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発見、潜入へ

路地のさらに奥に、使われていない荷捌き小屋がひとつ。戸板の内側に木栓、鍵は外からでも掛かるが、内から外す縄が新しい。


隙間から覗けば、机の上に小箱が二つ。片方は空、もう片方は鍵がかかり、箱の縁に指で掴んだ痕が生々しく残る。


床に膝をついて筋をなぞると、二輪の出入りで黒ずんだ帯が複数重なっている。帯は川へ向けて真っ直ぐ伸び、桟橋手前で唐突に薄くなる。そこだけ、面で拭われた跡。


「ここが、積み替えの“前室”。」

「内職のように静かに。目立たないように。祭の夜なら、音はすべて呑み込まれる……。」


引き返す途中、聞き込みを広げる。果物屋の老主人は「細い体の男」を見ていた。

「背負い籠を背負って、でも足取りは軽くてね。『善い人』に見えたよ。」

魚屋は声の調子を覚えていた。


「穏やかで、急かさない声。『大丈夫』って何度も言ってた。怖がらせないために。」

酒場の女将は、顔は思い出せなくとも衣擦れの音を覚えていた。

「高い布には出ない音。粗い生地の擦れる音だったよ。ね、夜の音って、案外覚えるものなんだ。」


断片が積み重なっていく。どれも決定打にはならないが、互いに他を補強する。

ヴァレリスが懐から小さな手帳を出して、淡々と印をつけていく。


一度、音のする方へ視線を向ける。遠くの広場の輪で、カイルが子ども達に囲まれている。紙灯籠が星座のように並び、太鼓が鼓動のように街を鳴らす。

「戻る?」

「いや。」俺は首を振った。「もう少し“奥”だ。」


倉庫列の外れに、地図にない路地が一本あった。家と家の隙間に押し込められたような、猫一匹がやっと通る幅。鼻先を入れると、冷たい空気に薬の残り香が混じる。

「ここだ。」


肩を斜めに入れて進むと、ぬかるみの土に細い溝が重なっていた。爪先でなぞると、乾き際の輪郭がはっきりしている。新しい。


突き当たりは薄い壁。手探りで触れていくと、指先が空を切る。人ひとり分の隠し戸。

「開ける?」

「今は痕跡の確認だな。」


扉の下端に落ちているのは糸埃、木屑、粉のような黒――だが、どれも量が少ない。掃除の癖がついている相手だ。

そういう相手は、必ず“抜ける道”を複数持つ。


戻り道、川面の向こう側に小さな灯が一つ、二つと揺れた。渡しの小舟ではない。手漕ぎの短艇が、灯を布で包んでいる。


「対岸側にも“口”がある。」

「迂回すれば、外から位置を挟めるわね。」

夜の水は声を運ばない。対岸へ回り込む道を地の利で選び、足音を殺して進む。


俺たちは灯から外れ、影を継ぎながら、倉庫列の対岸に立つ建物の影へ回り込んだ。

そこに、同じ印の板札が掲げられていた。表向きは「寄託品の保管庫」。


寄付で集まった衣類や器物を選り分けるための場所――そんな説明が下に小さく刻まれている。


戸は施錠。覗き窓の向こう、棚に布の束、壺、包み。整然と並びすぎて、息がない。

「寄付の仕分け。……なら、孤児院の札が出てくるのも不思議じゃないわ。」

「問題は、仕分けの“後”が見えないことだ。」

「ええ。」


月のない夜、灯籠が川面を流星のように滑っていく。

風が変わり、祭の匂いが薄くなる。代わりに、冷たい薬のにおいが、遠い潮の匂いの奥でゆっくりと重なった。


「……戻ろう。」

「カイルに状況を共有する?」

「今はいい。」

俺は自分の声が思ったより低いのに気づいた。

「まだ確定したわけじゃないが...真実は残酷かもしれない。」

ヴァレリスは短く頷くと、歩幅を俺に合わせた。


人混みを離れる前に、ヴァレリスが振り返る。

「ここまでの印象――どう?」

「偶然じゃない。」俺は木刀の柄を握り直した。

「何者かが、祭の音に紛れて“運び”、水に紛れて“隠し”、祠に紛れて“処理”してる。」

「“誰”かしらね。」

名前は言わない。だが、三人の間に、同じ影が落ちる。

聖人のように人々を導く声。落ち着いた所作。支援者としての顔――そして、“先生”という呼び名。


夜風が冷たくなった。灯籠のひとつが、川面で小さく揺らいで消える。

祭は続いている。だが、俺たちの夜は少しだけ、深くなった。


「アジトの位置は掴んだ。」

「ええ。確定じゃないけど、十分に“近い”。」ヴァレリスが肩を回し、表情を引き締める。「次は中だ。」

カイルが拳を差し出す。

「行こう。」

拳と拳が軽く当たる。皮膚越しに、鼓動が一瞬だけ重なった。


太鼓の音が背中を押す。

俺たちは踊りの輪の裏を抜け、川のにおいのするほうへと歩き出した。

灯が薄れ、影が濃くなる。


アジトは、もう目と鼻の先だ。

でも、確定はしない。

確かなものは、道の先で掴む。


それでいい。今は、足を運ぶだけだ。

見えるまで、匂いが消える前に。

俺は懐の木札を確かめ、木刀の柄に指を添えた。


必ず辿り着く。

祭が終わる前に。

あの“奥”へ。


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