第8話 ミッションインポッシブル!
よだれで濡れたパンダぬいぐるみと天使の寝顔に挟まれて、朝です。
「あぅあ、にーた」
おはよう、お兄様! 綺麗な顔ですね。でも、真珠ちゃん、寝起きの不機嫌で泣きますよ?
さっそく、『朝から泣き叫ぶうるさい乳幼児作戦』発動!
「ふえっ、ふぎゃあぁあー!」
十カ月の赤ん坊の身体は便利だね。泣きたいと思ったら、一瞬で泣けちゃう。このちいさい体のどこからってくらい、けたたましい泣き声が瞬間湯沸かし!
「お目覚めになりましたか、真珠お嬢様。さあ、お顔を拭いて、お着換えしましょう」
でも、すかさずばあやに抱き上げられた。どうやら室内に待機してくれていたみたい。
「ふふっ、パンダがお気に召したようですね。ちゃんと替えもありますから、こちらは洗濯してしまいましょう」
さすがばあや! 乳幼児がお気に入りのぬいぐるみをよだれまみれにすることは織り込み済み!
新たなパンダを与えられ、抱っこで背中トントンされれば、条件反射のようにご機嫌なおる。単純なんだよこの身体!
「ばぁば、あーあう!」
ばあや、大好き!
「あれ、真珠、もう起きたの? 早いね。おはよう、ばあや、すすきさん。真珠、一緒に朝ごはん食べようね」
「あーい!」
くふふふふっと笑いあうわたしと月白お兄様。
あれ? なんか、早くも作戦失敗……。
いや、でもまだまだ!
次は朝食後、腹ごなしに月白お兄様が絵本を読んでくれることになったので、ひらめいた。
絵本の文字を指さして、キーワード示せばいいんだよね。「とりかえっこ」って、ひらがな探せばいいからきっと何とかなるはず!
「Once upon a time …」
でもね、わたしを抱っこして月白お兄様が開いてくれているご本は英語!
可愛いうさぎの絵はついてるけど、外国語!
流暢な発音で読んでくれるけど、お兄様、真珠ちゃん眠い……。
「あれ? 真珠、もう眠いの? まだ朝ごはん食べたばかりだよ? お勉強の前に体力つけなきゃいけないのかな。んー、じゃあ、英語の歌でダンスにしようか」
その後、育児書を読み込んだ月白お兄様に乳幼児向けダンスを教わり、わたしはハイハイだけじゃなくて、つかまり立ちからのハイタッチ、座ったままお手てグーパーダンスが上手になったよ。
午後からはさすがに月白お兄様がご自分の勉強タイムになったので、すすきさんとボール遊びしておやつ食べてお昼寝……。
◇◇◇◇◇
よく食べてよく遊んでよく眠って、気がつけばお正月。
竜胆叔父様が大晦日に駆けつけてくれて、元旦には闇王伯父様も帰ってきたよ。
豪華なおせち料理を横目に真珠ちゃんは相変わらず離乳食と哺乳瓶だったけど、分厚いお年玉ももらって、着ぐるみ服とぬいぐるみコレクションも着々と増えて、家族団欒楽しいな♪ ……じゃない!
まずい!
確実にこの真珠ちゃんと月白お兄様の思い出写真が増えていってる!
しかも、お正月の夜には大奥様が帰ってきた!
「あらまあ、動画で見るより百倍可愛らしいこと。真珠ちゃん、おばあちゃんにも抱っこさせてくれる?」
「まぁま!」
写真で予習済みの白絹お祖母様は、想像していた以上に小柄でほっそりした女性だったけど、抱っこは安定感があって闇王伯父様より上手! とってもいい匂いがするよ!
