第1章 模型部と私
鉄道が好きだった。それはもう、幼稚園の頃から筋金入りだった。でも、「鉄オタ」って言葉が市民権を得るには、まだ少し早い時代だった。だから私は、ずっと周囲に隠すように、時刻表を読んだり、線路沿いの土手に登って電車を眺めていた。「鉄道好きな女の子」は珍しがられた。
でも、中学生になって、ようやく“居場所”を見つけた。──模型部。入学したのは、難関と言われる大学の付属校。その初日、私は最初の部活紹介で真っ先に模型部のブースへ向かった。女子生徒の姿は私だけだったけど、全然気にならなかった。
「おおっ、女子が来たぞ!」
先輩たちはうれしそうに目を丸くして、部室に迎え入れてくれた。ダンボールいっぱいの写真、手書きのダイヤグラム、誰かが作ったペーパークラフトの鉄橋模型……。部室のすべてが、宝物に思えた。
「私、ここに入ります」
その日のうちに、私は入部届を書いた。迷いはなかった。
先輩たちは親切で、知識も豊富だった。私のことも丁寧に扱ってくれた。誰も「女だから」と言わなかった。むしろ、真剣に鉄道を語れば語るほど、喜んでくれた。
やがて、高校2年生になり、私は部長になった。それは私の「初めての肩書き」だった。部員は少なかったけれど、合宿、部誌制作、撮影旅行──全部に全力だった。班長たちをまとめ、教室にこもって編集作業をし、先生への提出書類にも頭を悩ませた。
そして私は決意した。
「大学に進学しても、このまま交通研究会に入りたい。いや、入るだけじゃない。いつか、幹事長になりたい」
それはただの夢じゃなかった。部長を務めたことで得た自信が、私にそう思わせた。伝統のある大学交研に入り、歴代の部長──いや、幹事長たちと肩を並べたい。そう願うことは、自然だった。付属高校の模型部で部長だった者が、大学で交研の幹事長を務めるというのは、ひとつの王道だったからだ。模型部と交研は、昔から深く繋がっていて、むしろ幹事長に"なろうとしない"人の方が少数派だった。だからこそ、私もまた、その伝統の延長線上に自分の未来を重ねていたのだ。
──だが、大学に進んだ私を待っていたのは、選挙での敗北と、それに続く長い長い挫折だった。