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黒鍵の残響

戦いは終わったはずなのに、耳の奥ではまだ旋律が残響していた。

黒い舞台で奏でられた調べは、夢より鮮烈に、現実よりも重く胸を占めている。

息を吐くたび、肺の奥にまでピアノの残響がこびりついているようだった。


「……行こう。」


仲間と視線を交わし、会議室の扉を押す。

中ではカミヤ先生、学園長、そして白衣のエレノア先生が待っていた。三人の視線が一斉に向けられ、背筋が自然と伸びる。


「さて……報告を聞かせてもらうですよ。」

学園長の声は穏やかでありながら、部屋全体を圧する重みを帯びていた。

俺たちは順に口を開き、戦闘の経緯を伝えた。


舞台に囚われ、楽章ごとに世界が塗り替わったこと。

顔のない影が淡々とピアノを叩き続けていたこと。

そして最後まで演奏を聴き切り、協奏で上書きして幕を閉じたこと。


「……俺たちは、あの異形を“ソリスト”と呼んでいました。」


報告を締めると、学園長の眉がわずかに動いた。


「ソリスト……ですか。その名は知らぬですよ。」


一瞬の沈黙。やがて学園長は目を閉じ、遠い記憶を探るように口を開いた。


「しかし……舞台を創り、楽章ごとに世界を変え、顔を失い、ただ演奏を続ける異形。――それは百年前に姿を消した“奏者”に相違ないですよ。元は人でありながら、己のヴェルディアに喰われ、舞台そのものへと堕した存在です。」


俺は息を呑んだ。やはり、あれは人間の果てだったのか。


「彼は招待状を送り、人を舞台へ誘ったですよ。囚われた者は戻らず、そして残された人々の記憶からも消えたですよ。……行方不明とすら気づかれぬまま、最初から存在しなかったかのように。」


仲間たちの顔が強張る。だがザミエルが疑問を口にした。

「……だが今回は違う。俺を含め、途中で退場させられた奴もいたのに、俺たちは忘れなかった。なぜだ。」


学園長は静かに頷いた。


「おそらく……招待状が全員に配られていたからですよ。全員が囚われたゆえに、一人でも生還すれば舞台の外との記憶はつながるですよ。だから退場した仲間も、忘れ去られずに済んだのです。過去は違った。単独で招かれた者は、戻る者なく、記憶ごと消えたのですよ。」


胃の底が冷たくなる。全員が欠けていたら、仲間の存在ごと失われていたのだ。


「……アナタたちは、その演奏を最後まで聴き切った。容易なことではないですよ。」


学園長の眼差しは、珍しく労わりを帯びていた。

重荷を背負ったことを認められたようで、胸に微かな温もりが差し込む。


「よくぞ、生還したものだ。」


カミヤ先生の声が続いた。静かで、厳しくも優しい響き。


「だが忘れるな。ヴェルディアに喰われるは、誰にでも起こり得る禍。汝らもまた、境を踏み越えれば同じ末路を辿るやもしれぬ。」


その言葉は俺の胸を強く突いた。

『ヒガンバナ』を使うたびに、死者の記憶に引きずられる感覚がある。確かに俺も、危うい線を歩いているのだろう。


「心得ます。」


短く答えると、先生は静かにうなずいた。


その横で、エレノア先生が頬杖をつき、興味深げにペンを回していた。


「ふぅん……全員のバイタルは限界寸前なのに、精神値は妙に安定してる。舞台そのものが神経と“同調”していたんだろう。……できればピアノの破片が欲しかったな。」


「壊せなかったんですよ、あれは。」


アレクセイが肩をすくめる。だが次の瞬間、彼の掌から銀の鎖が垂れ下がった。先端には黒い鍵盤の欠片――小さなペンダントが揺れている。


「これは……舞台の終わりに、足元に転がっておりましてね。」


黒檀のように艶を放つその黒鍵は、ただの装飾ではなかった。揺れるたびに、心臓の奥に小さな音が響く。


「……ほう。残響が物質化したか。」

エレノア先生が白衣の袖を直し、淡々と目を細めた。

「少し観測させてもらえるかい?」


アレクセイは芝居がかった仕草で一礼し、ペンダントを卓上に置いた。

エレノア先生は器具を当て、数値を走らせる。短時間でノートに記し、やがて小さく頷いた。


「なるほど……小規模ながら、持ち主自身の“舞台”を展開できる力を持っているようだ。ソリストの舞台を切り取った断片、と言えばいいか。」


仲間たちが息を呑む。だが先生の表情は変わらない。


「ただし注意が必要だ。この“遺物”は、心が強ければ制御できる。だが心が揺らげば、元の持ち主の自我に呑まれるだろう。」


アレクセイが軽く笑みを浮かべる。

「強い心……ワタクシの信条そのものです。喝采の幕は、ワタクシ自身の手で上げ下ろししてみせましょう。」


学園長が低く告げた。

「ならば実際に確かめるとよいですよ。……クラン『ラヴァンド』に依頼するのですよ。エレノアの監修のもとで、試験を行うといいですよ。」


俺たちは視線を交わし、深く頷いた。

黒鍵のペンダント――遺物。

それはただの証拠品ではなく、心を試す新たな脅威でもある。


こうして報告は終わった。

だが胸の奥ではまだ、黒鍵の響きが静かに鳴り続けている。

ソリストは消えた。けれどその旋律は、俺たちの未来に影を落とし続けるだろう。


――次の幕が、どんな舞台になるのかはわからない。

だが俺は必ず立ち続ける。

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