データ外の出来事
ルキウスが光る銃口をこちらへと向ける。
「No.3018、軸足に負担集中――ブルーノ、検証開始だ!」
ルキウスの号令と同時に、ブルーノが地を蹴り砕く。義手が膨れ上がり、空気を押し潰すほどの勢いでオーウェンへ振り下ろされた。
「ぐっ……!」
オーウェンが拳で受け止める。だが先ほどまで互角以上だった力比べが、今は一方的に押し込まれている。石畳に亀裂が走り、観客席から悲鳴が上がった。
「No.3018、筋繊維の出力良好。さらなる負荷を。」
ルキウスの冷たい指示に従い、ブルーノの義手はさらに肥大化していく。オーウェンの歯がきしむ音が耳に届いた。
俺もリリアに斬りかかる。だが、視界が揺らぐ。杖を振った彼女の周囲に花粉が舞い、景色がぐにゃりと歪んでいた。
「No.3014、反応速度は標準値より+12%。リリア、誤認させろ。」
言われるまでもなく、彼女は静かに笑い、幻覚の中に姿を溶け込ませた。
木刀が確かに捉えたはずの影は、虚空に霧散する。次の瞬間、杖の一撃が脇腹を掠め、鈍い痛みが走った。
「……観測続行。」
俺を見下す声は、氷よりも冷たかった。
「No.3016、補充に要3.1秒!ジェム、侵入して検証だ!」
「はいは~い!『モルペウス』!」
それと同時に、短剣を構えたジェムが補充のタイミングを掴みイゾルデに接近する。
「ははっ!No.3016、ふらついた!次は触覚オフだね!」
ジェムの甲高い声。イゾルデの死角から飛び込み、短剣を閃かせる。刃先がかすっただけで、イゾルデの手から力が抜け、斧が大地にめり込む音が響いた。
「『デジタリス』。No.3017、射撃の安定度に乱れ。観測値74%。――狙撃、実証。」
ザミエルの魔弾が逸れた瞬間を狙い、ルキウスの銃弾が正確に肩口を撃ち抜く。
「記録完了。検証に値する結果だ。」
さっきまでの優勢が嘘のように、戦況が一気に傾いた。
「リリア、視界操作!ジェム、そこへ突撃!」
「りょうか~い!」
リリアが杖を振ると、俺の足元が揺らぎ、距離感が一瞬狂う。そこを狙ってジェムが滑り込み、ナイフが木刀の柄をかすめる。手の感覚が抜け落ち、思わず握り直す。
「チャンスよブルーノ、耐久テストの時間よ。」
「...実験体、破壊開始。」
義手が質量と速さを兼ね備えたまま近づいてくる。
辛うじて身を捻って避けたが...このままではまずい。
「No.3017の照準ブレを利用。リリア。」
「了解。」
リリアの幻覚に釣られ、ザミエルの視線が誤った方向へ動く。その一瞬を突いて、ルキウスが弾丸を撃ち込む。弾は正確に肩口を掠め、ザミエルの体勢を崩した。
ルキウスが弱点を指摘し、リリアが錯覚で動きを誘導し、ジェムが感覚を奪い、最後にブルーノが叩き潰す。
まるで共同研究の実験を進めるかのように、息の合った連携が組み上がっていく。
オーウェンは巨腕に押し潰されそうになり、イゾルデは斧を落としかけ、ザミエルは狙撃の目を奪われ、俺自身も幻覚に翻弄されて攻撃を空振りする。観客席の空気は、期待から恐怖へと変わりつつあった。
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ブルーノの義手が唸りを上げる。受け止めた拳に重圧がのしかかり、骨が軋む。
「ぐっ……!」
足元の石畳が砕け、膝が沈む。押し返せない。
視界の端で、イゾルデが斧を取り落としかけている。ジェムの短剣がかすめ、彼女の指先から力が抜けていく。
ザミエルは肩を撃ち抜かれ、歯を食いしばって銃を構え直しているが、狙いは定まらない。
リオールは幻覚に翻弄され、振るう木刀は虚空を切るばかりだ。
—お前のせいだ。
胸の奥に、冷たい声が響いた。
—お前がもっと早く抑え込んでいれば。
—お前がもっと強ければ。
—全てお前のせいだな。オーウェン。
仲間が傷つく光景が、刃のように突き刺さる。
自分を責める声が重なり合い、鼓動が乱れ、握った拳から力が抜けそうになる。
—諦めろ。
—退け。
—お前にはもう...
「違う……ッ!」
喉が裂けるほどの声が、胸の奥から迸った。
拳に力を込める。震える腕を無理やり持ち上げる。
咆哮とともに拳を突き出す。
ぶつかった瞬間、ブルーノの義手が軽くなった。
ブルーノの巨腕が止まり、観客の息が凍りつく。
オーウェンは自分の拳を見下ろし、信じられないように呟いた。
「……今のは……俺が……?」
だが、胸の奥でそれは確かに燃えていた。
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ブルーノの義手が止まった。観客の声が凍りつき、時間すら止まったように感じられる。
視界の先で、オーウェンが拳を見下ろしていた。息を荒げながらも、その目には確かな光が宿っている。
「……今のは……俺が……?」
掠れる声は、どこか怯えながらも誇らしげだった。
その光景を目にした瞬間、胸に重くのしかかっていたものがわずかに解けた気がした。
絶望的に追い詰められていた仲間たちの瞳にも、再び炎が戻るのが分かる。
イゾルデは歯を食いしばり、斧を拾い上げる。
ザミエルは血を滲ませながらも銃を構え直す。
そして俺自身も、木刀を握る手に再び力が籠もった。
終わってはいない。
オーウェンが示したのは、ほんの一瞬の兆しに過ぎない。
だがその一撃が、俺たち全員に「まだ戦える」と刻みつけた。
「……素晴らしい!」
沈黙を破ったのはルキウスだった。
先ほどまで冷静に数値を読み上げていた声が、今は熱に浮かされたように震えている。
「未知の現象…!強制的な無効化現象…!このデータは唯一無二だ! 学会に提出すれば歴史に名を刻めるぞ!」
狂気にも似た喜びの笑い声が響く。
俺たちにとっては救いの光でも、奴にとっては「観測対象の特異現象」でしかない。
だが、ルキウスの瞳に宿った興奮と同時に、わずかな警戒の色も確かに見えた。
さっきまで実験台としか見られていなかった俺たちが、初めて“敵”として認識されたのだ。
「立て!俺たちはここからだ!」
俺は声を張り上げ、仲間を見渡す。
オーウェンの背が、巨躯の前に堂々と立ちはだかる。
その姿は、俺たち全員を奮い立たせる旗印のように映った。
―反撃の兆しは、ここから始まる。




