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第七話:毒を超えて、恋になるには

 朝の陽光が、カミラの寝室のカーテン越しに差し込んでいた。


 静かな、けれどどこか落ち着かない空気が漂う。

 その理由は明白だった。


 ――今日、カミラは初めて“毒を使わない”任務に出る。


 毒も針も偽装も使わない。

 ただ、ある少女を“守る”ために。


 それは暗殺者としての自分が選ぶには、あまりに不向きな役目だった。


「お茶、少し薄いわね」

 カミラは侍女にそう言ってから、手を止める。


 ……違う。

 いつもなら“毒の混入”を疑って舌先で検査していたはずだ。


 けれど今日の彼女は、もう毒に怯える生活をしていない。


 (あの人が……守ってくれると、思ってるから)


 心の奥に浮かぶ顔は、銀縁の眼鏡をかけた不器用な医者――ハロルド・ベイル。


 昼下がり。

 帝都の学術会議で、宰相の娘が“政治的な誘拐”の危機にさらされているという情報があった。


 依頼は非公式。

 けれど、帝国の裏側を知る者だけが選ばれる“密命”。


 カミラはそこに名を連ねた。


 白いドレスを着たまま、馬車で移動する。


 今日は“病弱な令嬢”として、何も知らぬフリをして、娘に同行する。

 だが万が一、敵の刃が迫れば――


 (毒じゃない方法で、守れるかしら。私に)


 心は静かにざわめいていた。


 一方その頃。

 ハロルドは学術会議の護衛隊に“医師”として同行していた。


 カミラと顔を合わせることはなかった。

 それでも彼は、遠くからそっと見守るようにして彼女の乗る馬車を見ていた。


「君は……本当に、変わり始めている」


 それが嬉しくもあり、どこか危うくも思える。

 毒を捨てた暗殺者は、果たして“自分を保てる”のか。


 会場に到着した宰相令嬢は、カミラに向かって無邪気に話しかけてくる。


「ねえねえ、フォン・エーデルシュタイン家って、すごい貴族だったんでしょう?

 わたし、貴族の秘密って興味あるの」


「秘密、ね。……たしかに私は、“秘密”ばかりの人生だったわ」


 けれど今日は、その秘密を刃としてではなく、盾として使うと決めていた。


 そして、事件は静かに始まった。


 会場の出入りに紛れ、ひとりの黒装束が近づいてくる。

 カミラはすぐに察知した。


 「ごきげんよう。汚いごみのお掃除に参りました」

 ――そう呟く前に、今回は止めた。


 毒ではない。“演技”で気づかせる。


 彼女は突然、持病の発作を起こしたふりをし、倒れこむ。


「ぜ、喘息が……! 水を……っ」


 周囲の目が一気にカミラへ集中する。

 その隙に、影のような暗殺者は宰相の娘を仕留め損ね、撤退を余儀なくされる。


 その一連の動きは――

 毒を使わず、人を守ったという事実に他ならなかった。


 夜、屋敷に戻ったカミラは、庭で一人ベンチに座っていた。


 そこに、そっと近づいてくる影。


「……ハロルド?」


「情報提供者として同行していた。報告を聞いたよ」


 彼はゆっくり腰を下ろし、同じ目線に並んだ。


「今日、君は毒を使わなかった。

 人も殺さず、傷つけもせず、救った。

 ……それは、すごく難しいことだ」


 カミラは黙っている。


 だが、その横顔には――ほんのわずかに、涙の跡があった。


「怖かったの。……自分の武器を失ったら、ただの病弱な女になるんじゃないかって」


 そう言った彼女の声は震えていた。

 でも、その弱さは――もう、偽りではなかった。


 ハロルドはゆっくり手を伸ばし、彼女の指に触れた。


「君はもう、毒じゃない。“誰かを守る力”を、ちゃんと持ってる」


「……そう、思える?」


「ああ。だからこれからは、俺がその“武器”になる」


 カミラは、そっとハロルドに寄りかかった。

 長い間、誰にも預けなかった重みを、彼に預けるように。


 星空の下、毒を超えたひとつの絆が、ゆっくりと芽吹き始めていた。

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