第55話 夏の終わりの魔王
おうちおこもり夏休みは八月になって、お盆を過ぎても続いた。
魔力を安定させるために二、三日に一度、わたしを抱っこしにくる宵司は毎回「ごあぇい!」でしっしって気分だったし、月白お兄様のベッドを寝場所に定めた竜胆叔父様もダメな大人一直線!
でも、一応同じ家で暮らして(?)、竜胆叔父様と姪っ子のミルクちゃんはすっかり仲良くなったらしい。
お盆に黒玄家を訪ねてきた縹家の祖父母とミルクちゃんの交流もうまくいったみたい。
わたしと沙華さんはホワイト家対策として、縹家との接触はなし。なにか聞かれても最初から会ったことないほうが嘘つかなくていいからね。
とはいえ月白お兄様、夏休みの宿題はさっさと終わらせたみたいだけど、同年代の友達とまったく遊んでない!
健全な成長にどうかなぁって思ったけど、実は去年の夏はおつきの人たちとヨーロッパ周遊旅行してたって。母親の法要と妹の顔を見にちょっとだけ日本に帰ったけど、それ以外はクラシック音楽の舞台となった場所を訪ねて、本場の音楽鑑賞。さすがセレブな天才お坊ちゃま! 優雅!
しかもアメリカで英才教育受けてた時は同年代とのつきあいがなかったから、月白お兄様にとって日本のふつうの小学校生活は人生修行。もはや苦行。
なので、おうちの都合で同級生とのフェイクダンジョン訪問をキャンセルすることになったのはとっても好都合だったみたい。
「四月から小学校で毎日毎日顔を合わせていた連中とせっかくの夏休みまで会う意味がわからなかったし、あいつらは闇王伯父様が手配してくれたバスで勝手に遠足気分で行ったから大丈夫。むしろ僕抜きの方がおつむのレベルが揃ってちょうどよかったんじゃないかな」
それより月白お兄様は早く大きくなって、フルサイズのアンティークヴァイオリンを弾きたいらしい。
ヴァイオリンって身長とか年齢によって適した大きさがあるみたいで、月白お兄様はせいぜい3/4サイズの子供用ヴァイオリンだから、年代物のヴァイオリンは飾っておく用。勿体ないから、数年単位で演奏家に貸し出す予定とか。
まあ、月白お兄様が成長したころには、ここんち、年代物ヴァイオリンがさらに増えてそうだしね……。
なので、夏休みの間、月白お兄様は高名なヴァイオリニストを家に招いて個人教授してもらったり、以前からの音楽の先生に難しいことを教わってた。
でも、あれだね。音楽も極めていくと宇宙語とか、数学とかみたくなっちゃうね。専門用語がちんぷんかんぷんだし、ちらっと見た楽譜の紙には謎の数式みたいなのがぐにゃぐにゃ……。
月白お兄様が音楽のお勉強してる部屋の隅で遊んでると、なんだかとっても眠くなっちゃう。朝寝したあとでもいくらでも眠れちゃう。超安眠効果スヤスヤ。
だけど、レッスンが終わったら「起きる時間だよ、真珠」って、王子様がおでこにちゅうして起こしてくれるから幸せ!
午後からのプール遊びもミルクちゃんが一緒に遊んでくれる。
たとえ、わたしがパンダプールに座ってクアアにジョウロでお水かけてる横で、ミルクちゃんが射撃の的に体当たりして倒してるんだとしても、近くにいるから! こう、気持ち的には一緒に遊んでる、そういうことにしていいの!!
「なんだかこのパンダプール、ボタンがなくなったのかしら? 以前よりシンプルな形になった気がするわね」
水の中でクアアとぱちゃぱちゃ遊んでるわたしを見ながら、白絹お祖母様の素朴な疑問。
あれ? そういえば、ボタンなくなってるね。音楽とかシャボン玉とかアロマとか、すごい機能がなくなった?
「はい。水の温度調節と浄化機能を除けば、余分な機能をすべて排除したふつうの子供用水遊び場になったようです。真珠お嬢様は攻撃的な遊びに興味を示されませんし、幼い頃から至れり尽くせりの魔道具でばかり遊んでいると、かえって想像力や知的好奇心が失われるのではないかと憲法様が危惧なされたようで」
そうか、憲法チェックでわたしの発育程度に応じて到達したのが、特別な機能のないただの紅白パンダ型プールなんだね……。
うん、そりゃね。わたし、基本的にクアアがいれば楽しいし、ジョウロでお水遊びしてるだけで満足してるよ。
音楽は月白お兄様のヴァイオリンの方が音が綺麗だし、シャボン玉とかアロマは何回か遊んだら物珍しさもなくなったし……。
ばあやの説明に白絹お祖母様も納得した。
「そうね。特別な機能がなくても真珠はスライムやお人形とのんびり遊んでいるものね。きっとミルクも道具に使われるのではなく、自分で道具を使える人間に育つのかしら? でも、宵司でも棒を振り回していたような……体当たりって、やっぱりおすもうさんのぶつかり稽古……」
いやいや、ミルクちゃん、もうぜんぜんおすもうさんじゃないから! この一カ月の水泳で全身引き締まって、すっかり美幼女!