「まあ、本当に賢い子ね。動画の通りにまぁまって呼んでくれるのね? すごいわ。人見知りもしないし、ふわふわ軽いし、女の子っていいわねぇ。甘いミルクのいいかおり」
「まぁま」
わたしもくんくんお祖母様のにおいをかいでるけど、お祖母様もうっとりわたしの頭のにおいをかいでる。真珠ちゃんまだ半分ミルクでできてますから、赤ちゃんアロマがたっぷりあふれてるみたい。自分じゃわからないけど。
「こんなに可愛いんですもの。真珠ちゃんが成人するまで、あと二十年くらいは長生きしないと。成人式はわたくしの着物を……いえ、その前に七五三の着物を仕立てましょうね。この菫色の瞳に一番似合う色を選ばなきゃ」
お祖母様いいにおい!って夢中でくんくんしてたら、隣の席に座ってる闇王伯父様が声をかけてきた。
「では、お母さん、真珠が三歳の誕生日を迎える前に私の養子にしてお披露目する方向で話を進めます。衣装は任せますから、よろしくお願いします」
「ええ、そうね。おまえは何でもいいけど、月白もスーツを誂えたほうがいいかしら。妹と並んで立った時に引き立つ色がいいわね」
ほほっとのたまう白絹お祖母様、この方、竜胆叔父様と同類ですか?
白絹お祖母様とわたしの対面のソファーに、月白お兄様を抱っこして座っている竜胆叔父様がふふっとうなずく。
「真珠ちゃんの着物選びはぜひご一緒させてください、白絹様。一緒に月白のスーツも選びましょう。支払いは闇王様にお任せしますけど」
「あら、もちろん、あなたのスーツも一緒に仕立てましょうね、竜胆さん。お互い、縁あって親族になったんですもの。このご縁は今後とも大切にさせていただきたいわ」
「僕の方こそ、白絹様みたいな素敵な女性と仲良くできて嬉しいです」
あとで聞いた話だけど、竜胆叔父様はたいていの怪我や病気を治してしまえる凄腕の魔医療師。
その分、一日に治療できる人数とか症状は限られていて、そうすると仕事の予定はぎっちぎち。というか、予定外の仕事を地位権力財産のあらゆる力を使って無理やりねじ込まれたり、国際組織に誘拐されそうになったりするから、警護の優先順位は闇王伯父様より上の超VIP。
不公平のないように、建前としては身内からの依頼でも予定外の仕事はいれないことになっている。
白絹お祖母様は一年前、死に至る病と診断されて即入院。
竜胆叔父様にとっては姉の義理の母親だから、すぐに治療してあげたかったけど、白絹お祖母様はその時点で六十歳以上。他の仕事をキャンセルして優先治療するわけにはいかなかった。
なので、とりあえず普通の魔医療師の治療で白絹お祖母様は命をつないで、その間に竜胆叔父様はスケジュールの都合をつけて、ようやくタイミングが合ったのがこないだのクリスマスイブ。
月白お兄様とわたしに会いに来るため!って、竜胆叔父様はものすごくわがままを通したことにして、裏で極秘のうちに白絹お祖母様を治療したらしい。
それでも翌日には緊急ヘリの迎えが来るくらい、竜胆叔父様の仕事のやりくりって大変みたいだけど……。
白絹お祖母様は闇王伯父様がこっそり黒玄家に連れ帰って、治療後の翌朝、静養先の病院にまたこっそり連れてったんだって。
表向き白絹お祖母様はずっと病院にいたことになってるから、クリスマス前後に息子がお見舞いに行ったってことで……。
そこまで面倒な偽装しなきゃいけないの?って感じがするけど、じゃないと竜胆叔父様に無茶ぶりの仕事が入ってくるみたい。
諸外国の大富豪とか政財界からの圧力も大変だし、もしマスコミにかぎつけられたら、上級国民がどうたらこうたらって猛バッシングが始まるんだって。
いや、さすがに親族の治療を優先するくらいって気もするけど、親族も幅広いからバレたら、うちもうちも!って名乗り出てくる親族が大変らしい。特に六十歳以上の高齢者。ばあやがため息つきながら愚痴ってた。
だから、真珠ちゃん、覚えたよ。
魔医療師はブラックお仕事! ぜったいに将来目指しちゃいけない職業!
