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船団結成

港の広場は朝から熱気に満ちていた。荷を積む号令、帆を上げ下ろしする掛け声、錨鎖の軋む音。人と潮の匂いが混ざり、胸の奥まで塩が染み込んでくる。俺たち『満開』クラスは定められた場所に並び、学園長の到着を待った。


「ちょっと圧が凄いわね。」

「リオール!見ろよ。あっちの船!横腹に怪物の歯痕みたいな傷があるぞ!」

「縁起でもないわね。でも……戦ってきた証でもあるか。」

「戦う前から怖がる必要ないって!」


各々が各々好きな発言をしている。今から怪物を討伐しに行くとは思えない。


「こういう大勢の前、燃えるじゃない?海の上ならなおさら!」

「オーウェンもだが、燃えすぎて甲板に穴を開けるなよ?」

俺が返すと、イゾルデは肩をすくめて舌を出した。

やがて学園長が壇に立つ。あの独特の柔らかさと圧のある声が広場を一息で静めた。

「集った諸君。これより『白蓮巨影』討伐の遠征隊を編成しますですよ。――まず最初に伝えるべきことがあるですよ。」


一拍の間。


「この遠征には、マレティア最大の船団が参戦するですよ。」

ざわめきが波のように広がった。オーウェンが思わず口笛を鳴らす。


「リオール!聞いたか!追い風じゃないか!」

「落ち着きなさい。まだ編成の説明があるわ。」


ヴァレリスの言葉に合わせるように、人々の視線が壇上へ戻る。

「船団を束ねる者を紹介しますですよ。」


学園長の手が差し示した先から、一人の老人が歩み出た。白髪混じりの髪、日に焼けた皺の深い顔。背はわずかに曲がっているが、目の光は獲物を射抜くように鋭い。肩には年季の入った銛。


「わしの名はアスファデル。海で飯を食ってきた。今回は……借りを返しに来た。ほっほっ、老体にも使い道はあるじゃろうて。」

飄々と笑い、銛の石突きで板を軽く突く。乾いた音が広場の端まで響いた。


「リオール!すごく強そうだぞ!心強いな!」

オーウェンが俺の耳元で囁く。


「経験は力よ。歓迎すべきだわ。」

ヴァレリスも頷く。イゾルデは両手を腰に当てて胸を張った。

「船団が味方なら、思い切り暴れられるってことね!ねえリオール!」

「……まあ、そうだな。」


答えつつも、昨夜の波止場で聞いた老人...アスファデルの声が脳裏に甦る。怖さを飼いならせ、全部を失った...あの言葉の重みは、今も胸の奥に沈んだままだ。

アスファデルがふとこちらを見る。背筋が固まる。だがその視線は俺を素通りし、さらに後ろ...ザミエルで止まった。


一瞬だけ、老人の笑みが消える。ザミエルもまた、氷のような眼差しで応える。言葉はない。だが、広場の喧噪が遠のくほどの重さが二人の間に落ちた。


「……今の、見たか?」

俺が小声で問うと、ヴァレリスは首だけでうなずく。

「ええ。あの二人、ただの顔見知りって空気じゃなかったわ。」

ヴァレリスが眉をひそめる。

「知らない。でも、いずれわかる。」


言い終える前に、学園長が進行を再開した。

「船団は四隻を主軸とし、補助船を含めて十数隻で陣形を組みますですよ。甲板戦闘の基本、落水時の救助、火災の対処、そして『白蓮巨影』との遭遇手順を確認するですよ。」


号令ののち、各班ごとに実地の説明が始まった。俺たちは前甲板の広場に移動し、船員から装備の保管場所や避難誘導のルートを叩き込まれる。甲板の木は海水で黒く艶めき、ロープは幾重にも巻かれて規律正しく並ぶ。


舷側に設けられた鈎金具、救助用の浮環、消火桶――どれも使う機会がないに越したことはないが、目に入るたびに現実感が増していく。


「落ちたら、まず浮環を掴め。掴めなきゃ、叫べ。」

船員が乾いた声で言う。


「叫ぶ余裕があるなら、息もあるってことだね!」

「冗談はほどほどにしなさい。海は容赦しないわよ。」

ヴァレリスの一言で、班の空気が締まる。

俺がロープの結びを復唱して見せると、船員が目を丸くした。

「やるじゃないか兄ちゃん。その手は覚えが早い。」

「手先は器用なんだよ。剣だけじゃないってとこを見せるさ。」

「頼りにしてるぜ!」


続いて、鐘が打たれた。短く二回、間を置いて一回。訓練開始の合図だ。甲板の上を人が奔り、樽が転がり、帆が滑る。俺たちは即席の配置につき、衝撃に備えて身を落とす練習を繰り返す。


「船が大きく傾いたら、まず低い方へ移動。甲板の水は流れる。足を取られる前に膝をつけ。」


説明と同時に、実際に船体が小さく軋む。波ではない。多分、意図的に重心をずらしているのだ。足の裏から伝わる微妙な傾斜に、心拍がひとつ跳ねた。


「大丈夫、大丈夫。こういうのは転ぶまでが怖いだけ。」

イゾルデは楽しそうだ。彼女の明るさは、場の怖気をうまく散らしてくれる。

「怖いのは、散らすものじゃなく、握りしめておくものだ。」

いつのまにか背後にアスファデルがいて、ぽつりと言った。皆が振り向く。老人は俺たちより少し外側、手すりの影に立って海を見ていた。


「怖いまんま進める奴が、最後に残る。忘れるな...ほっほっ!年寄りの知恵というものじゃよ。」

それきり何も言わず、視線を水平線に戻す。口を挟まないのに、場が自然と引き締まった。


「……頼もしさと、不気味さが同居してるわね。」

ヴァレリスの囁きに、俺は曖昧にうなずく。

訓練は続いた。火事を想定した桶回し、負傷者の担架移送、敵影確認の合図。太陽が少し傾く頃、ようやく解散の号令がかかる。


「足が棒になったみたいだな!」

「でも、やれる気がしてきたでしょ?」

「そうだな。……やれるかどうかじゃなく、やるんだ。」

俺は自分に言い聞かせるように答えた。


「意外と熱いじゃない。」

ヴァレリスが茶化すように微笑む。

「その調子で、明日もね。」


人の波が薄れ、甲板に長い影が伸びる。遠くでカモメが鳴き、どこかの船で歌が始まった。陽が傾くと、海は鉛色に変わる。静けさが戻ると同時に、不思議な緊張だけが残った。


アスファデルは手すりに寄り、風に髪を揺らしながら立っていた。その視線の先には、変わらず海しかない。少し離れたところで、ザミエルも同じ方向を見ている。二つの影のあいだに、言葉にならないものが横たわっている気がした。


「リオール。」

ヴァレリスが俺の名を呼ぶ。


「今夜は早く休みましょう。明日も詰め込みになりそうだし。」

「わかってる。」


歩き出しながら、俺は振り返る。夕焼けの色が、アスファデルの皺を深く染めていた。あの目に宿るのは頼もしさか、執念か。判断はまだできない。


...でも、海に出ればすぐにわかる。嫌でも。

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