1079 星暦558年 紺の月 15日 裏社会からの依頼(2)
春になると年初の社交シーズンが終わり、地方の領主は領地の作付けやその他諸々が問題なく例年通り進むことを確実にするために王都を離れる。
なんと言っても、地方の領主の収入源の殆どは農業から入ってきているからな。
農業よりも陶磁器や薬と言ったような製造関係の特産物がある地域だって、住民の食糧分ぐらいの農作物は育てている所が殆どで、それらの春の作付けを失敗したら年の後半から翌年までの食糧を購入する羽目になって領地経営が大幅な赤字となりかねない。
旱魃や戦争のような一領主にはどうしようもない事由に起因した赤字は王宮もそれなりに寛大に対応してくれるし、場合によっては税の免除や補助金の提供なんてこともあるらしいんだが、領主の無能や不作為が原因での赤字の場合は当然そう言った救済措置は無いし、あるとしてもその場合は領主が責任を取って引退した上に爵位が分家に移されると言ったことも起きかねない。
なのでまあ、よっぽどの無能じゃない限り春は殆どの領主は領地に戻る・・・事が多い。
とは言え、領地持ちじゃない貴族もそれなりに居るし、代官に全部丸投げしている豪胆(もしくは馬鹿)な貴族も居るので春先になっても王都での社交がゼロになる訳ではない。
パーティも数は減るがそれなりに賑やかにやっているし、王都に居る貴族の家に忍び込むなら夜にやるべきなのは変わらない。
と言うことで、盗賊ギルドの長から貰った貴族のリストの中で、一番爵位が高かった家にまずは訪れた。
ゼルパッグ伯爵家、ペディアグナ子爵家、及びグアナス男爵家の人間が最近の複合毒の流通に関与しているらしい。
ただし、当主が関与して一族の収入源として新しく取り入れたのか、使用人の誰かが副業として勝手に貴族の名前を利用しているのかはまだはっきりしていないとのことだった。
まあ、ヤバい取引の現場に貴族の当主が自分で行くなんてことはあり得ないからな。
そうなると、息子や家令が姿を見せていて色々命令をしていたとしても、当主に命じられてなのか勝手にやっているのかはしっかり調べないと分からない。
というか。
書類だけではなく、会話を記録しておくべきだろうな。
勝手に書類の上だけで当主なり令息なりに罪を被せて、実際の黒幕はのうのうと他の国にでも隠しておいた財産で老後を過ごすなんて言うのは裏社会では良く聞く話だった。
取り敢えず今晩は証拠になりそうな書類を調べ、拝借してもバレそうにないのは一部貰っていき、明日の午後にでも会話を記録できる魔具を持って張り込むとしよう。
トランペットの音を記録した魔具を持って来れば、4ミル程度の会話なら記録できる。何度も記録し直す羽目になるだろうが悪事を主導しているのが誰か分かるような命令を出している場面の会話を捕捉出来ると・・・助かるんだが。
誰か、暗殺する依頼でも入ってこないかなぁ。
と言うか、全然進展が無かったら囮代わりに依頼を入れるよう、長に頼んでみるかな?
必ずしも毎日暗殺に関する話題が上がって来るとは限らないから、下手をすると今度の休息日までにこの依頼が終わらないかも知れないのはちょっと困る。
張り込みしている間に次にどんな魔具を造ったら便利そうか、色々と考えないとだしな。
そんなことを計画しつつ、そっと窓から書斎に忍び込む。
長の話を受けた後から庭の木に登って屋敷を見張っていたのだが、当主のおっさんが書斎の机で色々と書類を決裁していたから、取り敢えずそれを確認して何か役に立つものがないか確認してみよう。
いかにも神経質で傲慢そうな顔つきだったから、あれは地下室とかに隠れ部屋を作るタイプじゃないだろう。
いや、部下にだったら地下室で働けって言うかもだが、自分は絶対そんなところで働かないと思われる。
一応長時間地下の部屋で働いている人間は居なかったし、大量の書類を持って部屋から出た人間は居なかったから、当主が関与しているんだったら書類はこの部屋か、せいぜい寝室に隠されている可能性が高い。
まあ、今日は普通の貴族当主としての仕事しかしていなかった可能性もあるが。
暗殺業の立ち上げと請け負いってどの程度書類仕事があるんだろうか?
船の手配とか人の密航の手配、暗殺者の滞在場所の手配、暗殺の依頼主との条件の話し合いや報酬の受け取り、暗殺の実行者への支払いとか、色々とあると思うんだが。
まあ、そう言う実務的なことを自分でしているか否かは不明だが。
考えてみたら、口で命じただけだったら書類は全部家令の方にあるかも知れないから、そっちの部屋も探さないとなぁ。
家令が仕事している部屋は窓も無いような奥の小部屋っぽかったから、何をしているかは外からでは見えなかった。
書斎を捜索した後は当主の寝室より前に家令の仕事部屋を確認するか。
窓のない小部屋で1日中缶詰めで仕事って・・・鬱になりそう




