独り立つ剣
我は錆びた大太刀を握りたり。赤黒き錆は刃を覆ひ、ところどころ欠け口深く、斬る力は久しく死せり。されど重みは在りて息づく。鉄塊のごとき質量こそ、今宵に要る刃なり。
踏み出す。土が沈み、ひびが奔る。振り下ろす。空気が軋み、骸十余の頭蓋は粉となり、胸骨は裂け、肩は外れ、散り散りに砕けて砂の雨となる。
月白がその粒を照らし、夜風がそれを攫ふ。
横へ払ふ。列がひとつ、帯を断たれた如くにほどけ、二十、三十の影が同じ角度で宙に舞ひ上がる。
壁に叩きつけられた骸は蜂の巣のやうに砕け、地に落ちたものは膝から潰えて、二度と起き上がらず。
前列を押し出すべく後列が一斉に踏み鳴らす。訓練の癖は死しても抜けぬらし。だが意味は無し。拍が揃ふほど、一振りで断ち切り易くなるのみ。
我は低く構へ、刃を地へ這はす。脛と膝がまとめて弾け、連鎖して列は崩る。崩れた頭上へもう一度落とす。衝撃の重なりに、残滓は粉々となりて風へ還る。
男、喉を裂きて叫ぶ。
「やめろォォ! 俺の仲間を奪うなァァ!」
声は虚ろに夜へほどける。答ふる言葉は我に無し。返すは刃の往還のみ。
四方より包囲の輪が狭まる。前後左右、同時のはさみ打ち。よくも形を作る。ならば、形ごと壊すのみ。半身に開き、肩を落とし、柄の支点を半寸ずらす。
起こりを消し、風だけを先に走らせる。風が面を撫でた刹那、鈍い弧がそこへ到達す。右列は腰で折れ、左列は膝で砕け、後列は反響で踵から崩れた。
踏み替える。刃筋を入れ替え、逆袈裟に跳ね上ぐ。十余が宙に巻き上げられ、回転ののち、月光の下で白き塵となって散る。
返す手で背後を払へば、忍び寄る列は丸ごと吹き飛ぶ。面には笑みが貼り付いたまま、首の根だけ外れて落ちてゆく。
砂塵が渦を巻く。視界は曇る。されど我が歩む先だけは常に拓ける。振れば拓ける。拓けた道を踏む。踏めばまた崩れる。崩れた上へ、重ねて振るう。
骸は策を変へる。ばらけ、間合ひの外に残り、投げ槍のまね事を仕掛ける。影が三条、斜めに奔る。無駄なり。
柄尻を返して受け、弾き、その反動で前へ出る。投擲の隙間に身を差し入れ、懐の列を一息で叩き潰す。槍が地に落ち、鈍い音を残して止む。
さらに遠巻きの輪。間合ひを潰し、石を投げる。石は風に負け、刃に負け、拍に負ける。こちらの拍が高く、重く、整っておるゆゑ。足場の震へだけで前列は腰から折れた。
我は息を乱さず、ただ間合ひを測る。吸ふ、吐く、踏む、払ふ。呼吸が刃となり、拍が道となる。無双とは声にせずとも、戦場はすでに我ひとりのものなり。
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砕け散る音の間に、別の夜が差し込む。鳥居の影。砂冷たく、月細く、息白し。宵の門はそこに立ち、微笑を絶やさぬ。声は静かに、淡く落ちる。
「……呼吸を見せてください」
我は頷き、吸ひ、吐き、踏み、振る。薙刀の先は水のやうに流れ、我が大太刀の軌を逸らし、空の方角へ導く。刃は触れもせず、我は砂に片膝をつく。
「力で押さないで。時機を掴みなさい。」
次の夜。十合、触れず。二十合、弾かれる。掌は裂け、柄に血が滲む。宵の門は眉ひとつ動かさず、淡々と告ぐ。
「焦ると、剣はすぐに崩れます。」
さらに夜。三十合、四十合。薙刀の円は途切れず、我の弧は毎度ほどかれる。肩は焼け、背は張り、息は荒い。砂の上に倒れ、空を仰ぐ。彼女は近づき、影を落として問ふ。
「ここで止めますか。」
我は頭を振る。歯を噛み、立つ。彼女は小さく頷き、ただ「もう一度」とだけ言ふ。
幾夜。数ふることすら虚し。ときに雨、ときに風。鳥居の列は濡れて黒く、砂は重くまとわりつく。刃は重く、腕は痺れ、膝は笑へど、稽古は止まず。宵の門の声は変はらぬ。
「肩の力を抜いて。腰で受けて、腰で返すのです。」
「息を置きなさい。間を継がないこと。」
「見てから振るのではなく、見える前に歩を置きなさい。」
