急襲
航海に出て3日が経ったころ。
朝の海はやけに静かだった。波は小さく、風もなく、ただ鈍い銀色の水面がどこまでも広がっている。船員たちは「凪ぎすぎて気持ち悪い」とぼやき、誰もが落ち着かない様子だった。
「なんか変だな……」
オーウェンが拳を握り、甲板を見下ろす。
「いつもならもう少し風があるはずなのに...。」
ヴァレリスが目を細めた。冷たい視線が水平線を射抜く。
嫌な予感がした。俺も胸の奥でざわめくものを押さえられない。
その時だった。
「来るぞッ!!」
見張りの叫びが響いた。海面がざわめき、白い光が水中から漏れる。無数の影が海の底から浮かび上がり、次の瞬間――魚の群れが一斉に跳ね上がった。
ただの魚じゃない。
背中には白い蕾のような蓮が咲きかけていて、そこから光の粒を散らしていた。銀色の鱗が光を反射し、昼間だというのに海は幽霊のようにぼんやり明るくなる。
「な、なんだあれ……!」
「『白蓮巨影』の……眷属だ!」船員が叫んだ。
群れは十、二十じゃない。数十匹。背中の蓮を光らせながら船を囲み、牙を剥いて甲板に飛び乗ってきた。
「皆!来るぞ!!」
オーウェンが拳を振りかざし、甲板に飛び出した苗魚を殴り飛ばす。
「ッらああ!!」
魚の顎が砕け、血と蓮の花びらのような鱗が飛び散る。
「やっ……!」
イゾルデは笑いながら鉄の棍を振り回し、三匹まとめて甲板から叩き落とした。
「甲板で跳ね回るとか、調子乗らないでよッ!」
ヴァレリスは冷静だった。炎剣を呼び出し、跳ねてきた一匹を一閃で焼き斬る。
「数を散らさないで!集団で押し返すわよ!」
的確な指示に船員が呼応し、槍や網で応戦する。
俺も木刀を呼び出し、迫る一匹を受け止めた。
「……ッ!」
重い。見た目はただの魚なのに、甲板に叩きつけられる勢いは人一人を簡単に吹き飛ばすほどだ。腕が痺れるが、踏ん張って振り抜いた。木刀が鱗を砕き、血飛沫とともに魚が海に転がり落ちた。
「小僧!足元見ろ、揺れるぞ!」
アスファデルの声が飛ぶ。振り返ると、銛を構えた彼が苗魚の群れを睨んでいた。
「怖さを握っとけ!震える手でも突き立てれば十分効く!」
そう叫び、銛を振りかぶる。
ズガンッ、と音を立てて突き刺さった苗魚は、鎖のような力に絡め取られて海面ごと引き裂かれた。
「うおおおっ!!」
船員たちが歓声を上げる。だがすぐに、別の方向から十匹以上が跳ね上がった。
「ッ、きりがない……!」
俺は息を切らしながら木刀を振る。数が多すぎる。斬っても殴っても、海から次々に這い上がってくる。
「リオール!」
オーウェンが背中合わせに立った。「数で押されるぞ、まとめてぶっ飛ばすか!」
「落ち着け!無理に前へ出るな!」
ヴァレリスの叱声。彼女の剣が炎を裂き、海水が一瞬蒸発して霧に変わった。
ペイルの声が響く。
「ひとつ……こっちに来ます!」
裂け目を開き、苗魚を弾き飛ばす。その体は歪んだ穴に飲み込まれ、別の海面へと叩き落とされた。
「ペイル!やるじゃないか!」
オーウェンが叫ぶ。
「い、いえ……数が多すぎて……!」
ペイルの顔は青ざめていた。
甲板のあちこちで戦いが続く。
アレクセイは幻影をばらまき、魚の注意を逸らす。
「さぁさ、道化の舞台へようこそ!観客の皆さん!?どれが本物かわかりますか?」
混乱した苗魚が幻影に食らいつき、オスカーが背後に瞬間移動してナイフで仕留める。
「では、僕が一匹いただきますね?」
「くっ……!」
俺は木刀を振り回しながら、心臓の鼓動を抑えられないでいた。これが……海での戦い。足場は揺れ、数は尽きない。陸での訓練とは全く違う。
「小僧、目を逸らすな!」
再びアスファデルの声。
「数に呑まれるな!目の前の一匹だけを斬れ!全部を狙うな!」
その言葉で呼吸が整った。俺は一歩踏み込み、木刀で苗魚の頭を打ち砕く。
気づけば、船団全体が火と血と水飛沫に包まれていた。何隻かは甲板を破られ、負傷者の悲鳴が響く。
「医療班!後ろへ!」
「鎖を回せ!舷側を守れ!」
船員の声が飛び交う。
ようやく群れが引き始めたのは、夕方に差し掛かるころだった。海面は赤く染まり、白い蓮の花びらのような鱗が漂っている。
「ふぅ……」
オーウェンが拳を握り、吐息を漏らした。
「やったな……!」
「やったのは事実。でも――」
ヴァレリスが剣を収め、視線を海に落とす。
「これは前触れに過ぎない...かも。」
「前座でこれなの……?」
疲弊したイゾルデが答える。
俺も同じ気持ちだった。甲板の傷跡、負傷者、まだ震えの残る手。それでも立ち尽くす仲間たちの目には、奇妙な熱が宿っていた。
アスファデルは銛を担ぎ直し、低く笑った。
「ほっほっ、ようやっと目が覚めた顔になったの。これが海での戦いじゃ。……だが小僧ども、これはまだ遊びの口火よ。」
…そして、白蓮巨影はまだ姿を現していない。