ニカからめぐすり
『在学中ずっと「中庭のバカップル」と陰で呼ばれていたことを二人は知らない』
キャンパスの中庭で、私はいつものベンチに腰を下ろし、スマホを眺める。
小説サイトに投稿した私の自信作――なのに、昨日の最新話もPVは一桁。
ああ。リアルでもネットでも、私は必要とされてない人間なんだ。
「はぁあああ~……」
思わず出たクソデカため息に、自分でびっくりする。
ガワを取り繕っただけの大学デビューは失敗。中身が伴ってないのだから、ボロが出るのはあっという間だった。
コミュ強陽キャにも、メンヘラかまってちゃんにもなれない、中途半端な陰キャが私。
こんな女をわざわざかまってくる人間なんて――一人だけいた。
「めぐせんぱ~い」
甘ったるい声が私の側頭部を直撃する。
私とは見た目も性格も正反対のトランジスタグラマーが、ベンチの隣へ滑り込むように腰を打ちつけてきた。
「ニカ、近いって」
ニカと初めて出会ったのは、去年の大学祭だった。
模擬店の隅っこで手持ち無沙汰にしていた私を、女子高生が「新しいおもちゃを見つけた」とでも言わんばかりの目つきでロックオンしてきたのだ。
しつこく大学のこと尋ねてきたから、答えてあげてたんだけど。
まさか、同じ学部に追っかけ受験してくるなんて思わなかった。
「しかめっ面はよくないですよー、先輩。もしかして眼精疲労ですかぁ? さ、あたしが目薬注してあげますから、横になってぇ……」
ニカは私の眼鏡を外して、問答無用で膝枕をした。いちいち逆らうのも億劫なので、私はされるがままになってる。
決して、ニカの太ももが心地いいから、とかいった理由ではない。
「目薬ひとつ自分でできないなんて、先輩はほんっとクソザコですね~」
ニカは私をまっすぐ見下してる――物理的にも、精神的にも。
わかってる。私は自分で目薬を注すときも、眼球に物が迫ってくるのが怖くて、毎回心臓がバクバクいってるようなクソザコだ。
そんな調子だから、いまだにコンタクトすら無理だし、もちろんピアスなんて恐ろしくて、とてもとても。
「ち、違うし。眼鏡とか着け外すの面倒なだけで……――ひゃっ!」
「ひゃっ、だって~! めぐ先輩ったら、か~わい~!」
うるさい。可愛いのはお前だろ、って何度言ってやりたかったことか。
言うわけない。だって、それ以上にニカの態度にムカついてるから。
「タイミングが、ゆ、油断しただけで……」
「そんな強がらなくていいんですよ~? めぐ先輩みたいなよわよわ生物は、あたしが保護してあげないと、絶滅してしまいますもんね~。このレッドデータ動物っ! エンデンジャード・スピーシーズっ!」
今日の私は不満が溜まっていたんだと思う。寝不足になって書いた小説の反応も散々だし、講義の内容は全然頭に入んないし、おまけにニカからこの仕打ち。
「そうやって……いっつもいっつもバカにしてさぁ! ニカは私の気持ちなんてどうだっていいんでしょ!?」
私は体を起こすや、ニカの手から目薬をもぎ取った。
これにはニカも面食らったようで、薄ら笑いが引きつっているのがわかる。
いい気味だ。
「そ、そんなことないですって~」
「そんなことある。ニカは見下せる相手が欲しいだけ。もう……二度と私にかまってこないで」
眼鏡を掛け直した私はベンチを立って、ニカにぷいと背中を向けた。
胸がスカッと――しない。何だろう、このモヤモヤは。
私が考える暇もなく。
「え、待って……めぐ先輩……あたしのこと見捨てないで……」
ニカは秒で私にすがりついてきた。上目使いの瞳がうっすらと濡れている。
その時、私の中で何かがはじけた。
「え、何? ちょっと何言ってるのか聞こえないんですけど~?」
「本当ごめんなさい! あたし何でもしますから! 何でも……命令してください!」
こんなことを、あのニカが自分から懇願してくるなんて。
何だか震えが来るぐらい気持ちいいし、許してあげてもいいかな。
「そ、それじゃ……キ……ほっぺにキス……とか」
「え~? あたしが『何でも』って言ってるのに日和っちゃうんですか~? やっぱ先輩ってナチュラルボーンクソザコですね~!」
前言撤回。
「あっそ。もうニカとは絶交ね」
「ああ~っ、ごめんなさ~い! しまぁ~す! 今すぐキスしま~す!」
ちゅ。
「んっ…………ま、待って! いきなり唇にするとか! 雰囲気考えてよ!」
「え~? 今さら雰囲気とか言っちゃうんですね~。こないだ宅飲みで酔っ払ってあんなことまでしたくせに……」
「は? 何それ!? 初耳なんですけど!」
この気まぐれでイタズラな妖精が、もはや人生に欠かせない存在となっていることを、私は認めざるを得ない。