でも、顔は可愛いのに、だからこそ違和感のある体当たり人間魚雷。
ミルクちゃん、なんでかホワイト家五人と宵司の顔写真の的、一日一回ぜんぶ倒さないと気が済まないんだよ。というか、倒したら終了ってするためにミルクちゃんが的を倒したら、次の日までそのままになってるっぽい。
この射撃の的、わたしは使えないし、もうこの場からなくしたほうがいいんじゃないかって気がするけど、憲法判断ではミルクちゃんの健全な成長に必要不可欠なんだろうね……。
そんなこんなで毎日楽しく過ごした月白お兄様の夏休みももう残りわずかとなった日に、憲法が月白お兄様とわたしに相談に来た。
「当面は誕生日お祝い動画で満足することになったから、真珠にホワイト家全員の呼び名を教えてやってほしい。フランシス氏はグランパでいいが、あとの四人は適当でいい。当面はコンラッド、マイケル、リチャード、ハワードの最初の一字だけ呼んで、五歳くらいで名前にアンクルをつけてやれば上出来だろう」
相談っていうか、無茶ぶり? うん、まあ、憲法だもんね。報連相飛ばして、最終結果だけつきつけにくるよね……。
「意味がわかりません。ホワイト家とは絶縁、沙華さん以外の母方の親族なんて真珠にはいないはずですが?」
けんもほろろな態度の月白お兄様。
憲法が月白お兄様とわたしに用があるって話だったから、この場には沙華さんやミルクちゃんはいない。
ソファの真ん中に月白お兄様が座って、右隣に白絹お祖母様、左隣に闇王パパに抱っこされたわたし。向かい側の憲法の横には竜胆叔父様が、さらにあいだの椅子にばあやとすすきさんの壁。
クアアはわたしの足元で飛び跳ねてるよ。もちろんブタさんぬいぐるみは真珠ちゃんの腕の中! まだ一歳半の赤ちゃんにはふかふかぬいぐるみの癒しが必須ですとも!
実際問題、憲法の言ってることって、すごく危険で物騒。
「懐柔して油断させれば、おまえや真珠が成人するまでに一族全員根絶やしにすることもできる。だが、今のままでは致死に至る毒物や呪具を仕込む隙がない。リチャードとハワードの二人は機を見て宵司兄さんが難関ダンジョンで道連れにすることもできるだろうが、あとの三人の寿命が尽きるまで、この先三十年以上、真珠をずっと家の中に閉じ込めておくのは可哀相だろう?」
いえ、真珠ちゃん、おうちひきこもりなニートでも構いません! ここんち広いから、むしろ一生、自宅警備員、望むところ!
なので、その「一族全員根絶やし」とか「致死に至る毒物や呪具」とか「難関ダンジョンで道連れ」って発想やめてください!
月白お兄様もわたしの趣味嗜好をよくご存じです。
「別に真珠は旅行より家にいるほうが楽しそうですよ。宵司伯父様が来たとき以外はいつでもニコニコご機嫌だし。たぶん将来、ミルクは宵司伯父様みたいに敵と戦うためにダンジョン遠征するんだろうけど、真珠はおうちでぬいぐるみと綺麗な花に囲まれているほうが幸せだと思います」
ねー?と横から月白お兄様に聞かれて、もちろん真珠ちゃん頷きますとも!
「あい、にーた! おうた!」
「うん。真珠はお歌も好きだね。そうだ。闇王伯父様が今度建てる新しいおうちに音楽サロン作ってもらおうか。庭に小さなホールを建ててもらったほうがいいかなぁ?」
「音楽ホールか。それはいいな。客は招かなくていいが、他の演奏家を招くなら別の建物の方が安全だ。ゲストハウスを併設することを考えると、やはり周辺の山を買えるだけ買い取って……」
セレブ! 月白お兄様も闇王パパもセレブすぎ! 音楽ホールとゲストハウスが別館であるのって、個人宅じゃなくお城! 山の買収って考え方がおかしい!
