祭の夜
鐘の余韻が消えても、広場の喧騒は収まるどころか膨らんでいった。屋台の布が一斉に翻り、提灯の灯が揺れる。木の台に並ぶのは串焼き、甘菓子、薬草茶、見事な細工物。学園生が一部手伝ってはいるが、屋台を仕切るのは主に町からやって来た職人や商人たちだった。
昨日まで瓦礫と足場に覆われていたこの場所が、今は色鮮やかな市場に変わっている。その光景を見ただけで胸の奥に温かさが広がる。
「リオール、あっち!」
ヴァレリスが真っ先に駆け出した。赤い髪が灯に照らされ、まるで炎のように弾む。彼女が立ち止まったのは綿あめ屋台だった。
回転する桶から白い糸が舞い上がり、棒に巻きついて大きな雲になる。子どもたちが歓声を上げ、店主の老婆はにこにこと手を動かしていた。
「ふふん、こういうのは逃せないわ。」
ヴァレリスが受け取った綿あめは彼女の顔よりも大きく、思わず笑ってしまう。
「全部食べきれるのか?」
「もちろん! ……リオールも一口どうぞ。」
差し出されてかじると、ふわりと甘さが舌に溶けた。祭りの始まりにふさわしい味だった。
隣には水風船釣りの屋台。桶に浮かぶ色とりどりの風船を、紙のこよりで釣り上げる遊びだ。町の子どもが夢中になって挑み、破れても笑って次の子に譲る。
「アンタもやってみたら?」
「……子どもに混ざるのは恥ずかしいぞ。」
そう言いつつも、列に並ぶ。案の定、こよりはすぐ破れ、風船は水面に戻った。
「ぷっ、下手ね!」ヴァレリスが肩を揺らす。
「いや、難しいんだって。」
周りの子どもたちが「お兄ちゃんがんばれ!」と笑ってくれる。それすら心地よかった。
広場の奥からは、楽器の音が響く。笛と太鼓を持った若者が即席の舞台で演奏し、輪になった人々が手を叩いている。歌声が夜に溶け、観客が合いの手を入れるとさらに盛り上がった。
「リオール! あの香り……!」
鼻をくすぐる匂いに誘われて歩けば、炭火で焼かれた魚の屋台があった。マレティアから来た漁師らしく、手際よく串を返しては塩を振る。
「一本どうだ?」
「いただきます。」
受け取った串焼きは脂がのり、外は香ばしく中はふわふわだった。
「うま……」
「これは負けたわね。」ヴァレリスが感嘆する。王女の彼女でも素直に舌鼓を打つ味だった。
通りを歩けば、薬草茶の屋台が涼を誘う。冷えた杯に薄荷と柑橘の香り。喉を通すと心まで清められるようだった。
「……生き返るな。」
「こういうの、戦場に持っていけたらいいのにね。」ヴァレリスが笑いながら頬を赤らめる。
別の角には木工細工の店。老人が小鳥や剣の玩具を並べ、子どもに手渡しては「大事に使えよ」と声をかけている。
木の小鳥は羽を小刻みに動かし、子どもたちが歓声を上げた。
「学園のおかげで町も元気を取り戻せたんだ。」
老人が俺に微笑む。
「……こちらこそ。」
自然に頭を下げていた。
夕暮れが過ぎ、提灯の光が闇を押し返すころ、広場はさらに人で膨れあがった。町の大人も学生も入り混じり、見知らぬ者同士が肩を並べて笑っている。
舞台では、アレクセイが劇を演じていた。勇者と魔物の話らしい。雄大すぎる台詞回しに観客が笑い、仲間に背中を押されながら彼は最後までやり切った。拍手が起き、彼は誇らしげに頭を下げる。
「いいじゃない。ああいうの。」ヴァレリスが腕を組む。
「俺たちも……昔はもっと未熟だったな。」
「今も大して変わらないでしょう?」
互いに吹き出し、甘い後味の笑いが残った。
やがて壇上に学園長が姿を現した。
「皆さん。本日は、学園と町が共に歩む証として、この祭を開いたですよ。アナタたちの笑顔が、何よりの復興の力ですよ。」
柔らかい声に広場が静まり、次の瞬間には大きな拍手と歓声が湧き起こった。
学園長が下がると、空に火の花が咲いた。
赤、青、金の光が弾け、夜空を昼のように照らす。子どもたちが歓声を上げ、大人も顔を見合わせて笑った。
「……きれい。」ヴァレリスが呟く。
「ああ。」俺も見上げる。光が弾けるたび、人々の笑顔が浮かび上がった。
花火が終わると、再び祭のざわめきが戻る。屋台はまだ賑わい、舞台では歌と踊りが続く。
俺とヴァレリスは人波に紛れ、ただその空気に身を任せた。
笑い声、甘い匂い、太鼓の響き――すべてが一枚の絵のように重なっていた。
胸の奥に沈んでいた重さが、少しだけ軽くなった気がする。
――戦う日々はまた来る。けれど、今はただ、この祝祭の夜を噛みしめていた。