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防衛戦

甲板はまだ血と鱗で濡れていた。苗魚の群れをどうにか退け、船員たちが必死に縄を巻き直し、傷を負った仲間を運んでいる。


俺も汗で木刀を握る手が滑りそうになっていた。戦いの熱と潮風で喉が焼ける。指先は震えて、木刀の重みがやけに頼りなく感じられた。


「……終わった?」

イゾルデが肩で息をしながら戦斧を担ぐ。


「終わりじゃないな!」

オーウェンが首を振る。

「海が静かすぎる!」


確かに――。苗魚が消えたはずなのに、海は再び凪いでいる。風は止まり、波も小さい。


まるで巨大な何かが息を潜めて、俺たちを待ち構えているかのようだ。胸の奥がざわついた。嫌な予感は、得てして外れない。


「リオール……」

ヴァレリスが声を落とした。

「下、見なさい。」


俺は舷側から身を乗り出す。水面の下に黒い影が蠢いていた。一本、二本……いや、数え切れない。


「根……?」


次の瞬間、轟音がした。

ドンッ――!

船底を殴る衝撃。甲板が震え、木が軋む。膝に伝わる重圧で心臓が跳ねた。


「来る!」


俺の声と同時に、海面を突き破って太い根のようなものが立ち上がる。粘液に覆われた触手だ。一本ではない。二本、三本、四本……数え切れぬほどの束が船体に絡みついた。見上げるほどの長さと太さ、その圧力に呼吸が詰まる。


「ほぉ……嗅ぐぞ嗅ぐぞ、小僧ども!」

アスファデルの笑い声が響いた。銛を肩に担ぎ、ぎょろりと海を睨む。

「『白蓮巨影』の臭いじゃ!奴は近い、すぐそこにおるわ!」


声は笑いなのに、背筋が冷たくなる。狂気と確信が混ざった響きだった。


「奴の“根苗”じゃ!」

老人は吠える。

「巨影の背から落ちた蓮の種が海で根を張ったもんよ!枝を斬っても無駄じゃ、芯を探せ!ここで退けば、また誰かが呑まれるぞ!」


触手が舷側を締め上げ、甲板を叩き破った。

「はッ!」俺は木刀で叩きつける。だが切り口は瞬く間に白い繊維で塞がる。


再生。このままでは削り切れない。


「再生は反則だよ!」

イゾルデが三本まとめて弾き飛ばす。


「数で押される方が燃えるな!」

オーウェンが拳で叩き潰し、飛沫を浴びて吠える。


仲間の声が飛ぶ。だが俺の耳に残るのは木材が軋む音と、船員の叫び声。全員の力を合わせても、触手は衰えるどころかますます勢いを増しているようにすら見えた。


「ははァ、良いぞ良いぞォ!」

アスファデルは狂喜したように銛を突き立て、一本を銛で引き裂いた。

「怯むな!手足一本食われても構わん!奴の芯を削れるなら安いもんじゃァ!」


船員が一瞬顔を強張らせる。味方を鼓舞する言葉のはずが、響きはむしろ狂気。俺は寒気を覚えた。


「アスファデル!」

ヴァレリスが叫ぶ。

「落ち着いて!船員を犠牲にする気!?」

「犠牲?ほっほっ、惜しい命などあるものか!どうせ皆、海に呑まれる!ならば今、奴を削るために使うが良い!」


……正気じゃない。けれど、その狂気に飲まれそうな自分もいる。目の前の怪物に対して、普通の理屈など通じないのだと。


ヴァインの鎖が触手を捕らえ、アラエルの鉄羽が触手を切る。だが切れ目はすぐに繋がる。

「ちょっ……だるいんですけど~……」

「あらあら、すぐに塞がっちゃった……」

二人の声は聞こえていたが、戦況は一歩も好転しない。


「駄目だ、終わらない!」俺は木刀を振り続ける。汗と海水で視界が霞む。数は減らない。むしろ増えている。


「見ろ!」アスファデルが叫んだ。銛の切っ先が海中を指す。

「奥じゃ、黒い一本!あれが芯よ!穿て!穿てェェ!ここで退けば呑まれるぞォ!」


奥に――黒い影。確かに他より濃い一本が揺れていた。

芯。あれを斬れば。


「……仕方ない。やるしかない!」


俺は舳先へ走る。オーウェンが拳で触手を弾き、「行け!」と叫ぶ。イゾルデが棍で道をこじ開ける。仲間が支えてくれている。なら――。


「届く……!」木刀を振り下ろす。硬い核に触れた感触。だが押し切れない。刃が弾かれるように押し戻される。


すぐに新たな触手が立ち上がり、壁を作る。増える、増える。芯は見えているのに届かない。


「下がって、リオール!」

ヴァレリスの声。

「無理だ!死ぬぞ!」

オーウェンが叫ぶ。


「退くなァ!今追えば届くんじゃァ!」

アスファデルの怒声が海を震わせる。

「船が沈もうが構わん!奴はすぐそこにおる!わしが、わしがこの手で穿つんじゃァァ!!」


その瞬間、海の奥で白い光が揺らめいた。蓮の葉の影のようなものが、ちらついては消える。


『白蓮巨影』。


全員が気づいた。奴は近い。


船体が悲鳴をあげ、舷側が裂ける。海水が流れ込み、船員が叫ぶ。触手はまだ衰えない。


俺は木刀を握り直した。芯は見えている。だが届かない。

そして、アスファデルの眼は獲物に狂った獣そのものだった。

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