第四話:毒と仮面のワルツ
夜の宮廷舞踏会。
煌びやかなシャンデリアの光が、踊る貴族たちのドレスと仮面に反射し、きらめきを放っていた。
その片隅、黒と白のコントラストが鮮烈な仮面の令嬢が一人、舞踏の輪から外れて佇んでいる。
――カミラ・フォン・エーデルシュタイン。
今日は病弱な姿ではない。
むしろ意図的に「仮面舞踏会」という場を利用し、**“素顔に近い別の仮面”**を被ることで、自分を切り分けている。
その瞳には、明確な“獲物”の所在を見据える冷徹な光があった。
(――いるわね。グランツ)
彼女の視線の先、政務官イヴァン・グランツが周囲の貴族と談笑していた。
相変わらず礼儀正しく、清廉な改革者を演じている。
だが、カミラにはわかっていた。彼の周囲で静かに死ぬ者たちが、いかに彼の意志に連なっているか。
今日の舞踏会は、彼を“引きずり出す”ための、仮面と毒の舞台だった。
「カミラ・フォン・エーデルシュタイン様――」
声をかけてきたのは、意外にも、あの男。
――ハロルド・ベイル。
いつの間にか宮廷の医務官として、堂々と列席していた。
端正な顔に仮面をつけていても、瞳だけは鋭く、カミラを見逃さない。
「またお会いしましたね。……お元気そうで、何よりです」
「ふふ……仮面をつけていても、私とわかってしまうのですか?」
「病人には見えませんから」
含みを持たせた言葉。
カミラは一瞬だけ笑うが、その瞳は笑っていない。
「……最近、評議員の方々が次々と急死しているそうですね」
「まあ。怖いこと……貴族社会には、“風”が吹くとよく聞きますもの」
「それが毒の風だったら、厄介でしょうね」
互いに仮面越しの視線を交わす。
これは“戯れの会話”ではない――明確な、探りと応酬。
そのとき、舞踏曲が変わり、ペアダンスが始まる。
「踊りませんか、カミラ様」
「……いいですわ。今宵の仮面には、少しだけ踊る気分がありますもの」
ハロルドの申し出に、カミラは静かに手を重ねる。
ホール中央。音楽に合わせてふたりの影が優雅に絡む。
その中で、ハロルドはささやくように訊いた。
「あなたは……“黒の園”をご存知ですか?」
一瞬、カミラの目が止まった。
“黒の園”――それは、かつて幼きカミラが育てられた闇の暗殺育成機関の通称。
現在では完全に消滅したとされていたが、詳細を知る者はごくわずか。
「……知らない名前ですわ。何かの寓話かしら?」
「私は調べました。あなたが七歳で誘拐されたとき、同時期に“黒の園”から脱出者が出たと」
――やはりこの男、ただの医師ではない。
音楽が終わる直前、カミラは踊る動作のまま、
スカートの裾を少し上げ、貴族の挨拶に見せかけて礼をする。
そのとき、ハロルドの足元に何かがすっと滑り込んだ。
――小さな香の管。解毒剤の匂いがわずかに混じる。
「……“私にはまだ毒を使っていない”って、教えてあげるわ。今は」
「……あなたは、なぜ殺さない?」
「獲物には、腐り切るまで毒を回すの。
あなたはまだ、観察対象……それだけ」
舞踏が終わった直後。
イヴァン・グランツが倒れこむ。
「う……ぐ、ぅ……!」
騒然とする会場。だが、医師団の到着までに数分かかる。
ハロルドが駆け寄り、状態を診る――
だがその呼吸は止まっていた。
毒は使われていない。ただの“自然死”のように見える。
(いや……これは、自ら呼吸を止められる強力な神経毒。
やはりカミラ……だが、証拠がない)
それが、カミラのやり方だった。
後日、カミラは屋敷の書斎で、静かに手帳を閉じた。
「さて、グランツが消えた今……次は“本物”が動くはず」
黒の園の残党。そして、自分を消そうとする旧い“家族”の影。
まだこの劇は、終わっていない。