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狂気の獣、迫る巨影

船体は悲鳴をあげていた。触手が締め上げるたびに木が軋み、裂け、甲板の隙間から海水が噴き上がる。縄を必死に締め直していた船員が弾き飛ばされ、悲鳴を上げながら海へと消えた。


隣を進んでいた小型船は舷側を貫かれ、あっという間に船底から裂けていく。甲板の上では兵士たちが必死に槍を突き出していたが、触手に巻かれ、血を噴いて宙を舞った。


絶叫が次々と海に溶け、赤い飛沫が波間に散る。船の残骸が流され、白泡に呑まれて消える。


俺は木刀を構えながら歯を食いしばった。目の前の惨状を直視すれば心が折れる。それでも足を止めれば、全てが呑まれるだけだ。

「怯むなァ!必要な犠牲よォ!」

アスファデルは狂ったように笑い、銛を肩に担ぎ直した。

「惜しい命などありゃせん!沈め!沈めェ!その血と肉で奴を釣り上げるんじゃァ!もっと喰われろォ!海に沈んで骨を撒けェ!」

船員が青ざめ、ヴァレリスが怒鳴った。

「アンタ、正気なの!? 船員を犠牲にしてまで……!」

「正気じゃと? ほっほっ……それは褒め言葉じゃァ!奴を削るためなら、この海すべてが墓場になろうとも安いもんじゃァ!命は燃やして使うものよ!」


狂気と確信が混じるその声に、俺の背中を冷たい汗が伝った。……必要な犠牲。言葉にすれば勇ましいが、そこにあるのは血に酔った笑みだ。


けれど否定しきれない力があった。あの執念がなければ、この化け物に挑むことすらできない。俺の中で恐怖と理解が入り交じる。


触手は衰えない。斬っても繋がり、焼いても再生する。船員の一人が槍を突き立てたが、逆に全身を絡め取られ、悲鳴を上げて海へ引きずり込まれた。


仲間が叫び、手を伸ばしたが間に合わない。黒い水面に赤い泡だけが残る。別の船では帆柱が折れ、海に傾きながら兵士ごと飲み込まれていった。海原に悲鳴が木霊し、俺は木刀を握る手に力を込めた。


銃声が轟き、ザミエルの弾丸が触手の隙間を撃ち抜いた。白い花弁のような閃光が芯の周囲を正確に穿つ。

「……狙いは外さない。芯を撃ち抜く。」

その声は低く冷たく、だが揺るぎない。仲間たちの意識が一瞬で集まった。ザミエルの銃弾が道を削り出している。


「良いぞォ!撃て撃てェ!わしの銛を通すための贄となれェ!」

アスファデルが狂笑し、海へと躍り出た。銛の切っ先が黒い芯へ突き刺さる。

ズブリ、と粘つく嫌な音。芯が震え、白い繊維が弾け飛んだ。


「穿ったぞォォ!見たか小僧ども!これがわしの執念じゃァ!必要な犠牲で掴んだ獲物よォ!」

だが――芯はまだ蠢いていた。銛を飲み込みながら、白い繊維をうねらせ再生を始める。不死の怪物そのものだ。


「……無駄ではない。芯は弱っている。」

ザミエルが淡々と告げる。その冷徹さが逆に確信を与えた。弾丸が銛を押さえ込み、芯を縫いつけている。


俺は歯を食いしばった。狂気の銛、冷徹な弾丸。どちらも俺にはない。だがここで止めを刺さなければ全ては無になる。船員の血も、沈んだ仲間の犠牲も。


「仕方ない……やるしかない!」


舳先を駆け、俺はアスファデルの銛に狙いを定めた。銛は芯に深々と突き刺さり、蠢く塊と拮抗している。そこへ木刀を振り下ろす。

「うおおおッ!」

衝撃が銛を通じて芯に叩き込まれる。ザミエルの銃声が重なり、芯を縫い止めた。黒い塊が震え、ついに砕け散る。


船を締め上げていた触手が一斉に痙攣し、力を失って沈んでいく。甲板を破っていた枝も弛緩し、波に没した。沈みかけていた船も、最後に木材を軋ませながら波間へ消えた。多くの命を巻き込みながら――。


「やった……!」

イゾルデが叫び、オーウェンが拳を振り上げる。ヴァインの鎖がほどけ、アラエルの鉄羽が静かに散った。船員たちは歓声を上げかけたが、その声はすぐに飲み込まれる。


海は静まらなかった。むしろ、異様な圧が広がっていく。空気が重く、波間に影が差す。俺の鼓動は早鐘のように鳴り、全身の血が冷える。仲間たちも顔を上げ、誰もが同じものを見ていた。


海が揺れ、轟音が響いた。裂けた波間から巨大な影がせり上がる。蓮の葉のような白い光が水面を照らし、冷たい気配が肌を刺した。沈んだはずの船の残骸が揺れ動き、押し流されていく。


水柱が天を突き、雨のように降り注ぐ。甲板に叩きつけられた雫は刃のように冷たく、全身を震わせた。仲間の誰もが言葉を失った。


次第に海そのものが持ち上がるように盛り上がり、波が船団を呑み込むかのように高くそびえた。空は陰り、陽光は遮られる。


白い蓮の花がゆっくりと海面から姿を現し、その影が船団を覆った瞬間、世界は一変した。


「白蓮……巨影……!」

ヴァレリスが震える声で大剣を構える。オーウェンが拳を握り、イゾルデが戦斧を掲げる。ザミエルは銃を構え直し、視線を逸らさない。


アスファデルは血走った目で狂気の笑みを浮かべ、銛を舐めるように撫でた。

「来たぞォォ……!ようやくじゃァ!わしの宿敵ィィィ!」


俺も木刀を握り直す。心臓が胸を突き破りそうに脈打つ。さっきまでの戦いは、ただの前哨に過ぎなかった。


海上に姿を現したのは背中一面に蓮の花が咲き、影そのものを纏った怪物。

白蓮巨影。


その巨体が海を覆い尽くし、世界が暗転した。

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