最奥へ
重厚な扉を押し開けると、軋む音が広間に響いた。
冷気が肌を刺し、外の祭の熱気がまるで夢のように遠ざかる。
そこは、これまで歩いてきた通路とは明らかに異質な空間だった。
石壁には燭台が等間隔に並び、炎がゆらゆらと揺れて影を踊らせている。机や器具が整然と並び、瓶や管が整列し、まるで劇場の幕が上がるのを待っているかのように整っていた。
その中央に――二人の影が立っていた。
ひとりは白髪を撫でつけ、豊かな口髭を蓄えた老紳士。街で孤児に施しをしていたときと同じ、慈愛に満ちた微笑みを浮かべている。だが、その手に握られた巨大なツヴァイハンダーが、この場が決して和やかな対話の場ではないことを物語っていた。
「ようこそ、若き剣士たち。」
ヴィクターが口を開いた。声は柔らかく、客人をもてなすような上品さを帯びている。だが、言葉の底には揺るぎない冷酷さが潜んでいる。
その傍らに立つのは黒髪の女――フィオナ。
「……あなた方に理解されることはない。」
彼女の言葉は短く、氷のように冷たかった。
「ヴィクター……!」
ヴァレリスが炎剣を構え、怒りを隠さず睨みつける。俺も木刀を握り直し、足を前に出す。
「私はただ、人類の未来を見据えているだけだ。」
ヴィクターは淡々と語る。その声音は、説得ではなく事実を告げるかのように平然としていた。
「そのために、蕾核を集めさせてもらった。犠牲は常に必要だ。進化には代償が伴う。」
「孤児を犠牲にしてまで……未来だと?」
声に怒りが混じる。胸の奥が焼けるようだった。
「犠牲なくして進歩はない。君たちの存在もまた、誰かの犠牲の上に成り立っている。」
柔和な口調が、余計に不快だった。
「私の正義は、ただヴィクター様に尽くすこと。」
フィオナが静かに宣言した。鞭剣を振ると、鎖のような刃が音を立てて広間に響く。
「《黒薔薇》。」
次の瞬間、ヴィクターがツヴァイハンダ―を床に突き立てた。
轟音。
黒い棘が床から一斉に噴き出し、瞬く間に広間全体を覆い尽くす。まるで黒薔薇の茨に閉じ込められたようだった。
「っ……体が……重い……!」
空気が粘つき、踏み込みが鈍る。視線を動かすだけで分かる。結界内では、俺たちの反応そのものが鈍っている。
ヴァレリスが炎剣を振るい、棘を焼き払おうとする。だが――
「無駄よ。《アイビー》。」
フィオナの鞭剣が伸び、炎を絡め取った。
火花が散り、炎剣が押し戻される。
「くっ……!」ヴァレリスが呻く。
俺は木刀を振り下ろし、迫る棘を叩き落とす。だが次々と生え、息が乱れる。
「拘束と鈍化……完全に噛み合ってるな!」
額から汗が滴る。
そこへ鞭剣が襲いかかり、木刀で受け止めた瞬間、腕が痺れた。
「さあ、見せてもらおう。」
ヴィクターの低い声が響く。
「無力を力に変えた、その在り方を。」
黒棘の檻はなおも広がり、俺たちを追い詰めていった。
一方その頃、街では――。
「二人とも遅いな……。」
カイルは広場の片隅で額の汗を拭い、きょろきょろと辺りを見渡していた。
さきほどまで祭の演舞に加わり、子どもたちと木刀を交えていた。だが気がつけば、リオールとヴァレリスの姿が見当たらない。
「買い出しにしては……長すぎる。」
胸の奥に不安が灯る。
彼は人混みを抜け、屋台の店主に声をかけた。
「すみません。黒髪の青年と赤い剣を持った女性を見ませんでしたか?」
「ん? ああ、あの二人ならこっちの路地に入っていったよ。」
さらに別の通りへ。果物屋の老婆は、思い出したように言った。
「若い子たち? 確かに見たよ。祭の音から遠ざかるほうへ歩いていったね。」
孤児院の子どもたちにも尋ねる。
「赤い剣のお姉さん? 見たよ! でもすぐに狭い道に消えてった!」
証言は断片的だが、方向は一致している。
「……やっぱり。」
カイルの胸に焦りが広がった。
歩を進めるごとに、祭の音が遠ざかっていく。
喧騒が薄れ、街の奥に入るほど、空気は冷たく静まり返っていた。人影もなく、ただ遠くで太鼓の音がかすかに響くだけだ。
「二人は……何をしてるんだろう。」
呟きながらも、足は止まらない。
やがて石畳の先に、人気のない区画が広がった。
路地の奥、誰も寄りつかない場所へ――リオールたちの足取りは消えていた。
「ここから先に……。」
カイルは深呼吸を一つして、拳を握りしめる。
決意を胸に刻み、彼は暗がりの先へと歩みを進めた。
「やっぱり……何かあったんだ。」
カイルの胸に不安が広がる。それでも足は止まらない。
人気のない区画に入り込むと、祭の音が一気に遠ざかった。
静まり返った路地に立ち止まり、息を整える。
「リオール、ヴァレリス……待っててくれ。」
拳を握りしめ、前を見据えた。
二人の後を追い、カイルはアジトの方角へと駆け出していった。




