決着。白の世界を断つ白
白の世界に、白が咲く。
視界のすべてを覆う花弁は、切り裂かれても、焼かれても、砕かれても、瞬く間に「浄化」によって修復される。
砲痕も、裂け目も、血の色すら残らない。――ただ、記憶だけが胸に刺さる。
「……ッ!」
俺は『月下美人』を握り、迫る触腕をいなし続ける。動きはゆっくりと見える。けれど、ほんの一度でも読み違えれば、白の海に呑まれるだろう。
「任せて!」
イゾルデが豪快に叫び、戦斧を振るった。岩を取り込んだ刃は白蓮巨影の触腕を砕き、海面を叩く轟音を響かせる。
「次は私よッ! 『グロリオサ』!」
ヴァレリスの大剣が炎を噴き上げ、赤い花弁が夜空を照らす。爆ぜる炎が巨影の胸甲を焼き、装甲を一瞬だけ軟らかくする。
「うおお!全部まとめて受けろォ!」
オーウェンの拳が連打となって炸裂し、抑え込まれた巨体を大きく揺さぶった。
三人の連撃が、わずかな隙を作り出す。
だが、花弁が散った瞬間――白が広がる。砕かれたはずの装甲が再び咲き誇り、炎の焦げ目も波に溶けて消えた。
「全部消すのかよ!」
オーウェンが苦い声を漏らす。
「ぐァァッ!!!」
足を触手に切り飛ばされたのはアスファデルだ。獲物を睨む目は憎悪と執念に燃えている。
「それでもォ!わしの銛は獲物を逃がさんぞォ――ッ!!」
振りかぶられた銛がうなりを上げ、巨影の胸を貫いた。鎖のような力が絡みつく。巨体が船団の中央に縫い止められた。
「今よ、リオール!」
ヴァレリスの叫びが耳を打つ。
「……任せろ。」
俺は息を吸い込み、『月下美人』を構えた。白い世界が凪いだ湖面のように静まり返る。
――見える。銛が穿った一点、そこに走る亀裂。
「咲け……『月下美人』!」
刃が花弁を裂くたび、世界に残るはずのない傷が刻まれていく。浄化の光が追いすがるが、俺の斬撃はそれを上回った。白の再生が遅れ、濁りが広がる。
「……お前の白は、もう欠けている!」
巨影が吠え、触腕が暴れる。だが、銛に縫い止められて逃げられない。花弁の再生は遅れ、縁が痩せていく。
「仕上げだ。」
短い声。ザミエルがライフルを構えていた。
「……狙撃、開始。」
銃口が光を宿し、魔弾が放たれる。
弾丸は俺の斬撃が広げた裂け目を貫き、『白蓮巨影』の心臓を正確に撃ち抜いた。
光が収束し、巨体が海を震わせる。背に咲き乱れていた白蓮は、一枚、また一枚と散り落ち、やがてすべてが波に沈んだ。
静寂。
海はただの海へと戻り、白の世界は記憶にのみ残った。
「……終わったのか?」
オーウェンが肩で息をしながら呟く。
「えぇ、間違いなく。完全に沈んだわ。」
ヴァレリスの炎剣も消え、ただ赤い髪だけが夜風に揺れた。
俺は刃を下ろし、残心のまま深く息を吐いた。
「……ありがとう。みんなのおかげで、奴を討伐できた。」
船団が安堵に包まれた、まさにその時だった。
「わしの……わしの獲物じゃぞォォォ!!!!」
アスファデルが獣のように叫んだ。
「奴はわしが討たねばならなかった! 穿たなければならなかった! わしの銛が!」
荒れた息を吐き、甲板を叩き割らんばかりに銛を振り下ろす。だが沈んだ巨影は二度と浮かばない。怒声だけが夜の海と空に響いた。
「……ならば、まだ終わってはいないよ。」
柔らかな声が風に混じった。
振り返れば、月を背に痩身の男が立っている。淡く揺らめく光環を背負い、白い花弁を散らせながら。
「……誰だ。」
俺が刃を構えるよりも早く、男はアスファデルへ歩み寄る。
「君の望みは、穿つことだろう? ならば、まだ獲物は残っている。奪った者を穿てばいい。ザミエルを討てば、それは白蓮を討ったのと同じだと思わないかい?」
「……奴を……?」
アスファデルの瞳に狂気が宿る。
「だが、その足では満足に追えないだろう。かわいそうに。ならば、自らを銛に変えてしまえばいい。」
男が手を掲げる。
白い花弁が渦を巻き、アスファデルの右足にまとわりついた。光が収束し、鉄のような質感を帯びる。次の瞬間、甲板を突いた音は、肉ではなく鋼の響きだった。
「……これが、わしの……銛……!」
老狩人の口角が歪み、嗤いが漏れる。
俺はこのままではまずいと思い踏み込む。『月下美人』を振り抜き、彼を裂かんとする。
だが。
「……残念だよ。」
白い花弁の壁がふわりと舞い、刃は弾かれた。衝撃に腕が痺れる。
「今回の目的は君じゃない。」
男の声は優しく、だが絶対の拒絶を帯びていた。
その瞬間――。
「……ほう、やはり姿を現したか。」
甲板に重い気配が落ちた。
「汝、何者ぞ。」
古文調の声が続く。
月光の下、学園長とカミヤ先生が姿を現した。
男は二人に視線を移し、穏やかに笑った。
「やはり来たね……『監視者』と『師』。邪魔をするつもりかい?」
学園長は口元を歪めて応じた。
「アナタの存在、放置できないですよ。ですが……今日のところは見逃します。ですよ。理由は一つ、今はまだ“舞台”が整っていないからですよ。」
「戯れはそこまでだ。ここは学園の監督する場。勝手は許さぬぞ。」
カミヤ先生の声は、剣を抜かずとも鋭さを帯びていた。
男はただ微笑みを崩さず、アスファデルの肩に手を置く。
「彼はもう望んでしまったんだ。ならば俺が導くしかない。孤独じゃないよ。俺が傍にいるからね。」
白い花弁が再び渦を巻き、男とアスファデルの姿は夜空から掻き消えた。
残された甲板に、波音だけが響いていた。




