季節は流れ
カミヤ先生との特訓は、それから四か月続いた。
最初の一か月は、ただ打たれ続けるだけだった。
「構えに縛られるな。呼吸を合わせよ。」
木刀が振り下ろされるたびに肩や脇腹に鈍い衝撃が走り、何度も砂に叩き伏せられる。立ち上がることすら修行だった。掌は裂け、腕は震え、呼吸は乱れる。そのたびに先生は言う。
「立ち上がるその意志こそ、剣の芽なり。」
その言葉にしがみつき、俺はただ木刀を握り続けた。
二か月目に入ると、次は間合いを叩き込まれた。
「半歩を違えれば剣は虚に落つる。」
打ち込みの角度をわざと外され、空振りを繰り返す。退けば追われ、踏み込めば流される。踏み込みの一瞬を測られ続け、俺は自分の足の重さを思い知らされた。
「間合いはただ距離にあらず。心の遠近をも含む。」
先生の木刀は、常に俺の半歩先を奪い去っていた。
三か月目は視野と耳だった。
「視線を剣に縛るな。全体を見よ。風を聞け、息を聞け。」
木刀の音だけでなく、砂を蹴る足音、衣の擦れる気配を感じ取る。
ある日、先生の斬撃を音で察知し、反射で木刀を合わせられた瞬間があった。
「よし、その耳を育てよ。」
初めて小さな肯定をもらえたが、それでも次の斬撃には即座に叩き伏せられた。
四か月目、ようやく全体を繋げる段階へ。
呼吸、間合い、視野、耳。それらを一つにまとめ、体を柱とし、木刀を枝葉とする。
打ち合いの最中、一度だけ先生の斬撃を正面で受け止めた。胸が熱くなった。だが次の瞬間、背中を強打され砂に沈む。
「四か月にてよくここまで至ったものよ。されど、未だ千里の道の一歩目にすぎぬ。」
先生の言葉は厳しくも確かだった。
確かに成長はあった。倒れるだけの自分ではもうない。
だが――先生との間には、いまだ埋めがたい壁がそびえていた。
休日の昼。
訓練場には、砂の匂いと陽光が広がっていた。
向かい合うのは三人――オーウェン、イゾルデ、ヴァレリス。
そして端には立会人として木刀を携えたカミヤ先生が佇んでいる。
「汝ら、よくぞ集ひたり。本日の稽古、時を限りとし、勝敗を問はず。互ひに力を尽くすがよい。」
低く柔らかな声が響き、胸の奥に緊張が走る。
「……お願いします。」
俺は木刀を握る。型は取らない。呼吸を整え、全体を見る。
「始めよ。」
最初に突進してきたのはオーウェンだった。
「力がみなぎるッ!『カメリア』!」
全身が紅に輝き、拳が砲弾のように迫る。
同時にイゾルデの戦斧が地面を吸い込み、岩を肥大化させて振り下ろす。
背後からは炎剣...ヴァレリスが火花を散らして突撃してくる。
三方向同時の圧力。
昨日までの俺なら、迷った一瞬で終わっていた。
……だが今は違う。
呼吸を刻み、全体を見る。足音、風の流れ、熱気の揺らぎ。
体が勝手に動いた。
「ッ……!」
木刀を水のように流し、オーウェンの拳を逸らす。
半身に退いて斧の重みを受け流す。
炎剣の突進は、視線を広げることで軌道の僅かな乱れを察知し、捻って避けた。
「なっ……同時に捌いた!?」
イゾルデの声が驚きに弾む。
「いいぞリオール。稽古が生きておるな。」
カミヤ先生の声が飛ぶ。
炎が砂を焼き、斧が大地を砕き、拳が風を裂く。
俺は木刀を振るう。だが振り込むのではない。受け、退き、流す。
水のごとく、風のごとく。
拳の震動は腰へ逃がし、斧の衝撃は半歩で空に流す。
炎剣の加速には、音と気配で一瞬早く身を逸らす。
「くっ……やるじゃない!」
ヴァレリスの額に汗が滲む。
「リオール!本当に一人で三人を受けてるのかよ!」
オーウェンが笑う。
「よし、その感覚ぞ!」
先生の声が重なる。
砂煙の中で、俺は気づく。
昨日までなら押し潰されて終わっていた。
だが今は――互角に立ち合えている。
「……これが、無型……。」
心の奥で、確かな手応えを実感した。
鐘の音が鳴り響く。時間は尽きた。
三人が武器を下ろし、俺も木刀を納める。
「見事だ、リオール君。汝の剣、芽を越え、蕾となりし。」
先生の言葉に胸が熱くなる。
汗に濡れた木刀を握りしめながら、俺は確信していた。
――四か月の修行は、無駄ではなかった。
「……っはぁ……やるじゃん!」
イゾルデが斧を担ぎ直し、笑顔を浮かべる。肩で息をしながらも、その目には純粋な楽しさが宿っていた。
「本当に……三人同時に受けきったのか!すげぇよリオール!」
オーウェンは拳を振り下ろし、まるで勝負に勝ったかのように爽快に笑った。
ヴァレリスは炎を収め、大剣を背に戻す。赤い髪を払って、じっと俺を見つめる。
「……この前までのアンタなら、絶対に潰されてた。だけど今は違う。互角だったわ。」
その声音には、敵対心よりも認めざるを得ない感情が混じっていた。
先生は静かに目を細め、俺たちを見渡す。
「うむ……互ひに良き鍛錬となったようだな。剣において勝ち負けは一瞬なれど、学びは永遠に残る。今日の一撃一挙手、忘るるなかれ。」
仲間の言葉と先生の声が胸に響く。
まだ遠い。だが確かに、昨日よりも前へ進んでいる。
木刀を握る手が、以前よりも強く、確かに感じられた。