カイルの決意
爆ぜたのは光だ。熱だけじゃない。衝撃だけでもない。音が遅れてやってくる。
ヴァレリスが吹き飛ぶ。床を転がり、柱に背を打ち、咳と共に血を吐いた。
俺は反射で前へ出る。彼女の前に立った。カイルの視線が俺を捉える。標的が一つに絞られる。
「邪魔だよ、リオール」
低く、抑えた声。ひどく静かだ。静かすぎて、怖い。
その静けさの中にも、悲鳴が混ざっている。自分で気づかない悲鳴が。
「僕は、守る。これからは、僕が代わりに。二人の分も」
「カイル……」
俺は呼ぶ。言葉がでたのは、戦いの技でも、正義でもない。ただ友として、同級生として、俺として。
「本当に守る気なら見てみろ。広間を、外を。お前の光で全部が焼けてるんだ。」
彼は、視線を動かさない。
俺しか見ない。
俺を斬れば、世界が元に戻ると信じている目。
その残酷な純粋さが、神々しく見える。だからこそ、恐ろしい。
「ヴァレリス、立てるか?」
背後へ短く問う。
「立つわよ……。」
かすれた声。炎の熱で肺が擦り切れたみたいな咳が続く。それでも、彼女の足音が俺の少し後ろへ近づいた。
「やるわよ。二人で。」
頷く。
俺は一歩進む。カイルも一歩進む。
足音が同時に響き、同時に止まる。
素振りの列から、試合の一合目に入るときの静けさ。
だが、ここに審判はいない。決着の合図も、救いの笛もない。
――見切れ。
相手の重心、肩のわずかな沈み、目の焦点の揺らぎ。
カイルの剣は、初動が速い。だが、速さは線を生む。線は見える。
俺は木刀の先を彼の鼻先に置くように、空間を制する。制した、ふりでもいい。
その瞬間、彼の眉間がひくりと寄る。
来る。
直剣が跳ねた。
肩ではなく、腰で斬る。
低い軌道。膝を刈る刃。
俺は足を引く。間に木刀の柄を差し込む。刃が柄の腹を滑り、火花ならぬ光花が散った。
まぶたが反射で閉じる。閉じるな。
視界が戻る前に、俺は左掌で木刀の中ほどを押し、梃子を利かせて刃を上へ弾く。
その反動で、木刀の先が跳ね上がる。目の前ががら空きに見える。
突く。
短い突き。胸骨の上で止める。
骨に触れたのが分かる。
押し込めば、折れる。
だが、押し込まない。
押し込めば、戻れなくなる。
俺は、押し込まない。
「ッ……!」
息が詰まる音だけが、カイルの口から漏れた。だが、動きは止まらない。
肘で木刀を払いのけ、逆に肩口から返してくる。
刃が耳元をかすめ、熱で鼓膜が鳴る。
後ろへ倒れかけた身体を、ヴァレリスが支える。
彼女の手が熱い。呼吸が荒い。
それでも、炎剣が俺の斜め後ろから、カイルの視線の外を走る。
「届け――!」
炎が線となり、光の花粉を裂いて進む。
カイルの背輪がまた痙攣した。
今度は、膝が一瞬、落ちる。
床への荷重が、ほんの糸ほどだが切れた。
その糸の切断を、俺の足裏は確かに感じている。
今だ。
俺は踏み込んだ。木刀の石突で、彼の足首を払う。
直剣の切っ先が宙に泳ぐ。
身体が浮いた。
その浮きに、上から柄頭を落とす。肩の上。
骨に響く音が手首へ伝わる。
カイルの口角が歪む。痛みだ。遅れてやっと、痛みが彼の表情に浮かんだ。
「ごめん、カイル。」
俺は囁く。
謝る理由はたくさんある。彼の知っている世界を壊したこと。彼の大切を奪ったと彼が信じていること。今、彼の骨に痛みを刻んでいること。
そして――彼を、ここで止めること。
「僕は……っ、返してもらう……!」
カイルの瞳にまた光が宿る。涙がもう乾いている。
彼は自分の頬の涙の跡に気づかない。
代わりに、両足で床を強く踏んだ。
光輪が広がる。
花弁が幾層にも重なり、天井に触れるほどの高さに達する。
光が天井のひびを舐め、夜の空に漏れ出した。
外の闇が、一瞬、昼になった。
「――!」
ヴァレリスが肩で息をしている。俺の肺も火照って悲鳴をあげている。
ここで終わらせなければ、広間が保たない。
いや、広間どころではない。街そのものがこの光に焼かれる。
「ヴァレリス、合わせろ!」
「任せなさい!」
俺は木刀を構えなおす。両足の幅をわずかに広げ、膝を窄め、腰を落とし、背骨を真っ直ぐにする。
ヴァレリスが右斜めの位置に滑り、炎剣の先を下げて、いつでも上へ抜けられる形に構えた。
カイルは正面。直剣を正眼。光輪がゆっくり、呼吸のように縮んだり広がったりしている。
「行くぞ!」
俺が走るのと、カイルが踏み込むのは同時だった。
刃が来る。
俺は木刀を斜めに起こし、刃の腹に当てる。
受けるのではなく、いなす。
肩の支点を動かしながら、刃を内から外へ流し、勢いを芝居に変え、力の向きを地面へ逃がす。
床が鳴る。石が割れる。
俺の肩がきしむ。
その反動で木刀の先が跳ねる。
跳ねた先に、ヴァレリスの炎が重なる。
二人の動きが、ひとつの刃になる。
「はああッ!」
炎は線を越えて面になり、カイルの胸の前で白く弾けた。
光輪が激しく震え、花弁がばらける。
カイルの目がわずかに見開かれる。
一瞬。たった一瞬。
それで充分だ。
俺は木刀の柄尻で、彼の手首を打つ。
指が開く。
直剣が床に落ち――ない。
彼は落とさない。手の皮膚が裂けて血が滴るのに、握り直した。
そして、もう一歩、前に。
「どうして――」
俺は思わず、問う。
どうしてそこまで、前に来る。
どうしてそこまで、痛みを顧みない。
「僕は……守られたから!」
カイルは叫ぶ。
声は掠れて、喉が潰れかけている。
「だから、今度は僕が守る! 全てを! ヴィクターも、フィオナも、ここで!」
その言葉に、刃が宿る。
言葉が刃に変わってしまう、その危うさ。
それでも――その言葉自体は、真っ直ぐで、まぶしかった。




