探索
太鼓の連打が一段高くなり、灯籠の列が風にふるえた。
広場ではまだ踊りが続いている。
輪の中心で、カイルが子どもたちに素振りの型を教えていた。笑い声が重なって、夜の空気が丸くなる。
「僕はここで皆を見てるよ。迷子にならないようにってさ。」
カイルは気負いのない笑顔で言った。
「任せる。何かあったら声を上げろ。」
「うん!」
拳を軽く合わせると、ヴァレリスが横で小さく手を振った。
俺とヴァレリスは、人混みの縁を抜ける。灯の密度が落ち、屋台の呼び声が遠のく。祭の裏通りは、音だけが薄皮のように流れてきて、足音がやけに大きく響いた。
「孤児院は川沿い。まずは近くで聞き込みね。」
ヴァレリスの声は抑えられていた。
「あぁ。噂の出所を絞る。」
川面を渡る風に、花油の匂いがかすかに混ざる。曲がり角の先、洗濯物を取り込んでいた女が俺たちの足音に気づき、目を瞬いた。
「今、少し聞きたい。」
俺が名を名乗ると、女はほっとしたように肩を落とした。
「さっきから人が来ては同じことを聞くの。……戻ってないのよ、あの子。」
「最後に見たのは?」
「夕方。孤児院の手伝いを終えて、この通りを走っていったわ。手にパンを抱えてね。誰かに呼ばれたのか、すぐ立ち止まって、路地へ……そこからは分からないの。」
路地は三本に分かれている。ひとつは川へ、ひとつは倉庫街へ、もうひとつは祭の灯から遠ざかる薄暗い筋。俺は靴底を擦る痕を探した。砂の上に、小さな足跡。踵が内へ寄っていて、走り慣れない子どものそれだ。
「こっちだわ。」
ヴァレリスがしゃがみ込む。足跡の脇、黒い粉が薄く散っている。塗炭でも煤でもない、指に乗せると細かくきらめく。
「……金属灰?」
「粒が細かすぎる。何かを“こすり取った”ような。」
俺は粉を拭い、匂いを嗅いだ。薬草と油の匂いがする。鍛冶場の匂いではない。簡易な器具の滓――そんな印象だけが残った。
角をもう一つ曲がる。倉庫の影で、古い木箱がひっくり返っている。釘を打ち直した跡、綱擦れの新しい傷。蓋の内側に、布が一枚。白で、洗いたてのように清潔だが、片隅に小さな数字が縫い付けられていた。
「番号札?」
「孤児院で使う識別ね。」
ヴァレリスの顔がわずかに強張る。
「子どもたちの持ち物に縫い付けるって聞いたことがある。」
俺は布を畳み直し、箱の周りをひと回りした。土が抉れている。重いものを降ろし、また載せた跡。遠くから、二輪の軋む音が遅れて耳に届いた気がした。
「運ばれた――のか。」
「決めつけない。けど、ここで何かを“詰めて”動かした痕跡はある。」
ヴァレリスは言い切らない。その慎重さに、俺も頷く。
川沿いへ戻る道の中ほど、古い祠の前で、独特の匂いに足が止まった。乾いた刺すような香り。消毒に使う蒸留薬の匂いだ。祠の脇の木椀に、その液が垂れた跡がある。誰かがここで布を湿らせ、拭ったのだろう。さっきの金属灰が、跡形もなく消えていた。
「用意が良すぎる。」
思わず漏れた俺の言葉に、ヴァレリスが目だけで同意する。祠の影、石畳の目地に、ひっかかった何かが光った。細い針金の先、微かな樹脂の玉。引き抜いて匂うと、薬草と同じ系統の匂いがする。
「採った後を、綺麗にするための道具かも。」
ヴァレリスは針金を見つめる。
「“採る”?」
「仮説よ。」彼女は目を伏せ、言葉を丸めた。「子どもから何かを。……例えば、ヴェルディアの反応だけを。」
祭の音が一段近づいた気がした。笑い声、歌声、太鼓の乱れ打ち。こちらの静けさと重なると、音楽が薄い膜の向こうにあるように感じる。
「聞き込みを続ける。」
俺たちは川筋沿いに店を三軒当たった。果物屋の老主人は「夕暮れに見た、背負い籠の男」を、魚屋は「静かな声で子どもに話しかける誰か」を、酒場の女将は「手際のいい“善い人”」を、それぞれ口にした。どれも断片的で、形は掴めない。だが共通しているのは――“落ち着いていた”という一点だ。
倉庫街の外れ、人目のない荷捌き小屋に灯りが洩れていた。戸の隙間から覗くと、粗末な机と、上着を掛けたフック。卓上に小箱が二つ。ひとつは空、もうひとつは鍵がかかっている。
「開ける?」
ヴァレリスが視線で問う。
「いいや。今は痕跡だけで十分だ。」
俺は机の脚に膝をつき、床の擦れ跡を指でなぞった。ここから外へ、二輪車のタイヤが幾度も出入りしている。跡は川に向かって真っ直ぐ延びていたが、河岸の手前で唐突に消える。そこだけ、石畳が新しい水で拭われていた。
「拭い跡が、光ってる。」
祭の灯が反射して、薄い帯のように浮かぶ。雑だが広い面を、一気に濯いだ痕だ。匂いは、さっきの消毒薬。
「……運河筋の裏口か、別の出入りか。」
「脇の桟橋、関係者しか使わない通路があるかもしれないわね。」
桟橋へ降りる細い階段を探していると、腰に短剣を差した男が二人、荷を抱えてこちらの通りへ上がってきた。従者の制服――この街で時折見かける、慈善団体の手伝い服だ。彼らは俺たちを見ると会釈し、そのまま通り過ぎようとする。
「夜分にご苦労。」
ヴァレリスが自然に声をかけた。
「いえ。祭の夜は忙しくて。」
短い返答。
荷の布端から、白い布が覗いた。孤児院で見たのと同じ上等な晒。角に、小さな数字の糸目。男の腕にかかる匂いは、消毒薬。
「孤児院の支援か?」
俺が問うと、男は一拍置いて微笑んだ。
「はい。布団と衣の差し入れです。」
言葉は整っている。だが足は急いでいた。二人はすぐ雑踏へ紛れ、灯の海へ溶けた。
「追う?」
「今はやめておく。」
ここで騒げば、何も掴めなくなる。俺たちは互いの呼吸を整え、足元の水気が引いていくのを見ていた。
戻り際、祠の前でさっきの洗濯女が俺たちを呼び止めた。
「これ、さっきの子が落としたのを拾ったの。……もし何かの役に立つなら。」
掌にのったのは、小さな木札。角がすり減り、片面に子どもの字で名が刻まれている。裏には薄く、院の印。
「預かる。必ず返す。」
俺は木札を懐に収めた。重さはないのに、やけに存在感があった。
ヴァレリスが俺の方をちらりと見る。視線は問わない。ただ、確かめる。
「明るいうちに辿れない足跡も、夜の灯なら浮かぶことがあるわ。」
「続きは――ここからだ。」
太鼓の皮が鳴り、夜空に火の粉が舞った。
祭の音は賑やかなまま、路地の奥では薄い匂いがまだ消えずに残っている。
俺は懐の木札を指先で確かめ、木刀の柄を握り直した。
――見つける。
灯の届く場所でも、届かない場所でも。




