第090話 開戦の狼煙
大江戸湾に沖弓の雪が降り注ぐ。
戦争が始まったのだ。
やや離れた海面に〝不朽戦艦〟天照の鱗が浮かぶ。
清掃とリフォームを経た船内からも、陸地での凄惨な光景を見ることができた。
――人々を救うためなのに、人々の命が奪われるのをじっと見ていなければならないとは。
操縦室に陣取る大工部マギの心が揺れる。
――そもそも余の選択は正しいのか?
皇帝直々の授業からマギは学んだ。
妖怪の祖先は元々人間だったこと。
彼らは望まずして人間の姿を失い、迫害を受け、人生を歪まされたのだ。
「後戻りはできぬ」
隣に座る皇帝がマギに囁く。
「……わかっているぞ……」
* *
極めて優れた性能を有する船だった。
岩礁を粉砕し、鯨を撥ね飛ばし、高速で列島から大陸へと移動した。
初めて訪れる地はもしかすると理想郷のようかもしれない。
海の上で高鳴っていたマギの胸は、現実を知った途端に痛くなった。
大陸は隅から隅まで汚染されていた。
考えてみれば当たり前のことである。
妖怪とて生物。
逃走は本能である。
しかも、
「妖怪には固有能力がある。本来なら生物が持つはずのない超越的な能力である。故に力を持て余し、環境を破壊し、結果的に自分自身を破滅に追い込むのである」
妖怪でありながら妖怪を軽蔑する皇帝。
マギはどうにか反論しようと、
「だが力はいいことにも使えるぞ」
「自分がよりよく生きるため他者を犠牲にする。生命の本質である」
妖怪が列島を襲撃する大きな理由が生息域の獲得であった。
船は大陸に生きるすべての妖怪を乗せた。
* *
――だが、後に引けないのは妖怪に居場所がないからだけではないぞ。
マギは自分を責め続けた。
弟のマゴに嘘をついて利用し、そして死なせた。
身内の死を無駄にするわけにはいかなかった。
――だから進み続けるしかない。
沖弓の活躍によって道が開けた。
「船をつけろ!」
着港。
船から大勢の妖怪が一気に飛び出す。
白昼堂々の血の惨劇。
「吾輩たちも始めよう」
皇帝が王水門を呼び寄せる。
死体を戦闘員として動かすつもりだ。
「皇帝の代替わりは実力勝負……だったか」
「うむ?」
マギの唐突な問いかけに皇帝は困惑する。
妖怪を支配する種族・超鳥。
その中で皇帝として君臨できるのは現役の皇帝を打ち負かした者。
もし次期皇帝としての実力が備わっていないと判断されたら、死刑宣告を受ける。
つまり、現役の皇帝と後継者候補の生きるか死ぬかの一騎討ちで皇統は紡がれてきたのだ。
「貴様には吾輩を超越するだけの能力がある。心配せずとも、ゆくゆくは貴様に皇帝の座を譲るつもりである」
皇帝はマギを認めていた。
「尤も、この戦争で妖怪が滅びた後では妖怪皇帝の冠など無価値であろうがな」
「だから今すぐがいいぞ」
「……?」
「余は今ここで皇帝になる!」
マギは皇帝に厳しい視線を向ける。
「ここまで余を導いてくれたことには感謝するぞ。だが、完全にはそちのことを信用していない。余は自分の手でこの戦争を完遂する!」
「時には己の手で人間を殺さねばならぬかもしれぬぞ。汚れ役は吾輩が買ってやろう」
「どんな苦しみも自分で背負うぞ。それが妖怪という種族を滅ぼすことになる余の責任と思う」
「人間の愛を感じる! 受けて立とう!」