といっても、適性のある人が極めて少なく、その上、魔力も強い人ってほとんどいないからこその稀少価値。竜胆叔父様と血の繋がりのない偽物の姪っ子には関係ないね。
でも、そんなこんなで、お正月からは一緒に暮らす家族に白絹お祖母様も加わった。
白絹お祖母様と月白お兄様が住んでるのは黒玄家本館のなんたら棟で、真珠ちゃんは客やほかの親族が足を踏み入れない離れで暮らしてるから、わざわざ会わないと会えない。
でも、そのわざわざっていうのが、毎朝毎昼毎晩なんだよね……。
白絹お祖母様は病後のリハビリのために朝から離れまで散歩に来るし、月白お兄様も朝ごはん一緒に食べにくる。
お昼も運動がてら訪ねてくる祖母と兄。
夜も白絹お祖母様は真珠ちゃんと一緒にお風呂に入りにくるし、月白お兄様はストレートに泊まりに来る……。
なので、真珠ちゃんはベビーベッドを卒業して、天蓋付きのプリンセスベッドで寝るようになったよ。大人も余裕で寝られるサイズだから、王子様なお兄様と一緒に寝ても広々!
時々、闇王伯父様もごはん食べに来るけど、竜胆叔父様はさすがに後回しにした海外の仕事で日本にいられなくなったみたい。
だけど、竜胆叔父様の愛のこもった着ぐるみ衣装が日替わりで真珠ちゃんを可愛らしく変身させてくれる!
なので、ラブリー真珠ちゃんを毎日めでまくる、ばあやとすすきさんと兄と祖母。時々、伯父!
ダメダメ! 家族の思い出作りすぎ! 写真撮られすぎ!ってわかっちゃいるけど、純粋な好意を拒めるわけない。
あ、でも、ひとつ朗報!
ようやっと歯が生え始めたんだよ。
当然、口の中がむずむず不快で痛くて、これまでの五割増しで真珠ちゃんぐずって泣くことに!
いつでも不機嫌な乳幼児、うるさいですね。もちろん嫌われるでしょうと思いきや、
「僕も歯が生え変わってるの、気持ち悪いもん。真珠は赤ちゃんだから、もっと気持ち悪いよね。でもちゃんと生えたら、ごはんもいっぱい食べられるし、もっと喋れるようになるからね」
ちょうど乳歯の生え変わりの時期だった月白お兄様に共感されて、
「真珠も大きくなっていくのね。少し歩けるようになったし、本当に赤ん坊の成長は一瞬たりとも見逃せないわね」
と祖母にもほほえましく見守られることとなりました……。
これは、嫌われる作戦、続行不可能! ミッションインポッシブル!
かくなる上は早く日本語を喋れるようになるしかないね。
え? 砂場? 水文字? 不器用なこの手が動かないんだよ! 文字を書こうにも途中でういーんびにょーんと別の図形になってしまう……。
離れの玄関に大きな鳩時計があったから、じっと見つめてみたりもしたけど、鳩時計が外国ではクック―なカッコウ時計ってほのめかしはまったく通じなかった。それどころか、からくり時計に興味があると思われて、サンルームに森のゆかいな動物音楽隊が奏でるからくり時計が加わったよ!
というか、カッコウ時計って前世のわたしの知識なんだけど、なんでわたし、そんなこと知ってたんだろう?
よほど閑古鳥なカッコウと縁があったのか、托卵カッコウに興味があったのか、いや、嫌いな英語の長文読解問題で鳩時計とカッコウネタが出てきてまったく解けなかったから日本語訳を読んで泣いたって悲しい記憶がおぼろげに浮かんできたかも……。
ますます英語が嫌いになるのに、月白お兄様は英語の睡眠学習強化してくれるし、つられてばあやとすすきさんも子守唄を英語に変えてくれた。
おかげで英語をはじめとする外国語を聞いたら、条件反射のように眠れる身体になりました。
日本語以外はおねむタイム!
「なんか、真珠、最近眠る時間が増えた? ごはん食べてるとき以外眠ってる気がするけど、真珠の寝顔、可愛いね。大好きだよ、僕の世界一可愛い妹」
ねむねむ真珠ちゃんを抱っこして、ほっぺにちゅーしてくれる月白お兄様。
まずい……まずいと思うのに、眠い……。
かくしてわたしは黒玄真珠のまま一歳の誕生日を迎えることになったのだった。