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即興乱打

「……大丈夫、私が受けるわ」

 ヴァインの鎖がもう一度、乱打の芯を絡め取った。今度は角度を変え、斜めに逃がす。美しい。衝撃の向きが、ふっと軽くなる。

「リオール、下がって」

 母の声。ちょっと甘やかす響きがあって、情けないが胸が緩む。


「助かった」

 俺が礼を言い切るより早く、逆流が来た。鎖が悲鳴みたいに軋み、ヴァインの腹がぎゅっと縮む。唇が色を失い、視線が一瞬遠くを見る。


「……これは、ダメ。……思った以上に、荒いわ」

 それでも、微笑う。俺の肩をそっと押して、前を向かせる。


「ヴァイン、下がれ!」

 オーウェンが怒鳴る。

「下がる場所が、ないのよ」

 冗談みたいに、優しく言った。鎖がふっと緩み、彼女は深く息を吸う。

「リオール。後は――任せるわ」


 次の乱打で、彼女の輪郭が糸みたいに解け、光の小片に分かれた。指先が、最後までこちらを指していた。掻き消える。舞台からそっと退けられる。声の残り香だけが、胸に留まる。


「ヴァイン!」

 怒鳴った声が自分のものじゃないみたいに響く。胸が焼け、視界が滲む。握り直した柄が汗で滑った。俺は歯を食いしばり、左足を半歩引く。頭の中の雑音を追い出して、目の前の音の拳だけを見る。


「リオール!」

 ヴァレリスが肩で息をしながら、炎剣の切っ先で乱打の面を指す。

「ここ。ここを押し返せば、半拍だけ空く!」

「半拍でいい」

「半拍しかない!」


 言葉が合う。剣先と木刀が同じ面を指し、オーウェンの拳がそこへ重なる。オスカーの転移が背中を押し、アレクセイの分身が四方を塞ぐ。俺たち四人が打音の表面張力を破り、アレクセイが――たった一声で、空間の輪郭を繋ぎ直す。


「諸君、退屈させるな! 幕が下りるまでが芝居、ならば息が切れても声は切るな!」

 アレクセイの声は、鼓動のテンポを取り戻させる。怒鳴りではない。響きだ。舞台に響くべき“台詞”の在り方を、彼は知っている。


 ピアノが乱打を強める。鍵盤の上で、拳の雨が鳴る。世界が殴られて、殴られて、殴られて――俺たちの呼吸が削れ、腕が痺れ、足場が砕ける。退場した二人の穴は、思ったよりも広く深い。埋めるには、命が足りない。


「オスカー、後ろ!」

「わかってます...よ!」

 彼はナイフを背中に投げ、転移の起点を作って自分の背面を先に潰す。器用な卑怯さ。生き残るために、卑怯は正義だ。


「オーウェン、前、三歩!」

「おうとも!」

 三発、拳。三つの正面だけが、今の俺たちの持ち場だ。横は全部アレクセイの声が埋めている。分身が砕け、台詞が響き、舞台が辛うじて舞台の形を保つ。あの声が消えたら、きっと全員、ばらばらになる。


 ソリストは、ただ鍵盤を叩く。顔がない。心もない。ただ、一人分の執念だけがある。演奏を聴け。最後まで。拍手はいらない。理解もいらない。そこにあるのは、独りきりの暴力。孤独の音。


「……くそッ...。」

 吐き捨てる。木刀の腹で、正面の塊を撫で斬りにする。撫でるように、斬る。真正面では勝てない。角度と、重さと、呼吸。木刀の芯がぶれないよう、肩の力を落とす。俺はうまくない。けれど、折れない。


「リオール、まだ立てる?」

 ヴァレリスが笑う。血で汚れた頬で、無茶を言う笑顔だ。

「立つしかない!」

「そうこなくちゃ!」


「お客様!」

 アレクセイが、見えない客席へ向けて一礼する。

「悲鳴は不要、涙も不要! ――ただ見届けてくれ! ワタクシたちは、いま確かに舞台にいる!」

 分身が一斉に飛び、乱打の面へ身を投げる。砕け、粉になり、その粉が光の埃になって、客席の影を照らす。観客はいない。けど、舞台は鮮やかになった。


 足場が一枚、戻ってくる。半拍だけ。俺たちのための半拍だ。

 俺はそこへ踏み込み、木刀を振り下ろした。


音の拳の“表面”がたわむ。ヴァレリスの炎がそこへ食い込み、オーウェンの拳が芯を砕く。オスカーの転移が位置を入れ替え、アレクセイの声が崩れかけの外周を繕う。


 押し返した。たった数歩。呼吸一つぶん。だが、それでも押し返した。


 ――ザミエル、オルテア、ペイル、ヴァイン。無事でいてくれ。

 俺たちは、まだ舞台に立っている。


 ピアノが、さらに速く、さらに強く、めちゃくちゃに叩かれる。世界がまた殴られる。耳が焼け、肺がしぼむ。視界の端で、客席の影が少しだけ身じろぎしたように見えた。錯覚かもしれない。だが、たしかに“何か”が次の一撃を待っている。


「ワタクシの台詞は、まだ残っている!」

 アレクセイが笑う。声が弾む。

「――諸君、幕が降りるその時まで、足を止めるな!」


 俺は木刀を構え直す。ヴァレリスが息を合わせ、オーウェンが拳を握り、オスカーが刃を走らせる。四人の立ち位置が、音の表面に小さな四角形を描いた。アレクセイの影が、その四角を舞台として照らす。


 無秩序の乱打が、牙を剥く。

 掻き消えた二人の穴が、まだ胸に重い。

 それでも――次の半拍を、俺たちが繋ぐ。


 即興の嵐は止まらない。

 けれど、俺たちもまた止まらない。

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