第069話 月下の平安
「ここで腹を切れと?」
瀬良寺が連れて行かれたのは地下の薄暗く狭い一室。
将軍が台の上に横たわっている。
悪びれるでもなく堂々と瀬良寺は尋ねる。
「それとも将軍閣下のことも蘇生させたいとお考えか?」
「将軍閣下があなたをお呼びです」
答えるのはヒトフリ。
主君の骸を前にしても平然とした様子。
「閣下が? しかし閣下は既に……」
「これが証拠です」
ヒトフリが見せたのは1枚の紙。
そこには、
「せらてら これへ」
と書かれてある。
「汚い字だ。尊さが感じられない」
「そうですね」
「本当に閣下の御筆か?」
「閣下、疑われてます」
ヒトフリが告げ口した途端、将軍の顔を覆う鏡が立ち上がった。
鏡には足が数本生えている。
――妖怪か!? いや……
驚く瀬良寺だったが、別の可能性に思い至る。
「……カラクリ……なのか?」
将軍の顔を離れた鏡はよちよちと歩き、足の1本をインク壺に浸す。
そしてヒトフリが差し出した紙に何かを書き付ける。
汚い字で、
「そやつのからだ もらう」
と書いた。
ヒトフリはうんうんと頷き、
「じゃあ、そういうことです」
「どういうことだ!?」
瀬良寺は困惑しきりであった。
「簡単に言うと、将軍閣下は人間の体に取りつきます。そうしないと、この虫けらみたいな情けない姿だからです。人間の体を取り換えても閣下の意識はこの鏡の中にあり続けます。閣下は建国以来、同一人格です」
「……よくわからないが……じゃあ、そこに横たわっている方は何者だと言うのか」
瀬良寺の後ろに控えている神葉が、
「この人に見覚えないっすか?」
亡骸の顔を覗きこむ瀬良寺。
初めて見る顔だが強いて言えばどことなく、
「マギに似ている」
「マギ様のお袋さんっすからね」
「!!?」
瀬良寺はヒトフリに視線を送る。
神葉の言っていることは本当なのか、と。
ヒトフリは直接それに答えず、
「将軍は乗っ取った人間の体が寿命を迎えると別の人間に乗り換えます」
「……今度は私か? だが、それはおかしい」
「???」
「なぜなら、ほら、私は男ではないか」
瀬良寺は顔をひきつらせるように笑う。
将軍は代々女性が務める。
子供でも知っていることだ。
ヒトフリも神葉も何も言い返せない。
しかし将軍はまた何かを書く。
「なは おなご」
瀬良寺は青ざめる。
「あっ。へー、そうなんすか」
神葉が妙に納得した様子。
瀬良寺は赤面する。
汗が噴き出す。
「じゃあ、引き継いでください」
ヒトフリが発言すると同時に、将軍の実体である鏡が跳躍する。
「……嫌だ……!」
瀬良寺は逃げられない。
顔に鏡がへばりつく。
脚が皮膚に突き刺さり、体内に侵入していく。
「助けて……」
瀬良寺が視界の端に見た最後の光景は、自分を冷たい瞳で見下ろす神葉だった。
* *
新しい体を手に入れた将軍は地下室を去った。
「お前と同じ境遇になりましたね」
ヒトフリが妻の亡骸を見つめながら言う。
「いつか奥さんが亡くなることを見越して、死体を保存するカラクリとか作ってたんすか」
神葉はカミルを見つめながら。
「じゃあ、そうです」
「あとは死んだ人を甦らせるだけ……でも本当にそんな夢みたいな能力を持った妖怪がいるんすかねぇ」
「見つけ出すために蚊虻教を組織して妖怪と接触させてます。妖怪化したマギを放置してるのも同じ理由です」
「なーんか……頼りないっすけどねぇ……」
* *
将軍は夜風に吹かれていた。
大江戸城の屋根の上。
新しい体に慣れようと体を伸び縮みさせる。
「人は愚かじゃ」
満月が江戸を照らしている。
「妻や仲間が体を奪われても助けぬ。なんと薄情なこと。やはり人間は滅びるべきじゃ。……それはそれとして……」
将軍は夜道を歩く1人の男に目をつける。
闇夜を駆けて、瞬く間に男の目の前に。
「あ、あなたは瀬良寺様!」
先程、瀬良寺に救助された中年男性だった。
「おかげさまで幻覚は消えまして……とんだご迷惑を」
「瀬良寺とかいうやつ、神葉を好いておるようじゃの」
「はぁ?」
「じゃが、あやつとはさせてやらぬ。お気に入りの体を殺された恨みじゃ」
「あれ? 瀬良寺様、どうしてお顔にお鏡を?」
「なは男の体もいける口かの?」
将軍が服をはだける。
「せ、瀬良寺様、ご乱心か」
「どれ、姫始めじゃ」




