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そして、舞台は終わる

  その一本の筋は、やがて広がっていった。

 細い線が、呼吸の輪郭をなぞりながら舞台の隅々へ走る。

 無数の和音がその筋に触れ、外側へと押し流されていく。

 暴力の音はもう無差別ではない。俺たちの選んだ順番に従わされていた。


 ソリストの影は黙して動かない。

 ただ鍵盤を叩き続ける。

 なのに――鳴る音はもはや孤独の独奏ではなかった。

 こちらの演奏と混じり合い、形を変え、調和と齟齬のあいだで揺れていた。


「崩れ始めてる……!」

 ヴァレリスの声に、炎が揺れる。

「まだ押せる!」

 オーウェンの拳が前縁を沈め、筋をさらに濃くする。

 オスカーのナイフが背後の列を転移で崩し、アレクセイの声が台詞のように継ぎ目を縫い止める。


 舞台が軋み、客席の列が一気に倒れ込んだ。

 影の観客が連なり、最後の波となって押し寄せる。

 輪の外周は飲まれかけ、世界の境界線が破られる寸前だった。


「これで最後でしょう!」

 アレクセイが宣言し、声を放つ。

「皆の衆、耳を澄ませてください! ――ここから先は、我らの曲ですよ!」


 俺は木刀を強く握り、腹で輪の縁を撫で広げた。

 ヴァレリスの火がそれを縁取り、オーウェンの拳が芯を貫く。

 オスカーの刃が背後を削り、アレクセイの台詞が響きを固定する。


 その瞬間――ソリストの指が最後の一音を叩いた。

 凄絶な和音。

 劇場が震え、世界が裂ける。

 けれど俺たちの筋はすでに走っていた。

 和音を受けるのではなく、和音の前に“こちらの演奏”が置かれていた。


 衝突ではなかった。

 上書きだ。

 孤独の旋律に、五人の調べが重なり、順番を変え、形を塗り替えた。

 鍵盤の暴力は輪の外へ流され、舞台には俺たちの協奏だけが残った。


 影の観客が立ち尽くす。

 無数の顔のない視線が、黙ってこちらを向いた。

 やがてその列は霧のように解け、拍手もなく消えていった。


 ――世界は沈黙を取り戻した。

 ソリストの影は鍵盤の上で淡く崩れ、黒い粒子となって舞台に溶けていく。

 最後まで言葉を発さなかったその姿は、まるでただ演奏を聴かせたかっただけの亡霊のようだった。


 残響だけを残して、舞台の中央には黒鍵――小さなペンダントが転がっていた。

 俺が拾い上げると、冷たい感触と共に微かな旋律が胸に染みこんでくる。

 だが、その瞬間、舞台の空気が震えた。


 客席に満ちていた影が霧散する。

 そして――その霧の中から、退場していた仲間たちの姿が浮かび上がった。


「……っ、ここは……」

 最初に現れたのはペイルだった。

 針のような穴を開き続けた細身の身体は汗に濡れていたが、その目ははっきりとこちらを見ている。

「災害みたいな演奏会だったね....。」

「あ~...やっと終わった~?」

 ヴァインが胸を押さえ、微笑んだ。

 鎖は消えている。けれど、その肩越しに漂う空気は、彼女が確かに重圧を受け止めてきた証だった。


「皆大丈夫かなって...心配だったのよ~?」

 続いてアラエルが現れた。

 慈母のような顔からも、安堵が見て取れる。


「わわわッ!?」

情けない着地をしたのは...イゾルデだった。

どこかばつの悪そうな顔をしつつも、彼女は笑った。


「……退場ってのは性に合わねェなァ...。」

 オルテアが矢を肩に担ぎ、どこか悔しそうに言った。

 消える直前の無茶な背中が蘇り、俺は思わず拳を握る。

「けど、よく繋いでくれたなァ...。」


「……撃つべき歪みは、もうないか。」

 最後に現れたザミエルは淡々と告げ、銃を下ろした。

 その横顔は退場時と同じ静けさを湛えていたが、確かに戻ってきた。


 六人の影が解け、再び仲間の姿に重なっていく。

 彼らの瞳に、もう舞台の暴力は映っていなかった。


「全員……帰ってきたか...!」

 俺は安堵で喉が震えるのを感じた。

 押し殺していた息が、一気に解き放たれる。


ふと目に入ったのは手に持っている黒鍵のペンダント。これは舞台を盛り上げてくれた俺たちへのソリストからの感謝だろう...そう思った。


しかし、俺が持つべきではない。この舞台を盛り上げた「主役」がいるだろう。


 「これは――最後まで芝居を保った役者にこそ相応しい。」

 そう言って、俺はペンダントをアレクセイへ差し出した。


 彼は一瞬だけいつものように大げさに肩をすくめようとした。

 だが、次の瞬間、静かな声で応じる。

「……そう言ってもらえること。光栄ですよ。受け取りましょう。」


 黒鍵が彼の胸元にかけられる。

 刹那、微かな旋律が舞台に響いた。

 それは独奏の孤独ではなく、協奏を示す柔らかな音色だった。


 アレクセイは深く一礼する。


 仲間全員が舞台に揃った。

 退場も、孤独も、すべて超えて。

 俺たちは協奏の余韻を胸に、舞台を降りていった。


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