学園への帰還
学園の石畳はまだ不格好に繕われたばかりで、歩くたびに靴底からごつごつとした感触が伝わってきた。壁のひび割れには新しい漆喰が埋められ、木の柵にはまだ乾ききっていない塗料の匂いが残っている。
陽は高く、風は冷たい。見慣れた景色のはずなのに、帰ってきたと実感するまでに時間がかかった。
俺とヴァレリスは並んで歩いていた。足取りは自然に揃っていたが、言葉はほとんど交わさなかった。肩越しに彼女を見れば、横顔はいつも通り凛としている。
けれども、その奥に影があるのを俺は知っている。俺と彼女だけが持ち帰った、あの都市での記憶。
「リオール!ヴァレリス!戻ってたのか!」
広場に入ると、真っ先にオーウェンが手を振ってきた。相変わらず声がでかい。大きな影がこちらへ突進してきて、俺の背中をばしんと叩いた。
「外でなんかいろいろとあったんだろ?顔色が悪いぞ!?」
「……まぁ、な」
どう返せばいいのか、言葉を選んでしまう。ヴァレリスは短く笑って肩をすくめるだけだった。
オーウェンは深くは訊かない。知らないから。知らないことは、ときに救いになる。
「なあ、今回の騒動って、またあるのかな」
一年生の声が漏れ聞こえた。
「いやだな……」
隣の子が小さく肩をすくめる。
俺は足を止めかけ、ヴァレリスに袖を引かれた。
「いまは答えなくていいわ」
「……ああ」
確かに、答えようがない。知っていることは言えないし、言えたとしても皆が望む答えじゃない。
講堂へ向かう道すがら、あちこちに張り紙が目に入った。
――「資材返却のお願い」
――「補修作業シフト」
――「献血協力感謝」
一枚一枚に小さく「ありがとう」と添え書きがある。その文字は誰のものか判別できない。けれど確かに、ここに生きた人間がいて、誰かを思って残した言葉だ。俺は指先でその紙をなぞった。温度はないのに、不思議と心の奥に温かさが残った。
講堂の前に人の波ができていた。先生たちの姿もある。全員が呼び出されているらしい。俺たちは最後に足を踏み入れた。木の床が軋み、光が差し込んで長い帯を作っている。
整然と並んだベンチには、すでにクラスメイトたちが座っていた。オスカーは腕を組み、「資材が足りないですねぇ...。」とぼやき続けている。イゾルデは頭に包帯を巻きながら「次が来ても動けるよ!」と強がっている。アレクセイは机を指で叩き、リズムを取っているが、どこか元気がなかった。
皆の顔には疲労と不安が色濃く出ていた。
長く続いた緊張が、心の奥を削っている。そこへさらに「次の遠征」の噂が重くのしかかっていた。
ヴァレリスが小さく吐息を漏らす。
「学園ごと沈んでるみたいね」
「……仕方ないだろ」
「ええ。でも、こうしてると、私たちだけ別の場所から戻ってきたみたい」
彼女の言葉に、俺は返せなかった。
やがて、ぎいと扉が開いた。学園長だ。
視線が一斉に集まり、ざわめきが静まる。
「皆さん」
柔らかい声。けれど講堂の隅々に届く力を持っていた。
「このたびの騒動で、皆、よく持ちこたえたですよ。遠征に出た者も、留まって支えた者も、誰一人欠けることなく今日を迎えられたですよ。それはわたしにとって、何よりの誇りなのですよ。」
拍手が自然に広がった。控えめで、けれど確かな拍手。
だが、不安は消えない。皆の顔には影が残っていた。
「しかし――」
学園長は人差し指を一本立て、左右に振った。
「戦うばかりでは花は咲かぬのですよ。耐えるばかりでは実りはない。笑い、食べ、歌い、隣と肩を並べること。それもまた、学びの一つなのですよ」
その言葉に、ざわめきが生まれる。誰もが予想していなかった流れだ。
学園長は満足げに頷き、両手を広げた。
「よって――復旧祭を開くですよ!」
一瞬、講堂が静止した。
次の瞬間、爆発のように歓声が広がった。
「祭!?」「本当に?」「俺たちが屋台を?」
「出し物も!?」
「競技もやるのか!」
俺は呆然としたまま、ヴァレリスを見た。
彼女も同じように驚いていて、そして、久しぶりに――本当に久しぶりに、心から笑った。
その笑みは、あの都市で見た光をかき消すように鮮やかだった。
「準備は今日から始めるです。屋台、余興、競技、後夜祭。すべて皆で作り上げる。掃除も片付けも学びなのです。先生たちも本気ですよ!」
学園長は胸を張り、満足げに壇を見渡す。
歓声は止まず、笑い声が講堂に渦巻いていた。
俺は胸の奥に温かさを感じた。
まだ痛みは消えない。それでも、この賑やかさは確かにここにある。
ヴァレリスが小さく囁く。
「……楽しみましょう」
「ああ」
知らなくていい闇を胸に抱えたままでも、今はそれでいい。
学園に笑いが戻ってきたのだから。