断罪の独奏、抗うは協奏
一音。
ソリストの指が鍵盤を叩いた瞬間、世界そのものが楽器に変わった。
低音は地鳴りとなり、舞台の床を砕く。板は裂け、釘が弾丸のように宙を飛ぶ。
中音は空気を唸らせ、観客席と舞台の境界を曖昧にする。肺の奥が揺すぶられ、呼吸がひっくり返る。
高音は光を刺し、天井の装飾を砕き散らす。きらめくはずの破片は鋭利な刃に変わり、頭上から雨のように降り注いだ。
三層の和音が同時にぶつかり合い、互いを打ち消さず、ただ全方向へ広がる。
調和ではなく破局。旋律ではなく断罪。
それが、終曲――『フィナーレ』の始まりだった。
客席の影が、いっせいに立ち上がった。
そこに人はいないのに、満員の観客が整列するかのような気配が押し寄せる。
拍手も歓声もない。沈黙だけが重くのしかかる。
その沈黙は、喝采よりも残酷だった。
「……これは正面からじゃ潰されるぞ!」
オーウェンが呻き、拳を振り抜く。
打撃の音と和音が重なり、耳の奥がきしむ。殴った手ごと飲み込まれるような感覚。
だが、彼は拳を下げない。血を滴らせ、笑うように歯を剥いた。
「なら、俺が殴り抜くしかないな!」
「ほんっとに単純ね!」
ヴァレリスが炎剣を振り抜き、火流が和音に噛みついた。
高音と火花が衝突し、閃光が視界を焼く。
押し返す間もなく、次の響きが彼女を押し潰そうとする。
それでも彼女は足を踏み鳴らし、吐き捨てるように叫ぶ。
「燃やし尽くすまで、絶対に退かない!」
「……はぁ、やれやれ……」
オスカーが肩で息をつきながら、ナイフを投げた。
転移が彼を舞台の端から端へ飛ばす。
だが、降り立った床がすぐに爆ぜ、崩れる。
ギリギリで刃を突き立て、再び転移を繋ぐ。
「まるで楽団全員が一斉に武器を振るってるみたいですねぇ……観客に優しくない舞台ですよ」
飄々とした声の裏に焦りが滲んでいた。
俺は木刀を構え、迫る和音の塊を打ち払った。
しかし打撃は衝撃に吸われ、刀身が痺れる。
押し返した手応えはなく、ただ必死に踏みとどまるしかなかった。
轟音を押し切って響いたのは、アレクセイの声だった。
芝居がかった声色が、和音の奔流を押し分けて舞台を満たす。
「観客よォ! これぞ終幕! 独奏はここに極まれり!」
燕尾服の裾を翻し、大げさな仕草で客席に一礼する。
見えぬ観客に語りかけながら、その声は確かに俺たちへ届いていた。
「だが――幕はまだ下りん! お客様、どうか目を逸らさずに! ここに残る役者たちは、命が尽きるまで舞台を踏み鳴らす所存!」
声が胸を打つ。
過剰なほど大仰な言葉。けれど、その芝居は心を奮い立たせる力に変わっていた。
「……アレクセイ……」
呟いた俺に、彼は振り返らず腕を広げたまま続ける。
「お客様! 悲鳴も涙も不要! ただ見届けていただきたい! ――この終幕に抗う役者たちの芝居を!」
彼の分身が現れ、和音の奔流に突っ込んで砕けた。
しかし、その一瞬が仲間の動きを繋ぎ止める。
犠牲を演出に変える彼の在り方は、俺たちの心を一本の線に縫い合わせた。
オーウェンの拳が前を叩き割る。
ヴァレリスの炎が横を焼き払い、オスカーの転移が崩れた足場を整える。
俺の木刀が衝撃を逸らし、アレクセイの声が舞台全体を繋ぐ。
偶然ではない。
バラバラだった動きが、確かにひとつの調べとして噛み合った。
理が崩壊した舞台に、俺たち自身のリズムが芽生え始めていた。
「……協奏で返すぞ。」
自然と口から零れた言葉に、仲間が頷く。
ヴァレリスが炎を燃やし、オーウェンが拳を握り、オスカーが刃を弄び、アレクセイが高らかに宣言する。
「お客様ァ! 独奏の終幕に抗う唯一の道――それは協奏! 我ら五人、ここに奏でるは新たな楽章、協奏曲でございます!」
胸が熱くなる。
孤独な和音の奔流に、五人の呼吸が重なり合う。
防御ではない。受け流しでもない。
これから俺たちは、演奏に演奏で応えるのだ。
和音がさらに重なり、劇場そのものが崩れ始める。
壁が裏返り、観客席が頭上へ反転し、影たちが無言で見下ろす。
舞台と観客席の境界が崩れ、世界全体が終わりに向かって進んでいた。
だが、それでも立ち止まらない。
俺たちは構え直し、声を合わせる準備を整える。
終曲を叩き返すために――協奏で挑むために。