夜想曲攻略戦
一音ごとに闇が濃くなる。
旋律は深夜の底に潜り込み、劇場を丸ごと包み込む。
黒い影となった仲間たちは互いを敵と認識し、攻撃を重ねていた。
オスカーの転移先にアラエルの羽が落ち、火花が散る。
ヴァインの鎖がペイルの裂け目に呑まれ、双方が弾かれる。
ザミエルの弾丸がイゾルデの斧を掠め、衝撃で斧が軌道を逸れる。
「……まずい……!」
俺は木刀で迫る刃を弾きながら、心臓を掴まれるような焦りを覚えた。
互いを殺し合う一歩手前。もう余裕はない。
――だが。
俺には、見えていた。
動きの癖、呼吸、踏み込み。黒い影の奥にいる“本物”が。
「……突破口は……オーウェンだ。」
オーウェンのヴェルディア。触れることで能力を封じる。
もし、彼が俺に触れれば――この幻惑を壊せる。
その瞬間、拳が飛ぶ。真正面から叩き潰すような一撃。
俺は木刀を振らず、紙一重で避けた。床が砕け、衝撃が背を叩く。
「オーウェン……! 頼む、気づけ!」
声は届かない。ならば――。
次の拳が振り上げられる。その瞬間、俺はあえて踏み込んだ。
木刀を盾代わりにせず、身体ごとぶつける。
「――ッ!」
衝撃が肩を裂いた。だが、同時に拳が俺の腕を掠めた。
その刹那、闇が震えた。
夜想曲の旋律にわずかな亀裂が走り、オーウェンの目に映る“敵”が崩れ落ちる。
「……リオール……!?」
彼の声が戻った。
「そうだ……! これは幻だ! みんな、敵じゃない!」
俺の声が、ようやく空気を震わせた。
オーウェンは頷き、すぐさま仲間の影に向かう。
ヴァレリスの剣を受け止め、手で触れる。炎が揺らぎ、彼女の瞳が正気を取り戻した。
ヴァインの鎖を掴み、力を吸われる前に逆に力を流し込む。鎖が解け、彼女も戻る。
アラエルの羽を払い、彼女を抱き留める。
オスカー、ペイル、ザミエル、イゾルデ――次々に触れられ、幻惑は解けていった。
最後に、闇が一度だけ激しくうねり、劇場全体を覆った。
だが仲間たちの目はもう、俺を敵と見ていない。
黒い影は掻き消え、ソリストの旋律も霧のように薄れていく。
――夜想曲、突破。
闇が弾け、夜想曲の旋律は霧のように散った。
劇場に光が戻り、シャンデリアが再び煌めきを放つ。赤いカーテンが鮮やかに染まり、座席の列は規則正しく並び直す。
俺は荒い息を吐き、木刀を握り直した。
仲間たちは膝をつき、額に汗を浮かべている。だが、皆の瞳にはもう正気が宿っていた。
「……戻ったのか」
俺が呟くと、舞台の一角でアレクセイが大きく身振りをした。
彼は観客席に向かうように腕を広げ、胸に手を当てる。
「おお! なんという悪夢の茶番でありましょうか! 仲間同士で刃を交えるなど、これほど愚かな舞台がございますか!」
芝居がかった声色が劇場に響く。だが、その手先はかすかに震えていた。
「……アレクセイ、お前……」
俺が言葉を探す間に、彼はさらに続ける。
「けれども――観客は見ました! 我らがこの幕を乗り越えたことを! 役者はまだ退場せぬと、そう証明したのでございます!」
言葉の派手さに反して、顔には汗が滲み、眼差しには疲労が見えた。
彼は誰よりも不安を抱えながら、それを“演者”として誤魔化しているのだ。
「……あ、あれ……私……リオールを……」
ヴァレリスが剣を握りしめたまま、かすれた声を漏らす。
「気にするな。幻だ」俺はすぐに答えた。「お前のせいじゃない」
オルテアが吐き捨てる。
「クソッ……気分わりィ……夢見が悪すぎる舞台だなァ……」
アレクセイはそれを聞きながらも、大仰に手を掲げる。
「さぁ、役者の皆々様! 舞台はまだ終わっておりませぬ! 次の幕が必ずございますゆえ!」
俺はその背に言葉を投げた。
「……その通りだ。ただし――まだ気を抜くな。これは第二楽章に過ぎない」
場が静まる。
仲間たちは頷き合い、再び立ち上がった。
光を取り戻した劇場の中央では、なおソリストの影が鍵盤に指を置いたまま、次の一音を待っている。