だけど、白絹お祖母様もさすがでいらっしゃいました。
「あら、それだと沙華さんと十月にオーストラリアに行けないのかしら? 秋だから京都辺りに紅葉狩りでもいいけど、紅葉だともっと雄大な景色を見にカナダまで足を延ばしたくなるわね」
「真珠はまだちいさいからナイアガラの滝は怖いと思います! でも、沙華さんは……やっぱり色んなところに出かけたいですよね? お母様も旅行、好きだったし……」
困った顔をする月白お兄様。
まあ、わたしはおうちひきこもりでいいけど、白絹お祖母様は思い立ったら突然旅行だもんね。露茄さんもそういう人だったのかも。
でも、沙華さんはどうだろう? 黒玄家での今の生活に特に不満はなさそう。とはいえ、わたしも旅行に行ったらそれはそれで楽しいし、沙華さん以上にミルクちゃんが出かけたがるような気もするし……。
だけど、ホワイト家問題、もうわたしや沙華さんがひきこもっていれば済む話じゃなくなってるみたい。
「いや、さすがにそろそろある程度の折り合いをつけないと、各方面からの圧力や問い合わせで兄さんたちの仕事や心労が増す一方になるからね。あのホワイト家が一家総出で日本に滞在する、それも一カ月以上に渡って黒玄家の周囲を取り囲むようにして動かないなんてあまりに異常だ」
あれ? そういえば、ゴリラゴリラとスルーしてきたけど、ホワイト家の人たちって世界一のお金持ちだっけ?
その家族全員が日本にずっといるのって、内緒にしててもバレるし、あちらにしてみれば別に隠す必要がない。
だって、沙華さんとわたしはホワイト家の最後の血縁。そうと認めたから憲法の面倒な条件を呑み込んで、七月に手土産持ってあちらから訪ねてきたんだったような……。
「事情を知らない権力者からしても我が家に探りを入れたくなるし、ホワイト家と親しい有力筋から闇王兄さんにかけられるプレッシャーは日増しに増すばかりだ。宵司兄さんにしても、気晴らしのダンジョン探索ができないせいで頻繁に真珠に構いに来るんだから、真珠の心の平和のためにもあちらに挨拶動画を送るほうがいいんじゃないかい?」
うわ、なんか目先のことしか考えられない赤ちゃん脳で忘れてたけど、そういえば最近、テレワーク部屋での闇王パパのお膝ごろごろタイムがほとんどなかったよ!
まあ、早朝散歩か朝昼晩ごはんのどれかで、一日一度はパパに甘えてたし、それ以上に朝から晩まで月白お兄様と一緒。スキンシップ充実!
白絹お祖母様やばあややすすきさんにべったり甘やかされるのは言うまでもなく、さらに遊び相手に沙華さんとミルクちゃんも加わって、わたしの赤ちゃんライフ、ダントラ完全排除! 順調そのもの!
竜胆叔父様は月白お兄様のお部屋に間借り状態なのにあまり顔を合せなかったけど、それは一応、ミルクちゃんを慮って。血縁として、竜胆叔父様や縹家親族はミルクちゃんと月白お兄様を最優先。
その代わり、宵司はミルクちゃんに近づかず、わたしだけの父親ってことになったみたいなんだけど、迷惑! ゴリラ、ぜんぜんわたしに構ってくれなくていいから、よその女の人に遊んでもらって!
そもそもさぁ、水着姿のゴリラなんて、筋肉がメロン!
ねえ、そこの不審者さん、その格好で子供用プールに近づいちゃダメ! 筋肉バキバキ腹筋コアラ抱っこなんて、イヤ! 硬いきしょい! 座り心地最悪! パンダ型ミニボートに乗って遊ぶ方が何倍も楽しいの!
てな風に、プールでも宵司には何度も会ったけど、闇王パパを見かけたことはない。憲法も来てないけど、最初からノーカウント。
そういえば月白お兄様と闇王パパのスポーツタイムもなくなったっぽいし、その分も寝転がった宵司の背中を一緒に踏みつけてたけど、たぶんそのあいだも闇王パパは一人でずーっとお仕事してたんだね。
わたしや月白お兄様や沙華さんの希望に沿うように、毎日ほんのちょっとの真珠ちゃんタイムで充電して、一生懸命ホワイト家と戦ってくれてたとか……闇王パパ不憫!
「パぁパ?」
つぶらな瞳で見上げれば、ちょっと頬がこけた気がする。だけど、目が合ったわたしにパパは力強く宣言してくれた。
「大丈夫だ、真珠。おまえや沙華さんのことはパパが必ず守る。おまえたちを勝手に利用なんてさせない。これからはもうおまえをCMに出すのもやめよう。おまえと月白を幸せにするためなら、私は全世界を敵に回してもいい」
なんと魔王降臨!
全世界を敵に回してもなんて、わたしが夏休み満喫してるあいだに一人でがんばりすぎて、闇王パパ、すっかり思考回路が独裁者な魔王化!!
夏の終わりにとんだダントラ! まだまだダンジョンの数だけ罠があったよ!