『宵の門』
赤黒い刀を握った瞬間、熱が弾けた。
皮膚が裂けるように熱い。血が沸く。頭が焼ける。
髪が赤黒に染まり、花弁のように散り揺れた。
腕には赤い筋が走り、皮膚に血の紋様が浮かぶ。
瞳が濁る。視界が赤い。
笑ってる。勝手に。止められない。
「ハハハッ!!」
踏み込む。地面が砕け、花弁が宙に舞う。
『宵の門』の薙刀が閃き、鳥居が幾重にも並ぶ。
閉じ込める。押し潰す。檻だ。
「斬れ……斬れェッ!」
叫びと同時に刀を振る。
赤黒い奔流が鳥居を砕き、光が弾け飛ぶ。
薙刀が受け止める。火花が散る。轟音が夜を震わせる。
互角。押せる。押してる――!
「ハァァアアッ!」
畳み掛ける。連撃。斬撃。斬撃。斬撃。
鳥居が砕ける。薙刀が軋む。
『宵の門』の袖が裂け、赤が滲む。
「効いてる! 届いてるッ!」
笑いが止まらない。喉が焼けても笑ってる。
腕が裂けても、骨が軋んでも――まだ動ける。斬れる。
花弁が舞う。幻の傷が身体に浮かぶ。
斬られた肩。焼け爛れた皮膚。貫かれた胸。
俺じゃない……でも俺の身体に馴染んでいく。
境界が曖昧になる。俺は誰だ。だが関係ない。全部俺だ。
『宵の門』が薙刀を振る。鳥居が左右から迫り、通路が狭まる。
逃げ場が消える。
「塞ぐなァッ!」
刀を叩き込む。奔流が壁を粉砕する。光が爆ぜる。
再び斬り結ぶ。
押す。押される。押し返す。
薙刀と刀がぶつかり、夜空に火花と花弁が弾ける。
宵の門の頬に赤い線。血が滲む。
俺は嗤う。
「守りきれねぇんだなァ!」
怒涛の連撃。斬撃。斬撃。斬撃。
鳥居が幾つも砕け、結界が軋む。
『宵の門』の足が一歩退いた。
勝てる。勝つ。勝つんだ俺は――
……なのに。
『宵の門』の瞳は揺れていなかった。
静かに。微笑んで。落ち着いて。
何故だ。なぜ怯まない。なぜ笑える。
「笑うなァァァッ!!!」
怒鳴る。喉が裂け、血が飛ぶ。
刀を振る。奔流が暴れ、鳥居を砕く。
夜が赤黒に染まる。世界が壊れる。
だが――
音が消えた。
鼓動も、呼吸も、笑い声も。全部消えた。
「……ッ!?」
重い。身体が沈む。膝が砕けそうになる。
鳥居が幾重にも重なり、結界が完成していた。
世界そのものが俺を押し潰していく。
腕が動かない。刀が軋む。骨が悲鳴を上げる。
『宵の門』が薙刀を掲げる。
「宵の理に従いなさい。」
振り下ろされる光。
避けられない。受けられない。
赤黒い刀が悲鳴を上げ、俺の身体が地に叩きつけられる。
「ぐッ……!」
血が溢れる。視界が赤黒に滲む。
花弁が散り、力が抜ける。
「ま……だ……」
立ち上がろうとする。
だが膝が砕け、動かない。
『宵の門』の影が迫る。薙刀が再び掲げられる。
――ここで終わる。
「そこまでにせよ、『宵の門』。」
轟音。結界が震え砕ける。
俺の前に立つ影。袖を翻す姿。
「……アザミネ。」
宵の門がわずかに微笑む。
「そは行き過ぎぞ。咲きし花を今摘むこと、許さじ。」
カミヤ先生の声が夜に響く。
厳しく、だが温かい。
「リオール君、恐るるな。汝が花はいま乱れ咲くのみ。されど、真に咲き誇る時を必ず得ん。無理に咲けばすぐに枯れるぞ。……命を惜しみ、心を保て。」
その声が、暴走に焼かれた心を包む。
赤黒い刀が砕け、花弁となって夜に散った。
膝が折れ、視界が闇に沈む。
「く……そ……」
最後に聞こえたのは、先生の優しい声だった。
「よく耐えたり、リオール君。されど無茶はするでないぞ。」
俺はそのまま、意識を手放した...。
気づけば、俺は白い天井を見上げていた。
静かな空気。布の匂い。――医務室だ。
「おや、目が覚めたかい?」
エレノア先生の穏やかな声が耳に届く。
「……また、ここですか。」
声がかすれていた。喉が焼けるように痛む。
腕を動かすと、包帯が幾重にも巻かれていた。
「君は死にかけていたんだよ?感謝の一言もあっていいと思うがね。」
椅子に腰掛けたエレノア先生が肩をすくめる。
視線を動かすと、窓際に立つ影があった。
袖を揺らし、夜の光を背に立つ人物。カミヤ先生だ。
「……先生。」
「リオール君。汝が花、見事に咲き乱れたり。されど、その咲き方、余りに早すぎる。枯れを招くぞと、言うておろう。」
その声音は厳しい。だが、不思議と優しさを含んでいた。
胸が痛んだ。けれど、あの時の暴走の感覚が蘇る。
赤黒い花弁。血の匂い。笑い声。全部、俺だ。
「俺は……」
言葉が途切れる。ただ、心臓の奥にまだ熱が残っていた。
「気に病むことはないですよ。」
よく響く声。扉の方から学園長が現れた。
「彼女は『異象』のうちの1人ですよ。それは国が“特級戦力”として認める存在なのですよ。己の花に縛られず、ただ在るだけで災厄となる者たちです。」
『宵の門』。
鳥居の結界。微笑。あの異様な気配。
まだ耳に残る声が、背筋を冷やした。
「彼女らは放浪の身でしてね。ある時は味方に、またある時は敵にもなるんですよ。ですが、強者を見定めるという一点においては揺らがないのですよ。……リオール君、アナタは試されたのですよ。」
「試された……」
呟く俺に、学園長はゆっくりと頷いた。
「そういうことですよ。ですが恐れる必要はないです。アナタには仲間がいますし、導いてくれる師もいるですよ。この先の道を歩むに足る力は、必ず磨かれるですよ。」
「……はい。」
自然と声が出た。まだ身体は痛む。けれど、胸の奥が少し軽くなった気がした。
カミヤ先生が静かに歩み寄り、俺を見下ろす。
「明日より、約した通り訓練をはじめん。汝が花を制すため、我がすべてを授けようぞ。……放課後、我のもとへ参るがよい。」
「ッ……はい!」
返事をした瞬間、胸が熱くなる。
今度こそ、暴走ではなく自分の力として『ヒガンバナ』を振るうために。
そして――『月下美人』を自在に扱えるようになるために。
俺は目を閉じ、深く息を吐いた。
戦いはまだ続く。だが今は、恐怖よりも期待の方が大きかった。