ある夜、薙刀の環を初めて内側から撫でた。軌道がわずかに乱れ、我が刃がそこへ滑り込む。触れた感触は薄く、しかし確かな突破。
胸の底で何かがほどける。宵の門は口の端をわずかに和らげ、
「続けましょう」
と言ひ、間髪を容れず踏み込んでくる。
別の夜、我は砂に両手を突き、声を落とした。
「……独りで立つ意味など、いづこにある」
息は荒く、視界は霞む。恩の家の灯が、刃の背にちらと映る。
宵の門は傍らにしゃがみ、目線を合わせ、静かに言ふ。
「意味は探すより、選ぶもの。あなたが選べば、それが意味になります」
言葉は柔らかく、されど退路を塞ぐ。逃ぐる術を与えず、ただ立つべき位置だけを示す声。
我は砂を握りしめ、掌の砂粒が血に貼り付く感触を確かめ、立つ。幾旬を刻み、夜毎に折れ、夜毎に繋ぎ、呼吸の形だけが少しづつ整ってゆく。
最後の夜、宵の門は問ふ。
「カミヤ。あなたは独りでも、なお立てますか。」
我は大太刀を抱き、答ふ。
「然り。我は独りにて立つ。虚無にあれど、なお剣を執る」
彼女は目を細め、頷き、
「……それでいいです。」
とだけ言った。稽古は風のやうに終はり、胸の底に静かな熱が残った。
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砂塵が裂け、音が戻る。骸はなお尽きず。眷属は笑ひと叫びの間で顔を歪める。彼の背に従ふ影の身形、服の切り口、足運びの癖――すべて、我が潰した組織の残党なり。
生の顔でなくとも、鍛錬の拍が語る。汝ら、死してなお、あの拍を手放せぬか。
ならば、我が拍で上書きするのみ。前列の爪先が揃ふ瞬間を待つ。揃ひし処こそ、脆き継ぎ目。我は半歩ずらし、打突の頂点をそこへ重ねる。
一薙ぎで十、返して二十、踏み替へて三十。数は意味をなさず、拍のみが意味を持つ。
遠間より槍を突き出す影、二条。刃の腹で受け、柄を滑らせ、突端を外へ捌く。そのまま前へ。喉の高さで横一文字に叩きつける。
斬れずとも、頸椎は音もなく砕けた。肩口からぶら下がった頭が遅れて地を叩く。
右方、駆け上がりの足音。地形を使ふ気配。我は先に地を使ふ。刃を地へ少し沈め、土を起こして払う。砂が幕となって視界を奪ひ、その幕の裏で柄頭を打ち込む。
三つ四つ、鈍い手応へ。幕が晴れる頃には、列は膝から折れてゐた。
我は止まらぬ。止まれば拍が死ぬ。拍が死ねば、剣は枯れる。吸ひ、吐き、踏み、払ひ、返し、送る。
男の声が掠れる。
「や、やめろ、やめてくれ……返せ……俺の仲間を返せ……」
仲間。その語が空に浮かぶたび、胸の遠い底で水面が一度だけ波立つ。
恩の家の灯、若き日の我の影。だが足は止まらぬ。止めぬと決めた夜があった。
最後の突撃。残る骸すべてが拍を合わせ、前へ押し出す。踏音が地を揺らし、空気が押され、夜が厚くなる。良い。丁寧だ。丁寧さは、壊す手順を教へる。
我は半身に開き、柄をわずかに送り、重心を脇へ移す。振りの起こりは消え、風のみが先に走る。風が面に触れた瞬間、鉄の弧がそこに落ちる。
列の根元が断たれ、上体が遅れて崩れ、押し出された後列が前列の瓦礫に躓き、連鎖が前へ折り畳まれる。
ここまで、と刃が告げた。手中の重みがわずかにゆらぎ、柄の奥で古い悲鳴が鳴る。錆はすでに維持に耐へぬ。
我は最後の一歩を置き、斜めに打ち下ろす。地とともに断ち割る。亀裂が奔り、列は根こそぎほどけ、衝撃の風が後方へ抜ける。静かな間。砂と白い粉が、雪のやうに落ちる。
――罅。掌に伝はる。赤黒い刃が、花弁のやうに剝がれ落ちる。
虚無の象徴は、もはやここにあらず。ならば、次だ。
紫の気配が立つ。花の匂ひがひと息だけ満ち、空気が深く吸ひ込まれる。月の白は紫に染まり、砂塵の渦は外へ押しやられる。世界の輪郭がひと度、静かに改まる。
我は息を整へ、ただ名も告げず柄を取る。呼吸と拍と歩幅、その全てが刃に束ねられる。導くために、断つ。断つために、守る。
我がヴェルディア――『アザミ』。真の刃、今ここに顕現す。




