨らむような形にするなら、濡れてから膨れ上がる機能じゃないと普段から膨れていては邪魔だな」
アレクがコメントする。
「・・・女性はまだしも、男だったら胸元は平らなんだから女性の胸みたいな感じに前が膨らんでいても大丈夫なんじゃないか?」
それで女性は生活出来ているんだから、喉元はまだしも胸の所が膨らんでいても日常の動きに問題は無いんだろう。
多分。
邪魔って言っている女性もスラム時代にはいたが、それでも何とかしていたからな。
流石に妊婦ぐらいまで腹部が膨れ上がると足元が見えないとか靴ひもが結びにくいとか、かなり深刻な問題になるらしいが。
「女性の体形の不便さを実感させるために暫く胸元を膨らませて生活させるのはそれはそれに夫婦の関係の改善の為に役に立つかもしれないが、船の上での活動には不要な不便さだろう。
だとしたら、濡れたら起動して一気に空気を含んで膨らむような魔術回路を組み込んだ、空気を逃がさない生地で膨れるだけの余裕がある形の上着が必要ってことかな?」
アレクが俺の冗談交じりな言葉を却下して、真面目な方向に話を戻す。
「・・・考えてみたら、弱風の魔術回路って水面下で起動したときに空気を創り出して吹かせるのかな?それとも単に水を動かすだけ?」
シャルロがふと首を傾げながら言った。
確かに、通常だったら風を吹き込む弱風の魔術回路で風船なり服なりクッションなりを膨らませるが、海に落ちて水中に沈んじゃった場合に浮上する為にも空気で膨らんで軽くなった上着が必要だ。
海上に出るまで上着に水を流し込むようでは意味がない。
「空気を作るよりはそこにある空気を動かしている気がするが・・・もしかしたら中には創水の術と同じで周囲から空気を集めて動かしているタイプもあるかも?
手当たり次第に持っている風関係の魔術回路を水面下で起動させて実験してみようぜ」
創水の術だってやっていることは名前から俺が想像していたのとちょっと違っていた。
弱風の魔術回路だって空気を動かすだけじゃない機能のを誰かが作っている可能性はある。
「だな。
取り敢えず手元にあるのを全部調べて、どれもイマイチだったら魔術院で登録されている特許を手当たり次第に調べてみよう」
アレクが頷いた。
とは言え、弱風の魔術回路なんてあまり沢山登録されて無さそうな気もするが。
まあ、そうなったらそれこそ創水の魔術回路を何とか弄って水の代わりに空気を集めるように変えられないか、試行錯誤してもいいか。
現実だったら膨らむタイプのライフジャケットって圧縮空気の入った缶でも付いているんですかね?
ちょっと邪魔そう