表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

50/123

熱戦の後で

白い花弁が霧となって散り、男とアスファデルの姿は夜空に掻き消えた。

討伐の勝利を告げるはずの甲板には、安堵ではなく重苦しい沈黙が漂う。


俺は膝をついたまま動けなかった。

『月下美人』の反動が全身を苛み、腕は震え、呼吸は荒い。剣を支える力も残っていない。


ただ甲板に伏せながら、遠くの声に耳を澄ませるしかなかった。


「……連れ去られたか。」

カミヤ先生の低い声が夜風に溶ける。

「ワタシの目の前でやってのけるとは、愉快ではないですよ。」

学園長は口元に笑みを浮かべながらも、瞳は鋭く光っていた。


その時、沖合から灯が近づいてくる。小舟が波を裂き、和装の女を乗せてこちらへ寄っていた。

黒と白の衣、長い薙刀。背後に重なる鳥居の幻影が淡く揺らぎ、ただそれだけで空気が張り詰める。


各々警戒を強めるが、俺はその人物が誰かを知っていた。


「……宵の門。」

俺は薄れゆく意識の中でその姿を認め、胸の奥が冷たくなった。かつて戦い、圧倒された異象。


「少し、話をしに来ました。」

彼女の声は澄んで柔らかく、それでいて場を支配する重みを持っていた。


「汝、今の男を知っているか。」

カミヤ先生が問いを投げる。


宵の門は静かに頷いた。

「“月暈の残渣”。――私は彼を追っている。あれは人の『望み』を掬い取り、それを呪いに変える存在。与えるのではなく、元から在るものを歪めて力とする。だからこそ拒めない。」


「望みを……武器に……。」

俺は地に伏したまま、掠れた声で繰り返す。


オーウェンが前に出て宵の門を睨む。

「おい、あんたも信用ならねぇな……こっちに刃を向ける気はねぇだろうな?」

ヴァレリスも剣を構え直し、炎を散らして仲間を庇うように立つ。

「油断は禁物です。異象は常に、どちらに転ぶか分からない。」


宵の門は二人の警戒を受けても、微笑を崩さなかった。

「安心して。私は君たちを試すつもりはない。今日は残渣のことを伝えに来ただけです。」


学園長が目を細める。

「なるほど……だからアナタは彼を追っているのですね。均衡を守るために。」


「はい。あれは試すべき者ではなく、止めるべき異象です。」

宵の門の声は淡々としていた。


その時、寡黙なザミエルが口を開いた。

「……俺は知っていた。」


皆の視線が集まる。ザミエルは銃を下ろし、淡々と、しかし深い陰を帯びた声で言った。


「俺とアスファデルは、同じ浜の人間だ。俺がまだ子供だった頃、あの人は漁師であり狩人だった。銛の握り方も潮の読み方も、漁師の心得を、俺は彼から教わった。」


仲間たちが息を呑む。俺は伏したまま、その声だけを頼りに耳を傾けた。


「だが、白蓮が村を呑み、船も家族もすべてを奪った。残ったのは彼一人。……俺は生き残った。それが、あの人を狂わせたのかもしれない。」


宵の門が小さく頷く。

「だから残渣の囁きが効いた。“獲物を奪った者を穿てばいい”――それは単なる誘惑ではなく、彼の心の奥底に沈んでいた因縁を抉ったのです。」


「……俺が引き金だったか。」

ザミエルは悔恨を押し殺すように低く吐いた。


学園長は冷徹な眼差しで告げる。

「彼にとってアナタは、かつて教えを授けた弟子にして、生き残りの象徴。羨望と憎悪と望みが絡み合い……残渣に掬われた。」


「哀れなことだが……その哀れはやがて刃となって我らに向くやもしれぬ。」

カミヤ先生が重く断じる。


宵の門は夜空を見上げ、散り残る白い花弁を見やりながら囁いた。

「望みは救いにも、呪いにもなる。残渣はそれを呪いとして均衡を崩す。だから私は彼を追うのです。」


俺は甲板に伏したまま、握った『月下美人』の柄に力を込めた。

花弁の残滓は冷たく舞い、俺たちの未来を暗示するかのように夜空へと消えていった。


宵の門は薙刀を収め、背後の鳥居が霞のように消えていく。

「ここで話すべきことは終わりました。……彼を取り戻すか否かは、あなたたち次第です。」

そう残し、小舟は月光を背に遠ざかる。


残った甲板には疲弊した仲間たち。オーウェンはまだ拳を握りしめ、ヴァレリスは炎剣を収めながらも周囲を睨んでいる。

イゾルデがため息をつき、ザミエルは無言で銃を抱えたまま海を見つめていた。


俺は『月下美人』を握ったまま、膝をつく。視界が霞み、力が抜けていく。

「……くっ……」

誰かの声が遠ざかり、花弁の残滓が目の前で揺らめいた。


やがて意識は闇に落ち――戦いの幕は閉じられた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