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沈黙の観客、燃ゆる舞台

 和音は止むどころか、ますます肥大化していった。

 床は五線譜のような割れ目を描き、その隙間から黒い染みが音符となって跳ね出す。


 踏めば足首を叩き、斬れば爆ぜて耳を裂く。

 舞台は、俺たちを演奏に組み込むつもりで牙を剥いていた。


 天井の梁が軋み、シャンデリアの残骸が連なって垂れ下がる。

 きらめくはずのガラスは刃に変わり、細かい音をまとって雨のように降り注いだ。


 幕は裂けて垂れ、布ではなく音の膜となって視界を覆う。

 空気そのものが舞台装置であり、観客であり、敵だった。


 客席の列がせり上がり、ねじれて垂直に並ぶ。

 そこから影がひとり、またひとりと落ちてくる。

 顔のない観客。無言で立ち上がり、整列する。

 拍手も歓声もなく、ただ歩み寄り、俺たちを退場へと追い立てる。


「くそ、数が増えてるな!」

 オーウェンが吠え、拳を叩き込む。

 影の胸板が砕け、黒い音の粒となって四散する。


 しかしそれらはすぐに反転し、矢じりのように背後を狙う。

「……なら全部まとめて殴り返す!」

 三連打。拳が音を面に変え、粒を押し潰した。


 衝撃が返り血のように跳ね、彼の腕を裂いたが、それでも笑う。

「まだ動ける! 次だ!」


「右から幕が来る!」

 ヴァレリスが炎剣を振り抜く。

 火流が膜を斜めに裂き、爆ぜた炎が視界を取り戻す。


「アンタの拳に角度を与える! ここを叩け!」

「了解だ!」

 二人の動きが重なり、低音の奔流が一瞬だけ押し返される。


「後ろは僕が」

 オスカーがナイフを投げ、影の群れの只中へ転移する。

 刃を突き立て、すぐさま別の方向へもう一投。

 次の瞬間には俺の背後に戻り、迫る影を切り払った。


「……はぁ……心臓に悪い……でも、まだ繋げますよ」

 飄々とした声。けれど、肩で大きく息をついていた。


「御覧いただこう!」

 アレクセイの声が響いた。

「観客席も舞台も、区別など無意味! すべてを芝居に変えればよい! ――ならば我らは、混沌すら演目に仕立てる!」


 分身が一斉に飛び出し、影の列をかき乱す。砕けて散りながらも残響を残し、舞台の輪郭を保たせていた。


 俺は木刀を叩きつけ、床の割れ目をずらした。

 衝撃を斜めに逃がす。

 その隙をオーウェンが押し広げ、ヴァレリスが火で縁取る。


 オスカーが背を守り、アレクセイの声が外周を縫う。

 俺の木刀が面を整え、ひとつの流れに収束させた。


 音の奔流が一拍遅れる。

 偶然ではない。呼吸が合ったのだ。


「……今の、拾えたな」

 俺が呟くと、オーウェンが親指を立てる。

「おうとも! お前の木刀が合図だった!」


「そうよ。拾えば響きになる」

 ヴァレリスが炎を揺らしながら笑う。

「火も拳も刃も、重ねれば曲になる!」


「僕は舞台裏を整えます。皆さんは前だけを見て」

 オスカーが次のナイフを構える。

「……転びそうになったら、僕のせいにしてくださいね」


「諸君!」

 アレクセイが影たちに向け、両腕を広げた。

「幕はまだ降りん! この舞台は続いている! ならば我らが示すべきは――協奏曲だ!」


 影が拍手の仕草をする。

 音がないのに、空気が叩かれ、心臓が偽のリズムを刻む。

 足がもつれ、呼吸が奪われる。


「惑わされるな!」

 俺は木刀の石突で床を二度打ち、拍を乱した。

 振動が仲間の身体を現実に繋ぎ止める。


「リオール、今度はお前が導け!」

 オーウェンが拳を構え、声を張る。

「火で道を作る! 拳で芯を叩け!」

 ヴァレリスが火流を伸ばし、通路を描いた。


「背中は僕が受けますよ!」

 オスカーが刃を投げ、後方に転移する。


「ならば台詞は任せろ!」

 アレクセイが笑みを浮かべ、叫ぶ。

「観客よ、目を逸らすな! 役者はまだ立っている! 芝居はここからだ!」


 和音が再び迫る。

 拳が置かれ、炎が縁を描き、刃が背を守り、声が輪郭を繋ぐ。

 俺の木刀が角を落とし、衝撃が流れる。


 奔流が軋み、一瞬だけ空白が生まれた。

 呼吸が合う。これは偶然ではない。

 協奏が形になり始めていた。


 だが、影の観客は動きを変えた。

 今度は一斉に立ち上がり、深くお辞儀をする。

 座席の列が波のように折れ曲がり、床を揺さぶった。

 心臓に偽の拍が押し付けられる。


「ぐっ……!」

 俺の膝が揺らぐ。だが隣でヴァレリスが叫んだ。

「火を見て! 音じゃなくて!」


 彼女が炎剣で円を描き、視界の中心を焼く。

 その赤が、偽の拍を払った。


「よし、今度は俺が支える!」

 オーウェンが拳を床に叩きつけ、揺れを自分の方へ引き受けた。

 血が飛んだが、足は揺らがない。

「これで揺れるのは俺だけだ!」


「前方の列、崩しますよ!」

 オスカーが二本のナイフを投げ、連続で転移する。

 影の膝裏に回り込み、刃で切り裂いた。


 列が崩れ、前方が空く。

「ほら、通路です。今だけですよ」


「舞台は割れ、幕は裂けた!」

 アレクセイが朗々と声を響かせる。

「それでも役者は歩む! この芝居の終幕を決めるのは、我らだ!」


 俺は木刀を握り直し、前へ踏み込む。

 炎と拳と刃と声が、呼吸をひとつにした。

 その響きはもう、偶然の重なりではない。


 協奏が確かに芽生えていた。

 退場した仲間の背を思い浮かべる。


 和音の奔流が再び迫る。

 しかし俺たちは臆さない。


 炎が縁を描き、拳が芯を打ち、刃が背を守り、声が輪郭を縫い、木刀が角を落とす。

 五つの動きがひとつの調べになり、舞台に呼吸を取り戻した。


 協奏は、ここから始まる。


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